29、昼と夜 その六
大破したジャマー搭載の装甲車が二台。
本来現場を囲む四方に配置してあったであろうそれは、片側二辺が全壊したことによって向かって右方に二台残すのみという、既に本来の包囲陣としては意味の無い代物と化している。
ことの中心地、破壊の実行者がいるであろう場所は、捲り上げられたアスファルトの壁が丁度海岸にいるフジツボのような形で囲っていて、肉眼で様子を窺う事が出来なくなっていた。
「なかなかに賢いぞ、こりゃ」
俺が現場に踏み込むと、途端にざわりと集団の気が動く。
「君は?」
機動部隊の制服ではなく、組織の階級証も付けていない怪しい男が突然現場に現れればまあ誰でも驚くだろう。
しかし、俺は現場から十分距離を取って設置されている封鎖線を抜ける時に身分を提示しているんだが、現場にまだ連絡が入って無いってのは、いくら現場が切迫していてもいただけない話だった。
「ハンターの木村です」
ハンター証を提示する。
この特殊な金属プレート状の端末は、示すことで基本情報を相手の網膜上に表示するという傍迷惑、じゃなかった便利な機能があり、まさしく否応無く相手に俺がハンターであることを知らしめるようになっている。
つまり、このハンター証を提示された時点で、相手は俺の立場を誤解しようが無くなる訳だ。
「中央にハンターが……」
どこか唖然とした呟きに、どうにも居心地の悪い思いを味わうが、今はそういったことに構っている場合ではない。
さっさと本題に入るべきだろう。
「すまないが、今からこっちの指示に従ってもらう」
現場指揮官だろう、通信機の前で全体を把握して指示を出していた男にそう声を掛ける。
殺伐とした場に似つかわしくない雰囲気の、どこか茫洋とした壮年のその男は、顔をしかめながらも素直にうなずいた。
「で、どうするんですか?大魔法でもぶっ放します?」
冗談を言う余裕があるのは評価したい。
「ジャマーを切るんだ」
簡潔に指示を告げた。
「は?おいおい、あの化け物を野放しにしろってか?」
その途端表面的な敬意を放り出して、激しく反論して来た。
結構骨があるおっさんらしい。
「よく状況を見ろ。今や身動きが取れなくなっているのはあんたたちのほうだ。ジャマーのバランスが崩れたから左翼を盾持ちで固めざるを得なくなったんだろ?このまま放射を続ければ必然的にあの防衛部隊に攻撃が向かうぞ」
「そのようなことは言われずともわかっている。だが戦う術の無い国民のための盾になるのが正しく我々の役割だ。それを厭う者などこの場にはいない」
うん、物凄く立派な意見だ。
無辜の民の一人としては頼もしい話だね。
でもさ。
「無駄死は名誉じゃないぞ。いいから怪異に関しては専門家に任せなさいって」
俺はその見知らぬおっさんの肩を気軽に叩いた。
「な……」
「憑依ってのは深度によって対処が変わる。今の状態で力押しは逆効果だ」
俺の言葉にわずかに逡巡を見せたものの、その指揮官は口の端を歪めてうなずいた。
「どちらにしろハンターには現場での裁量権がある。ここはお任せするしか無い訳だがな」
苦い笑い混じりにそう言うと、その男は部下に指示を飛ばした。
「一機、三機、波動ネット展開止め!準戦闘態勢で待機!」
指示直後、波の押し寄せる波頭のように乱れていた空間の電子が通常状態に戻る。
緊張感を孕んだ静寂が現場を包んだ。
「本官は本庄ニ等武官だ。まさかハンターの指示で動くことになるとは思わなかったが、よろしくお願いする」
「こちらこそ。と言ってもそちらにやって貰うのは、万が一の場合の尻拭いになるんで申し訳ないが」
俺がそう告げると、本庄武官は痛い程強いまなざしを向けて来た。
「具体的な指示いただきたい」
「ジャマーを目標を挟んで相対位置に、発射角を五度ずつずらして散乱波を発生させ得る態勢で再配置」
「な!敢えて基本的なエラーを起こさせると?」
まあ普通はそう思うよな。
散乱波ってのは乱反射波動のことで、その挙動が発射した当人にも把握出来ないのでやってはいけない操作として教えられているはずだ。
