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37、終天の見る夢 その六

 良い酒だったんだけどな。

 口直しにと、流に連れて行かれたのは、カウンター席のみのカクテルバーで、内装が渋過ぎて若者のカップルとかは寄り付かなさそうな店だった。

 たぶん隠れ家的な店というのは、俺が流を引っ張っていったああいう本当にヤバい店ではなく、こういう雰囲気のある店のことだと言いたくて誘ったんだろうな。

 遠回しな嫌味だ。


 ともかくそのカクテルバーで、ジンベースの強いやつをやった訳だが、残念ながらお馴染みのとろりとした酩酊感は一向に訪れなかった。

 身体が臨戦態勢になっているせいだ。


 流と別れて家路を辿る。

 地上の星に喩えられる夜のネオン街には、普段からある程度の澱みがあった。

 しかし、今周囲に薄く微かな香りのように漂っているのは間違いも無く瘴気だ。

 まるで怪異を育む温く穏やかな揺籃のように、この街は静かに変貌を始めている。


「まあ、瘴気に関しては、携帯電話や取引端末札(カード)を利用して呪防(ガード)システムを立ち上げると聞いているからなんとかなるだろうが。……ごくわずかだが、もう悪夢の気配がありやがる」


 チリチリと皮膚の表面に静電気が走るような不快感。

 馴染みきった迷宮(ダンジョン)の気配だ。


「やろう、早速巣作りを始めたか」


 予想より早い。

 これはもしかすると外では狩りを行なわないつもりなのかもしれない。

 行政府からしてみればありがたい話だろう。

 一般市民からは犠牲者が少ないほうがいい。

 冒険者が迷宮(ダンジョン)で野垂れ死ぬのと一般人が街角で怪異に食い殺されるのでは、治安への不安に天地の差があるからな。

 終天のくそったれやろうの言う所の、かそけき虫共の平安を守るって訳だ。さぞや得意顔でご高説を垂れるだろう。


「ねえ、貴方。ちょっと死んでくれないかしら?」


 繁華街の雑踏を抜けると、ネオンが減る。上着を肩に引っ掛けただけの薄着のお姉さんがこちらの懐具合と酔いの加減を見計らって声をかけているような場所だ。そこで、いかにも気の強そうな女性が親しげに声を掛けて来た。

 いや、口調だけは親しげだが、内容はちょっとヘビーだったんだけどね。


「残念ながらまだ予定には無いなあ」


 俺の言葉に女は艶然と笑うと、さらりと自分の前髪を掻き上げて見せた。

 その額には小ぶりのツノがあり、たちまちの内に真っ赤に塗られた女の口が酷く大きく広がって、指先の爪が鋭く伸びる。


「鬼か」


 この国で鬼というのは、怪異に憑依された挙句異形に墜ちたモノを指す。

 これらが厄介なのは、普通の怪異が目的意識以外はまっさらで単純である所を、鬼は宿主の知識を利用しようとすれば利用出来るという所だ。


 しかも、その中でも最たる厄介な相手は、自ら怪異を受け入れた者。

 そういう鬼は、人間としての知識と能力を失わず、意識と力だけが人外に切り替わったモノとなる。

 怪異の信奉者のほとんどは、遅かれ早かれそういった鬼に変化してしまう。

 なにしろ怪異の傍で過ごすということは、もれ無く間近で瘴気を浴び続けるということなのだから。当然の帰結だろう。


 ということで、この女鬼はまぁ終天童子の眷属なんだろうな。


「おいおいお嬢さん、結界も無しでやり合うつもりか? あんたの主の主義に反するぜ」


 終天の主義からいって、街中の襲撃があるとは思わなかった。

 もしかしなくてもこのお嬢さんの独断専行だろうか?


「生憎、私は我が君のようにお優しくはないの」


 お優しい、ね。

 怪異に対して人間のように表現する言い方に、思わず鼻で笑うと、馬鹿にされたと思ったのだろう。

 人の面影を纏っていた顔が一気に鬼面に変貌した。

 手足に走る赤い呪紋は(しゅてん)から与えられたものだろう。

 固有魔術を増幅させているのか、いくつかの寄与魔術を持っているってことだ。


「死ね!」


 鬼女の、一切の装飾を廃した直裁な言葉が呪となって押し寄せる。

 まるで地面を引き裂く鉤爪の跡のような三叉の炎が俺に向けて殺到した。

 人目なんぞ気にせずに仕掛けて来る。

 本当に見境ないなこいつ、鉄砲玉かよ。


「きゃああ! 火よ!」

「女が火の術式を放ったぞ!」

「無理心中だ!」


 場所が場所だけにどうやら周囲には痴話喧嘩か何かと思われているらしい。

 というか、魔術使って心中とかどうよ?

 呪符とかって正式ルートでも一枚数万円するんだぜ?

