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閑話:光と影のノクターン

 静かなこじんまりとした空間に、柔らかなタッチのピアノの生演奏が流れている。


「いい店だろう?」


 カウンターに座った二人組の内の片方が自慢げな口振りでもう一人にそう言った。

 言われたほうは軽く笑うと「そうだな」と同意する。

 カウンターの向こう側の店の人間は、現在素通しに見える厨房で料理に余念がない様子だった。

 ホールの中央部に設置されたのはグランドピアノではなく電子ピアノで、プランターのエキゾチックな植物に遮られて見えにくいものの、まだ若い女性が一心不乱に演奏を続けているのがわかる。

 どう見てもプロという感じではないが、実はマスターの娘で音大生なのだそうだ。

 思いっ切り練習しても近所迷惑にならないので、この店で時々弾いているらしい。


「実を言うと伊藤さんのつてなんだよね、ここのマスター引退した冒険者なんだってさ」

「ああ、だからか」


 気づきにくいが、この店のマスターの片足は義足であった。

 実際、伊藤父のように五体満足で引退出来る冒険者などほんの僅かでしかない。

 ほとんどが負傷や精神的な疾患を患ったり、なんらかの理由で冒険者を続けられなくなって引退を余儀なくされるのだ。

 だが、それすら幸運な一部だけというのが冒険者の過酷な現実ではある。

 冒険者協会はそんな冒険者達をサポートしていて、その一環として引退者の商売の後押しもしていた。

 ネット上には協会配布の情報マップが無料で提供されていて、引退者の店舗はそこに宣伝費を掛けずに表示させることが出来るようになっている。

 もちろん、それが元冒険者の店であることは明かされないが。


 父の昔の仕事を知った優香は、そんなマップを調べていて、この店が元冒険者の物と知り、親近感に近いものを覚えたのか、最近はほぼ常連と化しているのだと隆志に語った。「隠れた名店って感じですね。あんまりひっそりしているからマップがなかったらお店と気づかない所でした」とは優香の言である。

 なにしろこの店は雑居ビルの並びにあるレンガ造りの倉庫のような建物で、あまり食堂らしくないのだ。

 実際、元倉庫だったからな。とはマスター談である。


「伊藤嬢と言えばどうなんだ?」


 二人の男の内のもう一人、一ノ宮流は、親友である木村隆志にズバリと切り込んだ。

 彼は、見た目は脳筋そのもののこの男が、実は意外と繊細でロマンチストであると知っていて、その恋路の行き先を実は心配していたのである。


「どうって?」


 隆志は陶器のぐい呑に口を付けてさりげなく視線を逸らした。


「社内ではすっかり公認の仲だぞ?」


 途端に、隆志はぐぷっという怪しい声を発して咳き込む。

 その様子に流はツッコむ。


「いや、あれだけ親密に行動しててそれはおかしいだろ。むしろ伊藤嬢に謝れ」

「いや、お前こそなに言ってんの? なんでそういう話になるのさ」


 むせた分をごまかすように隆志は皿に盛られた料理を口にする。

 この店は酒場ではなく多国籍食堂で、マスターが渡り歩いて覚えたあちこちの料理を出しているため、見覚えの無い料理も多い。

 今隆志の食べているバナナのフライも、当初の予想に反して甘い物では無く、サトイモに近い食感で普通に酒に合った。

 今彼等が飲んでいる酒もベトナムの物とのことだった。

 マスターの奥さんの地元の酒で、米を原料にしているせいか日本人にウケがいいらしい。


「あっちはさ、俺のことを恩人と思い込んでるんだぞ?」

「素晴らしい話じゃないか。彼女はお前に強く心を惹かれたということをお前に対してアピールしたんだろ? 恩人なんてのは普通自分の中にとどめておくような言葉だ。それを敢えてお前にぶつけたということは、そうでもしないとお前は彼女を心の中へは踏み込ませないと判断したという訳だ。『あなたの全てを受け入れますから私を受け入れて』と迫られているんだぞ? わかっているのか?」

