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エンジニア(精製士)の憂鬱  作者: 蒼衣翼


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45、おばけビルを探せ! その七

「う……本当にここに通路があるの?」


 園田女史は、不安定に積まれたビールケースをつつきながら不安げに言った。

 気持ちはわかる。

 不思議大好きで勢いで突入しやがった連中と違って、女史は大人で常識人だ。

 目に見えて触感まではっきりしている物を、いくら理屈ではわかっても、幻影だとは思えないに違いない。

 むしろ躊躇なく飛び込んで行った連中がおかしいのだ。


「園田さんはここに待機していて貰えませんか? 全員が入ってしまうと何かあった時に助けも呼べなくなってしまいますし」

「な、何かあった時って」


 む? 声がうわずっている。

 不安にさせちゃったか。


「不自然な目眩ましですし、万が一、魔術テロとかの可能性もあるかもしれません」

「魔術テロ!」


 新大陸連合が終わりの魔獣によるテロリズムで甚大な被害を被ったのは記憶に新しい。

 園田女史はゴクリと音を立てて唾を飲んだ。

 あ、益々緊張させちゃったよ、こういう交渉事とか駄目だよな、俺。


「ですから、もし一時間程経っても音沙汰無いようでしたら、うちの妹に連絡していただけませんか? いきなり警察っていうのも事件の確証がありませんから厳しいかもしれないでしょう? その点うちの妹なら、オカルト関連の大学に通っているので、専門家に囲まれています。誰に相談するにしても、もし通報という事態になったとしても、専門家ならより正確な判断が出来るでしょうし。あ、これ、うちの妹の携帯番号です」

「え? ええ」

「一時間は長いですけど、ほら、そこに喫茶店があるじゃないですか。あそこからならここも見えるし、なんとかお願いします。一時間も待てないようなら三十分でもいいですから」


