白の世界
この小説は企画小説です。
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この季節がまたやってくるなんて思ってもみなかった。
真っ白い雪に閉ざされた世界。わたしはまた、あなたに出会えた。
わたしのいるところは辺り一面冬なら白雪、夏なら青々と草が茂り、のどかで空気が澄んでいる。わたしは珍しく二度目の冬をここで過ごす。
ここから見る景色はあまり変化がなくてつまらない。だけど人という生き物を見ている時はおもしろい時もあるし、時々切ない気持ちになることもある。
朝の柔らかい日差しが降り注ぎ、わたしの横を通勤や通学に向かう足が今しがた降り注いだ新雪に跡をつける。
ふと立ち止まり、下を見下ろした女の子がいた。私はそちらに意識を向ける。女の子はおもむろに雪を拾い食べている。透明感のある白い肌に、白い服、白い息、虚ろな瞳に長い睫毛が印象的だった。初めて見る感じではないけれど、思い出せない。
その女の子はしばらく雪を食べていると、男の人が迎えに来た。
黒い服に黒いマフラーをして、女の子とは対照的で、とても健康そうな男だった。女の子の目には少しだけ正気が宿る。そして、女の子は後ろについてどこかに行ってしまった。そして、女の子は後ろについてどこかに行ってしまった。
それからわたしはいつもの景色を眺めた。
日が傾き、降る雪はおしとやかに音を立てずに降っていた。朝出かけた人々が帰って来ていた。家々には明かりがつき、いい香りが漂っているのか、人々は顔をほころばせていた。きっと夕飯の支度をしているのだろう。
わたしは明かりを見つめて想いに浸る。
すると気づかないうちに、わたしの近くに朝見た女の子がいた。もの欲しそうな目でわたしを見ている。
わたしは女の子を間近で見て気づいた。この女の子は確か前の冬にも見たことがあった。
それは今よりは穏やかでない雪が音をたてて降っていた日。
女の子は確か名前を要と言った。
朝迎えにきた男の人とはまた別の、色白で不健康そうで幼くて、今の要と同じ虚ろな瞳をしていた。
その頃の要は今とは反対で、活発で黒く長い髪が印象的だった。要はいつも男の子と一緒に通学していた。いつも、どんな時も。
その日も吹きつける雪から身をかばうように要は男の子の前を歩き、手を掴んでいた。
ある日、太陽が暖かく大地を照らしていると雪が溶けていた。わたしはいつものように人々を観察していると、不健康そうな男の子がわたしの近くにきた。
「何しているの。こんなところで」
か細い声はかろうじてわたしに聞こえた。男の子は赤い手袋を外しわたしを優しくなでて、笑った。
わたしは心地よくなる。
「君はひとりぼっちなのかい?ぼくは今ひとりぼっちなんだ。姉さんとケンカしちゃって。ぼくがいけないのは分かってたけど……」
そう言いかけた男の子は、子供のように声をあげて泣き出す。
永遠に泣くのかとさえ思ったが不意に途切れたと思って見ると、わたしの横で寝息を静かにたてていた。
太陽がしだいに遮られ、白灰雲がぶ厚くなると雪が振り出した。男の子は眠ったままだった、雪が体の上に積もってくる。
ーー突如、荒れ狂ったような風が吹き、木の上に降り積もった雪が男の子とわたしの上に落ちてきた。
重みでわたしはつぶれてしまった。しばらくすると、つぶれたわたしを優しくなでた手があった。男の子のものだった。
雪の白さの中で這い上がり地上にでる気配が男の子にはない。男の子はわたしを守りながら、とても嫌な咳をしていた。そして深紅の血がわたしにかかる。とても温かかった。
「ごめんね。汚しちゃったね」
涙目になり、声にでそうな苦痛を歯をくいしばって抑えている。
わたしはできることなら声をかけたかった。わたしなんかかばわなくていいから、白く冷たい世界からぬけ出してほしい。わたしの願いとは裏腹に、男の子は動こうとはしなかった。
「……僕もう無理みたい。ごほッ。姉さんと学校に通うことはもう出来ない。体がついていかないんだ。好きなのにな。白い世界や暖かい学校という世界が……。毎年楽しみにしてたのに、今まで出来なかったことが今年ようやく叶ったのに」
悔しそうに呟いた。男の子は見る間に弱っていく。わたしが小さな、ちっぽけな花でなければこの子を助けてあげられたのかもしれない。雪と同化しそうなほど真っ白かったわたしは、今は深紅の色をつけている。
この子の苦しみが、血に混じって伝わってきたのだろうか。これが痛いという感情なのだろうか。これが苦しいという感情なのだろうか。わたしは男の子を助けてあげられない状態を心苦しく思わずにはいられなかった。
「君は来年も再来年も、この先ずっと僕の分まで生きてくれる?」
わたしは男の子には聞こえないだろうと思いながらも、力強く答えた。
”うん、わかったよ”
その言葉が聞こえたのかは分からないけど、男の子は儚げな笑みをして、瞼を閉じた。
それからどのくらいたったのか、わたしには時間の経過がわからないが、男の子の手がわたしの体に触れている。その男の子の体温が冷たくなったころに、捜索隊と思われる人たちに発見された。
そしてその中に、目とほっぺを真っ赤にした要が少し離れた所で立ったまま、がっしりとした男に抱きかかえられた男の子を見送っていた。突っ立っている要を大人が保護するかのように肩を優しく抱きかかえられて去っていった。
そしてわたしはそれを見送った。
花の命は短いもので、冬が終わればわたしは散ってなくなるものだと思っていた。
だが、冬が終わり、春になり、夏になってもわたしは散らずにいる。
男の子が最後の命を使ってわたしに与えてくれたのではないかと思った。
わたしは今、雪以上に真っ白い花びらをつけていた。
「……まだ咲いてたんだ。雪斗。ごめんね。雪斗のこと嫌いなんて言って」
回想に浸っていたわたしを見て、女の子、要はわたしに向かって雪斗と呼んだ。
それが、あの男の子の名前だったんだ。要はわたしを見て静かに泣いていた。
要の心に見えない傷がある。心の奥深くに隠れてて見つけられない。
なぜ、雪なんか食べているの。もっと自分を大切にして、雪斗が亡くなったことを自分のせいになって思わないで。
今を生きて。
そう思ってもわたしにはどうすることも出来ない。ならばせめて、わたしは雪斗が望んだようにしたい。
要の心の傷が無くなる日まで、冷たくて真っ白な世界を好きだと言った雪斗のためにも。ここで咲き続けて、要を見守っていきたい。
真っ白なこの世界に咲き続けて。