「すげえ都合のいい解釈だな」

「お前は察しが悪すぎるんだ。たとえそれがどれほどの恩人だろうと女は気の無い相手と二人きりになったり手作り弁当を用意したりしないぞ。女は決して妥協はしない」

「お前の彼女という方々はそうだろうけど彼女がそうとは限らないだろ」


 異国情緒溢れる店内にモーツアルトが流れている。

 もしかしたら大学での課題曲なのかもしれない。

 誰もが名前は知らなくても聞き覚えのある曲の三パターン程がずっとローテーションで弾かれているようだった。


「あれだな、お前は女にとって最悪の相手だ。優しいふりをして実は自分を守っているのさ。伊藤嬢も気の毒に」

「おい!」

「なんだ? 怒る意気地はあるのか?」


 流の挑発するような言いように、隆志は溜め息を吐いて振り上げた手を引っ込めた。

 弾き手もさすがにモーツアルトに飽きたのか、ピアノの曲相が変わって、ショパンの優しい響きでピアノが歌い始める。


「まあ、確かに怖いのかもな、俺は」


 ぼやくようにそう言うのを、流は勝手にしろとばかりに聞き流した。


―― ◇◇◇ ――


「さすがにかなり冷え込んで来たな。そろそろコートの出番かな?」


 店を出て、単なるそぞろ歩きの姿もやたら目立つ友人を横目に見て、隆志は何度目かわからない溜め息をこぼした。


「気持ちよく飲みに来たのに説教を食らった」

「拗ねるな。男が拗ねても全く可愛くないからな」

「モテ野郎は砕け散ればいいよ」


 ふと、二人の視線が汚れた雑居ビルの壁に向く。

 ネオンの灯の下、そこに小さな影が素早く動いたのだ。


「ん? 虫か?」

「いや戸影トカゲだな」

「トカゲ? あの背中がテラテラしたやつ?」

「生き物じゃないやつだ」

「おいおい」

「大丈夫。このサイズなら人間にとってはむしろ益になる類のやつだ。人の吐き出した昏い想いを食うからな。澱みが生まれにくくなるんだ」

「ほう、それで、でかくなるとどうなる?」

「邪念の多い人間に取り憑いて精神を食い荒らす」

「なかなかシュールだな、妖怪の一種なのか?」

「どちらかと言うと精霊に近い。家守ヤモリとほとんど同種だがこいつらは一箇所に留まらないから、たまに同族で交わって集合体になっちまうんだな」


 隆志は建物の影の部分に何気なく指を這わせるとピンとその指を跳ね上げた。

 すると先程の小さな影がその指に姿を現し、慌ててまた壁の影に逃げ込む。


「おい、大丈夫なのか?」

「だからこの大きさなら害は無いって」

「しかし、すっかり古代のロマンが蘇った感じだな」

「ロマンとか呑気に言ってられるような状況で済めばいいんだけどな」


 彼等がそんな風にのんびりと出来たのはひときわネオンの派手な通りに出るまでだった。


「あ、せんせ。やった! 私が一番に見付けたから今日はうちの店に来てくれるんですよね」


 流に駆け寄る女の子を見ながら隆志は呆れた声を上げた。


「なんだまた怪しげなゲームでも始めたのか?」

「失礼な。女の子達が自主的に決めたルールだよ」

「……女の子『達』とか、一度痛い目を見ればいいのに」

「男の嫉妬は醜いぞ」

「言っとけ」


 その頃、隆志に少々虐められたトカゲは、賑やかな夜の影を次々と渡っていた。

 より昏い臭いを追って雑居ビルの地下へと入り込む。

 廊下の照明もところどころ点滅しているような場末の飲み屋や、移り変わりの激しい店舗に囲まれて、表から扉へ板が打ち付けられて封鎖されている店があった。

 何か酷い破損があるのか、それとも水商売にありがちな縁起担ぎか。

 気にする者はいても、あえて深く探る者はない。

 そんな、よくある見過ごされた場所。

 その扉の内側へ、厚みを持たないトカゲは入り込む。

 誰もいないはずのその場所には、なぜか明かりが点っている。


「ようこそ、我が主の統べる試練の場へ」


 唐突に発せられた声は、しかし影の中の存在に向けられたものではなかった。

 数人の、いかにも暴力を生業とする人間の気配に、小さなトカゲは彼なりの期待を感じる。

 それはご馳走の気配と似ていたのだ。


「しっかし、よくもまあ考えたもんだな。入国ゲートと迷宮のゲートを一つの部屋に並べちまうとはな。普通は場が安定しないもんだが」

「……あまりお口が軽いと、命も軽いと言いますよ?」

「おいおい、どこででもしゃべったりはしねえさ、ちゃんと毒杯の誓いを交わしただろうが」

「まあよろしいでしょう。それでは、よい戦いを行って主を楽しませてください」

「ああ、お宝をがっぽりいただいてみせるぜ。じゃあ、世話になったな」


 空間のゆらぎと共に、部屋の中には静寂が満ちる。

 小さな影の獣は、『臭い』を嗅いで、この場所の淀みが自分の好みより濃厚過ぎると感じた。

 いつもの、酔っぱらいがゲロと共に吐き出すご馳走がある路地のほうがいいかもしれないと、そう思ったトカゲは、淀みに沈むその場所に、もはや何の未練もなく影の中をするすると移動して地上の世界へと戻って行った。

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