 しかも一般人からすれば(ハジキ)なんかより入手が難しいし、どんだけレアケースな心中だ。


 周囲の騒ぎを背景に、迫って来る炎をサイドステップで避けながら、この先の展開を考える。

 取り敢えずハンター証によるメンバー招集(コール)機能で由美子には緊急事態の通達と、対策本部への事件通達エマージェンシーコールは発信済みだ。あと、問題になるのは周囲の安全確保である。


 幸いなことに、火を見た野次馬連中は危険を避けて大きく距離を取ってはいる。

 そのため、すぐには危険は及ばないが、相手がどんな魔術を行使するのか不明な以上、この程度だと完全な安心は期待出来なかった。

 もし範囲魔法を使われれば、極低位の物でも半径五m程度には被害が及ぶ。

 つまり、その程度の物であってすら、ギリギリ巻き込みそうな距離に人がいた。


「おい! お前ら避難しろ! この女爆発物持ってやがるぞ!」


 腹に気を溜めて言い放つ。

 ただでさえ大声は人の判断力を殺ぐもんだ。

 その上、気が籠った声には一種の強制力がある。

 周囲にいた野次馬達は我が身が大事と悲鳴を上げて逃げ出した。


「あらら、逃がしちゃったの? 二、三匹巻き添えにして夜食か朝御飯として持って帰ろうと思ってたのに」


 物騒なことをさらりと言ってのける鬼女に、俺は獰猛に笑って見せる。


「安心しろ、お前は帰れない」


 俺の言葉に、鬼女は長い舌でゆっくりと己の口元を舐め上げて見せた。


「その自信は神狩りの血ゆえ? ふん、勇者血統とか綺麗に言葉を飾って言い繕ってみせても、貴様らなど、人の手で作られた生きた道具に過ぎぬくせに! もし異形が悪だと言うのなら、人の手によって造られた歪な貴様らこそが天に仇なす存在であるだろうにね。そんな化け物が、神として生まれたあの方を煩わせるとは、身の程をわきまえるんだね。まあ、せめて我らに貪り食われる栄誉に浴することで満足しておくがいいよ」


 火の弾が、言葉の一つ一つに呼応するように生じると、不規則な曲線を描き、舞うように乱れ飛ぶ。

 それは、こんな場合じゃなきゃ実に綺麗な光景だ。

 しかし、これ、下手すると火事になるんじゃないか?

 やべえぞ、対策室の結界師早く来い!

 頭の中で色々と考えながら、四方八方から襲い来る火の弾を無意識の領域で避けて走る。

 二呼吸で、術行使のために制止状態の鬼女に触れ得る程に接近した。


「な、貴様!」


 鬼女が慌ててのけぞると、周囲を埋めていた火の弾が消滅する。


「こういう複雑なコントロールを必要とする術は、身動きが取れなくなるのが泣き所ってね」


 弟がいつもそれでぼやいてたもんだ。

 勢いに乗せた掌を、押し出すように鬼女の喉の直下、胸の中心辺りに叩きつける。


「ぐっ!」


 たとえ怪異と交わった化生であろうと、呼吸をする生物であることは変わらない。

 そして、呼吸をする生物は、息が詰まれば反射的にその動きが止まるものだ。

 俺はそのまま体を半分捻り、同じ箇所に肘を打ち込む。


「がっ!」


 鬼女は、自らの意思とはかかわりなく体内の空気を吐き出し、そのまま地面に転がった。


「おのれ! 汚らわしき呪われた道具め!」


 怒りに歪んだ顔には、既に元の面影などどこにもない。

 亀裂と歪みだけに覆われた人型をした化け物は、ゆらゆらと陽炎を通した風景のように揺らいだ。


「私が! 私が! お前の血肉をあの方に捧げてお褒めの言葉をいただくのだ!」


 その全身から火を吹き出す。

 彼女は、もしかしたら人間の時は炎の異能者だったのかもしれない。

 異能の力を持つ者で最も多いのが火を操る力だ。

 なんでも、人間の体の細胞は、元々熱を発する機能を有するので、それが発展した力だからだそうだ。

 だが、その一方で、自滅をし易いのもこの力を持つ者だ。

 人の体は燃えるのだから。


「そうか、あいつに相手にされなかったんだな? それで俺に八つ当たりか。いいんじゃないか? 俺はそういう情熱的な女は嫌いじゃないぜ」

「うるさい! お前が死ねばあの方は私を見てくださるさ!」


 うん、俺の口説き文句は綺麗にスルーされたな。

 まあいいさ、昔から女にモテたこととか無かったし、予想はついてた。


 でも残念だったな。

 終天は、絶望にのたうちまわる生気の薄い人間が好みらしいぞ。あんたみたいな前向きで情熱的な女は歯牙にも掛けないだろう。

 全身炎の生きた松明のようになった鬼女は、火に包まれながらも壮絶に笑った。

 熱くないんかな?