 迷っている人間というのは、より心が傾いている方向に行かざるを得ないよう誘導すれば、心理的な負荷を負うことなくあっさりと動いてくれる、というのがうちの弟の言だ。

 その考察通り、最初はどこか納得し切れていないようだった園田女史も、案外簡単に待つことを受け入れてくれた。

 むしろホッとしているようにすら見える。


「伊藤さ……ん?」


 園田女史と一緒に待っていてもらおうと呼び掛けた俺の言葉は、しかし途中で勢いを無くした。

 彼女は今まさに問題の通路らしき場所に体を滑り込ませようとしていたのである。


「他の人達を見失うといけないから先に行きますね」


 そう言い残し、するりと姿を消した。


「うわあ、待った!」


 慌てて後を追う。

 ああもう、これじゃああのお馬鹿なカップルをとやかく言えないな。

 体当たりで商品の山を突き崩すような、気分的にも嫌な感覚を一瞬感じながら、目眩ましの入り口を通り過ぎると、途端に空気が切り替わる。

 季節的にまだ早い、ひやりとした冷気が押し寄せ、まるで舞台演出のドライアイスのように、瘴気が重く足元に漂っていた。

 普通の人間ならすくみ上がって足が止まってもおかしくない状況だが、その入口周辺には既に人影はない。

 どんだけ勇猛果敢なんだ? 全く面倒な連中だ。


「木村さん、こちらです。急ぎましょう」


 伊藤さんが通路の先からきびすを返して戻って来ると、ギュッと俺の手首を掴む。

 周りの冷気に冷やされてか、その手は酷く冷たかった。

 通路には、狭い隙間にありがちのなんだかわからないゴミや破片が散らばっていて、歩きにくいことこの上ない。

 おまけに全体的に薄ぼんやりとした通路の中で出口はそこだけ明るく、もうすぐそこにあるように見えるのに、なかなか辿り着かないのだ。

 まるで騙し絵の中を走っているような現実感の無さである。


「もうすぐです」

「そう願いたいね」


 正直うんざりだった。

 足元でガラガラとかバキバキとか派手な音が聞こえるのを丸々無視して駆け抜け、ようやく通路を抜けると、見慣れたビジネス街が目前に現れた。

 随分長い通路だと思ったら、間道二つぐらい抜いて直接隣の区域にまで続いていたようだ。

 そりゃ長いわ。


 休日のビジネス街は酷く静かだった。

 普段働いている人間がいないのだから当たり前だが、それにしても静か過ぎた。

 人っ子一人いない。


「先に入った連中はどこに行ったんだ?」

「こっちです」


 伊藤さんが俺の腕を強く引っ張った。

 ……いや、それは伊藤さんでは有り得ない。


「他の連中をどこにやった? それにその姿はやめろ、不愉快だ」


 さすがに我慢の限界だった。

 俺はそういう騙し方をされると酷くむかつくのだ。

 こういう場合に、相手の手に乗ったフリをして奥深くまで侵入するとかは絶対出来ないし。


 俺がその細い手首を逆手に掴むと、伊藤さんの姿をした相手はそれを軽く振り払う。

 いや、その軽く振ったように見えた手に籠っていた力は恐ろしいくらいに強かった。

 それなりに構えていたはずの俺が思わず後ろによろめいたぐらいだ。

 普通の人間なら弾き飛ばされていただろう。


「どうしておわかりに?」

「相手を騙すつもりなら親しい人間に化けるのは止めておくんだな。どうしたって違和感がある」


 だがその一方で、違うとわかっていても攻撃を仕掛けることが出来ないという効果はあったけどな、教えてはやらんが。


「そうですか、参考にいたします」


 しなくていいぞ。


 そいつはびっくりするぐらい素直に、しかし一切無表情のまま、表面を覆っていた伊藤さんの姿を消し去る。

 やりにくさが解消されたと思ったのもつかの間、姿を現したその相手に驚きを禁じ得なかった。


「おまえ……」

「お久し振りでございます。以前お会いした時はお小さかったのに、すっかり大きくなられましたね」

「そりゃあ、人間は成長するからな」


 その全身に纏う色合いの全てがほの淡く、ただその両目だけが夕陽が宿ったように(あか)い。


白音(しらね)、か」


 俺がほんのガキの頃、終天の結界に誘い込まれたことがある。

 白音とはそこで出会った。

 その見掛けは、ただの色が薄いだけのあどけない少女だが、その実態は人から転身して数百年を経た鬼であり、なによりも、この鬼は終天の腹心中の腹心だ。


「あんたが出て来るってことは、これは奴の仕掛けってことだよな。で、それで、先に入った他の連中はどうしたんだ? 俺が気が短いことは知ってるだろ? 隠し立てしないでくれるとお互い嫌な思いをせずに済むぜ」


 尤もこいつに嫌な思いが出来るだけの感情があるかどうかは知らんが。


「こちらから他の方々をどうにかしたりはしていません。あの方達は、自分から迷宮(ラビリンス)に入り込んだだけ」

「ラビリンス、……迷宮(ダンジョン)だと!」


 途端にぞっとした。

 背中に嫌な汗が噴き出る。


「はい。ここは(ぬし)さまのお造りになられた救済の迷宮です」


 感情の窺えない淡々とした声が告げる内容は絶望を示す。

 人の手で作られた幻想迷宮(ニセモノ)ではない、伝説級(レジェンドクラス)の怪異によって作られた迷宮。

 そんなものを攻略した話など、それこそ伝説にしか存在しない偉業なのだ。


「ただ」


 白音は俺の驚きなど意に介することなく、更に言葉を続けた。


「この迷宮の最下層であるここは、現実の世界に単に被せたのみの構造になっています。なので、無反響(むのうりょく)の方は、重なりあった現実のほうに抜けてしまわれました」

「無能力者はこの迷宮には入れないってことか」


 ということは伊藤さんは無事か。

 そう考えて、ついホッとしてしまった自分を、俺は心中で激しく(ののし)った。

 あのカップルの女の方も無能力者だったから、今、この迷宮にはおそらく「俺俺」のユージ青年、それと俺の同僚でもある御池さん、少なくともこの二人が先に入り込んでいることになる。

 安心していいはずがないのだ。


 迷宮は現実となった悪夢。

 何の訓練も受けておらず、何の用意もしていない一般人には一歩歩くだけで死の危険が付き纏う場所だ。


「お連れの方々がご心配なのですね? ですが、一人で闇雲に走りだす前に私の話を聞かれたほうがよろしいかと思いますよ」


 思わず走り出そうとした俺の背に、白音は静かにそう呼びかけた。

 その声には無視出来ないだけの力もある。


「どういうことだ?」

「この迷宮は、これまで存在した他の迷宮と全く違う性質を持っているのです」


 そうして白音は説明した。

 千年を超えて存在する伝説級の怪異、終天童子の創り上げたその傲慢さの現れのような迷宮、奴の言う所の「救済の迷宮」の在り方を。


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