53、迷宮狂騒曲 その三
電算機の通信回線ランプの光が激しく瞬くのを横目に、俺は溜め息を吐いた。
俺がハンター協会本部に今回の迷宮事件の詳細を文書通信で送ったのは当日の夜。
ことがことだけにすぐさま確認が来るだろうと思っていたが、案に相違して本部から連絡が入ったのはその二日後だった。
分割されたディスプレイの中で、ハンター協会アジア担当職員と、翻訳フィルターを通したラグによって、微妙に言葉と表情がズレる本部事務局長、そしてなぜかお菓子の人とうちの妹、総勢四人の画像が、様々な表情でこちらに目線を向けている。
ゲートによる認証通信、いわゆるゲートウェイ接続を利用した空間転送通信なので通信自体にはラグはない。
つまりリアルタイムで俺の目前でお偉いさん達がしゃべっている訳だ。
気が重い。
半日も時差があるのにご苦労な話である。
今すぐパソコンの電源を落として、不測の事態を装って、俺だけ抜けてしまいたい誘惑に駆られる。
「敵前逃亡をしたりすると、妹君に嫌われるよ、隆志くん」
そう思った瞬間、酒匂さんから個別の文章チャットが届く。
くそっ、だからガキの頃から知られてる相手ってのは嫌なんだよ!
『NK1、報告書は検討され尽くされたが、新しい事柄が多すぎて、組織としては対応に慎重にならざるを得ない。今回、貴君の所属国家の対策担当長に同席願ったのは、ことによっては国家の利益に関わる問題になるからだ。ハンター協会としての対処は、現時点においては静観となるが、個々の情報開示については、通常任務に準拠すると思ってくれていい』
免許ナンバーで人を呼ぶハンター協会の担当官は、そう生真面目に告げた。
ハンター本部としては基本ルールで対処不能な事態にならない限り通常運行ということなんだろう。
まあそりゃあそうだろうさ、今までもっととんでもない事態を捌いてきた組織なんだから、なんか起こるたびに変更しなきゃならん程融通の利かないシステムだったら、ハンター協会という組織自体が早々に立ち行かなくなっていたはずだ。
なにしろメンバーが規格外ばっかりなんだからまずそこで躓くだろ。
『我が国の中枢都市で起きた事件だ。対処のための知識と資料が必要です。一段階深い特別措置、正確に申し上げれば緊急時特例法による対処を要求したい』
事務局長の言葉に抗議するかのような発言だが、内容的には資料の要求である。
酒匂さんの言葉は過激なのかそうでないのかちょっと聞いただけだと判断がつかない。
というか、いやいや酒匂さん。
特例法ってあれだろ? 世界的危機における特例に対して用いられる特殊な条件下の措置。
それって、あの連合国の終わりの魔獣事件の時だって発動されなかったよな?
それを要求するのって無茶すぎるだろ。
俺がそんな天上の戦いさながらのやりとりを気にしていると、
『NK1、貴君の報告内容に幾つか整合性を欠く部分が見受けられるが、これはいかなることか?』
油断を突くように、担当官が切り込んで来た。
『私も確かめたい事があります』
なぜか由美子まで堅い声で言って来る。
なんだ? どうした?
確かに報告内容は詳細さとは無縁だったかもしれんが、嘘はないぞ。
「えっと、何でしょう?」
恐る恐る聞いてみる。
『まず、一番肝心な点だが、なぜ迷宮内で一般人を置き去りにしたのかね?』
なるほど、そこを気にするんだ。
この人ら、一般人とハンターならハンターを生き残らせろとか豪語してやまないくせに、一応常識的なことも考えるんだな。
「一般人が迷宮に入り込んだのは俺の力の及ぶべくも無い突発事象です。俺も彼等の後を追ってその空間に入り込むまでは、そこが迷宮であることすらわかりませんでした。迷宮である以上は統括存在を倒さなければ脱出出来ない訳ですが、その際素人を三人も連れての移動は危険すぎました。ご存じの通り、迷宮内の怪異は担当ポイントに待機していて、索敵範囲に移動する者を感知すると攻撃スイッチが入り襲って来ます。時間を掛けて移動すればする程危険は高くなる。幸いその場には怪異への対処をある程度学んでいた人がいましたから、彼らには移動せずに守りに徹して貰ったんです」
まあこの説明は報告書に書いたままなんだけどね。
画面の向こうでは、担当官の新大陸南部の住人独特のくっきりとした眉が持ち上げられた。
ハンター本部は国際組織だが、本部の建物がインカにあるせいか、その辺りの人種が内勤にも多い。
翻訳術式も使わずにアジア方面の言語を網羅しているこのアジア方面担当官は、現地のエリートという域を楽々飛び越え、もはや変人の類だけどな。
『その情報は報告書に記載されている通りだが、私の問題にしているのは、なぜ、直後に突入したはずの君が、一般人が彼らのみでバリケードを築くまで合流出来なかったか、なのだよ。その空白時間、君は何をしていたのだ?』
あーはいはい、なるほどそうですね。気になりますよね。ち、出来るなら話したくは無かったんだけどな。
「……途中で足止めをくった」
『ほう?』
なにが「ほう?」だ、くそったれ。
大体わかってやがったくせに。
『なんでまたその部分の報告を省いたのかね?』
しつこいな。
「逆に聞くが、今回の件は任務外、プライベートで遭遇した事件の自主報告だろうが。なにもかも報告しなきゃならない義務はないはずだぞ?」
『おや、私は報告漏れについて君を責めたりしたかな? もしそうなら申し訳ない。ただ単に興味があったから尋ねただけなんだが』
こいつ、いつか本部に乗り込んで締め上げてやる。
『ペテル担当官、兄さんはあいつにトラウマを持ってる。仕方ない』
そんな俺の様子を見てどう思ったのか、由美子がフォローなのかなんなのかわからない合いの手を入れた。
は? 心的外傷だと?