 咆哮が上がる。一瞬の硬直を狙った特殊効果持ちの咆哮だ。

 どうやらこちらの動きを封じて、そのまま抱きついて来るつもりのようだ。

 女性との熱い抱擁って、長年の憧れではあったんだけど、ちょっとだけ夢見たのと違う気がする。

 あんまり嬉しくないのは俺が贅沢なのかな?


「自らの愚かさを他者に押し付けるとは、笑止ですね」


 場違いなぐらいに涼やかな声が鬼女の背後から響いた。


「な、あっ!」


 振り向こうとして、炎の影は崩折れる。

 本人には何が起こったのかわからなかっただろうが、俺には見えた。

 拳大程に巨大な蜂のようなモノが、鬼女の真後ろからその首に針を打ち込んだのだ。

 怪異の弱点はその姿に依存する。

 人から変化した鬼も当然同じだ。

 中枢神経に凶悪な毒となる呪を流し込まれ、その鬼は一瞬にして滅びたのである。


 動かないその体を、自らの火が燃やし尽くす。

 コールに応えて駆け付けてくれたのであろう由美子に、礼を言おうと顔を向けると、そのまなざしは酷く冷ややかに俺に向けられていた。

 あれ?


「兄さん、そんな鬼なんかと戯れて」


 え? なに? どういうこと? 俺、遊んでたんじゃないよ? ちゃんと戦っていたよ?


「情熱的に迫られて、嬉しかった?」


 あ、ああ、聞いてたの? 俺の口説き文句。

 あれはほら、油断を誘おうとしていただけで、別に本気で口説いてた訳じゃないからね。


「いや、ちょっと待て」


 言い訳をしようと口を開けた俺を、由美子はもう一度()めつけた。


「寝入りばなに起こされて眠いので帰る。後はお願い」

「ちょ、ユミ! あ、あのな」


 帰り掛けた由美子がちょっとだけ振り返った。

 不機嫌そうな顔が俺の言葉を促す。


「夜遅くに呼び出してすまなかった。ありがとうな」


 由美子は俺の言葉にため息を吐くと、「うん」とだけ返事を残して踵を返した。

 いつの間にか張られていた結界が周囲の喧騒を遮断して、都会の只中とは思えない静けさが周囲に満ちる。


「ご苦労様です。処理対象はそちらですか?」


 由美子と入れ替わりに近寄って来たのは、対策室の担当官だ。

 まさかこいつ一人か? いや、結界が張ってあるから結界師はいるよな?


「お疲れ様です。鬼です。黒焦げの死体に見えても迂闊に近寄らないでください。たとえ切り刻んでもちゃんと処置をするまでは安心出来ない相手ですから」

「承知しています」


 なんかものすごくそっけないな。

 俺よりむしろ戦士っぽく見える、『鋼のような』肉体という形容詞がまさにぴったりな巌のような体つき。

 状況次第では荒事も担当する怪異対策室処理班の制服は、軍の制服よりも実践的で、なんとなくSF映画に出て来る未来の戦士のようだ。


 その男の後をついて来ていた自走式の担架からアームが伸びると、鬼女の成れの果てを回収し、プシュという微かな音と共にゼリー状の物質がそれを包んでコーティングする。

 さすがは中央だけあって、設備は最新式だ。こんな高性能な物初めて見たぜ。

 男は俺に顔を向け、唇を歪めて笑いのような表情を作ると、囁くように告げる。


「こんな有様でも顔色一つ変えられないのですな。さすがと言いますか、やはり鬼の隠し名を持つ一族は違いますな。いわば同族殺しでも平気なのですから」


 思わずその顔を見直したが、既に寸前の嫌な笑みは消え、厳しい顔付きに戻っていた。


「そういうことを公言すると、立場的に困ったことになるのではないですか?」


 侮蔑や嘲り、畏怖に恐怖。

 そんな物はこちらの正体を知る輩から向けられる慣れ親しんだ感情だ。この程度では怒りすら湧かない。

 だが、秘すべきことを気軽に口に出すようでは、むしろこの男の首が危険だ。


「そうですな、申し訳ありませんでした」


 まるで軍人のようなきっちりとした礼をして、男は歩み去る。

 やっぱこの担当官、うちの血族が嫌いなんだな。

 その手のことを律儀に真正面からぶつけて来る相手は少ないので、なんとなく新鮮な気分だ。


 ふと、さっきの鬼になった女を思い出す。

 人として生きていたらさぞ溌剌としたいい女だっただろうに。

 終天のようなひとでなしな化け物なんかに引っ掛かりやがって、馬鹿な女だ。


 イライラする。

 怪異に対してはただひたすらに憎しみしか抱けないように出来ている感情の奥に、人がましい何かを探ってみても雨粒一つ落ちてはいない。


「くそっ!」


 早く帰って蝶々さんと由美子の式神が綺麗な羽根で舞う光景を見たいな。

 何気なく自分の手を見ると、袖口が少し焦げているのに気づいた。


「くそっ……」


 俺はもう一度悪態を吐くと、結界の消えた雑踏の中を家に向かって歩き出した。

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