馬鹿を言うな。
俺は単にあいつの話をしたくないだけだ。
『そうか、シュッテンだったか?』
他は流暢な日本語で話すくせに、なぜか名詞になると途端に外国人っぽいしゃべりになるアジア担当官は、何か愉快な発音でヤツの名を告げる。
いいなそれ、俺も今後奴の事をシュッテンって呼んでやろうかな?
「トラウマなんぞない。単にあいつが嫌いなだけだ。そう、足止めをしたのはこの迷宮を仕掛けやがった化け物、酒呑童子だ」
まあ実際はその配下の白音な訳だが。今ここで白音の話は出来ない。
白音と俺が顔見知りである理由とかを話す羽目になれば、子供の頃の出来事までさかのぼって聞かれる可能性がある。
情けない話だが、俺自身が未だに消化しきれてないことを他人がどう判断するか、考えるのが恐ろしいのだ。
『その酒呑だが。人類救済のための迷宮だと言ったらしいな』
いつの間にか天上の戦いを終えたらしい酒匂さんが、こっちの話に加わって来た。
というか、その会話はボス戦突入前の話なんだけど、時系列を飛ばしてしまって構わないのかな?
俺としてはありがたいんだけど。
「いつもの大言でしょう。やつら世紀を越えて生きる怪物達は大仕掛けな遊びをしたがるものですから」
長く存在し続けた名有りの怪異の言葉など、真に受けると大変なことになる。
なにしろ大半がチャームやカリスマ持ちなので、その言葉ひとつで踊らされる人間は多く、ここ最近の話でも、世界がもう少しで大戦に突入し掛けた事例すらあるのだ。
『だが、人類が戦う術を忘れ始めているのは事実だ。僅か一世代分の時間で人間は安らぎに慣れすぎた』
酒匂さんの言うことは確かに俺も感じている。
でも、それは決して悪いことばかりじゃないはずだ。
『確かに君達ニッポン人や新大陸連合、諸島王国はそうかもしれんな』
ハンター本部事務局長が、いかにも我が国は違うというニュアンスでそう言った。
まああんたらの国は未だに石積みの都市城壁だもんな。
頑なに電気式結界を使わないんだよな。
兵器とかはうちの国より遥かに近代化してるみたいなんだが。
インカ帝国は実体化した怪異をテイムして戦わせるというやり方をしている国だ。
もちろん詳細は明かされてないが、選ばれた戦士が血の盟約によって代々受け継がれる怪物を使役して戦うらしい。
何度か記録映像を見たが、あっちは敵の怪異もとんでもなく巨大で危険な存在が多く、まるで怪獣大決戦の様相を呈していた。
恐るべき神々の地である。
『平和を希求するのもまた人の正しき姿でしょう。実際、この五十年の人類の繁栄は、過去千年に勝ります』
『程度の問題だ。戦いと安寧は拮抗すべきなのだ。堕落を生み出せば滅びへと突き進むのは必然であろう』
酒匂さんに向かってニヤリと笑う精力的な顔。
ハンター協会は、言わば人類の持つ暴力を体現する組織でもある。
武器や兵器による間接的な暴力が主体となった軍と違い、何百年もほとんど変わらずに直接的な個人の暴力を主体としているのがハンターであり、それを組織として運営しているのがハンター協会なのだ。
だからその思想が肉体言語寄りなのは仕方がないと言えばそれまでだけどな。
だからこそ、組織の中には力こそ正義じみた感覚の者が多い。
昔から囲い地で精霊に守られていた農耕民族である我が国とは、根本的な部分に考え方の違いがあるのがむしろ当然なのだろう。
『しかし何にせよ、我が国は化け物に教えを乞う気はありません』
酒匂さんが断言する。
理事長もイイ笑顔を返した。
『当然だ』
どちらも人類の誇りを持っている。
終天ごときに自分たちの築いてきたものを否定させる気は無いのだろう。
なんとなく安心した。
『だからこそ私は人類の叡智にこそ頭を垂れたいのですよ。ハンター協会の長年蓄積された知識を頼りにしています』
『仕方がない。が、特例措置は適用出来ない。情報開示の条件付与、その手続きのための資料を送るので、正規の手続きを踏んでもらうぞ』
『はい。ありがとうございます』
どうやら何か折衷案がまとまったらしい。
あっちの話に首を突っ込むのはどう考えても自殺行為なので、聞き流そう。
『兄さん、迷宮内に同行した一般人の資料をこちらに渡してください。今回の件は依頼を受けての対処ではないので協会本部に詳細を知らせる必要がないのはその通りですが、共闘関係にある相手とは情報を共有するのが当然だと判断します』
由美子がなぜか厳しい口調で要求して来た。
まあ確かに正論だ。
パーティとは形式が違うとはいえ、共に協力し合うハンター同士に齟齬があると拙い。
「わかった。詳しい話は今度会って話そう」
『兄さん、少しことの重要性が理解出来ていないようですね。『今度』などと悠長に言っていられませんよ?』
「へ?」
由美子の強い口調に疑問が湧く。
どういうことだろう?
しかし、俺が乏しい想像力を働かせる前に、酒匂さんから答えが投じられた。
『この場に私がどうして同席していると思っているんだ? 国からの正式な依頼だ。木村隆志、木村由美子、両者に長期契約での協力依頼を要請する。ちなみにこれは緊急事態発令に伴う国家としてのハンター協会への依頼だ。断るという選択肢は無いと思ってくれ』
なんだって?
それは、俺の中でもう終わった話として片づけられていた迷宮の一件が、実はまだ始まったばかりだったのだと、ようやく気づいた瞬間だった。