「もし、俺達が失敗して、あの子供が憑依最深度に達して転身が生じたら、それで一時的な撹乱を起こさせることが出来る。それと同時に射撃を行い、正確に頭を潰すんだ。通常装備で魔物を倒せる可能性があるとしたらそれぐらいだ。あと、そうだな、光学兵器なんかはあれには搭載してないのか?」
「出力的に無理ですね」
「そうか、機銃は?」
「既に接地が終わっています」
機銃では厳しいかもしれないな。
せめてレーザーがあれば万一の場合もなんとかなったかもしれないが。
「まあ、万が一は無いけどな」
笑って、相手にというより俺自身に宣言する。
助けられないなんて情けないバッドエンドはごめんだ。
うぬぼれではなく、その程度の力は俺にあるはずだから。
「ところで、あいつの、憑依者の母親がどうなったか知っているか?」
肝心要の情報を確認した。
これがわからないと暁生に対しての呼び掛けが出来ない。
「報告によると一命を取り留め、現在病院に収容されているとのことです」
「そうか」
それならなんとかなるか。
状況次第だが。
「そのことは呼び掛けで言ってみたのですが、芳しい反応はありませんでした」
一応既にそれなりの対処はしているってことか。
色々問題はありそうだが、決して無能じゃないってわけだな。
「事件の詳細はわかるか?」
「現場にいた目撃者の詳細報告があります」
寄越されたA4サイズの表示端末を受け取った。
だが、そんな打ち合わせの間にも現場は動いている。
「目標に動きあり!」
素早く視線を送ると、フジツボのように閉じられていたアスファルトの防壁がカラリと開いていく所だった。
「出たか」
ジャマーが止まったので一気に攻勢に出るつもりだろう。
ふと、馴染んだ気配が寄る。
「兄さん、遅くなりました」
俺より現場に近い大学から向かっていた由美子が到着。
いや、お前が遅い訳じゃないんだ。伊藤さんが凄すぎた。
しかしこれで時間が稼げるか?
「物体を個として認識するにはやっぱり視覚だと思うか?」
ほんの子供の時分から一緒にやっていた妹だ。
こちらの言いたいことはすぐに把握してくれる。
「人の五感の中ではそれが一番可能性は高い」
「賢い奴の分析によると、基本攻撃は個々に対する衝撃波を使っての超高速シェイクらしい」
「わかった、確認してみる」
由美子は、ポケットからびっしりと何事か書かれた紙を束で取り出すと、それをほっそりとした指でビリビリと引き裂いた。
あれって単純に破っているように見えるが、ちゃんと法則があるらしい。
「天覆うモノ、雲霞なり」
宙に撒かれた紙片に向けて素早く印が切られる。
風や重力に逆らうようにそこに留まっていたそれらの紙片は、その途端、火に炙られたように端からチリチリと黒く染まり、大気を染める黒雲となる。
夏場に天に向けて聳え立つ羽虫の柱がそうであるように、それは小さな虫の集合体だ。
現場に詰めていた機動部隊の面々から息を呑むような声が漏れ聞こえる。
うん、ちょっと怖い光景だよね。
意志を持ったその黒き雲がうねり、一個の生命のようにアスファルトの殻から姿を表した少年へと殺到した。
少年。
そう、それはかろうじてそう見える外見を残していた。
青黒く染まった皮膚の下で、まるで熾き火のように赤い光が蠢く。
憑依から侵食へと深化が始まっているのだ。
時間はない。
とにかく今はことの詳細を確認しなければならない。
俺は手早く表示端末を操作して内容を読んだ。
十八時頃、交渉員が暁生を伴って自宅へ訪問。
暁生を施設に保護する皆を母親に告げると、興奮状態に陥った母親が包丁を自らの首に突き立て自殺を図る。
暁生の異能が発動して部屋の一部が崩壊。
幸いにも中から外へと弾き出すように力が作用したため、ベランダ方面に大穴が開いただけで被害は留まった。
その時、母親が手にしていた包丁も分解されたため、幸い母親の傷は軽傷だったが、自失状態で病院に搬送。
そうか、暁生、お前……。
ここまでは恐らく暁生は正気だった。
だが、母親が自殺しようとしたのを目撃して気持ちが昂っていたのだろう。
ショック状態だったのかもしれない。
その感情がきっかけとなって生じた怪異に憑依されたのだ。
怪異の元となるモノはどこにでも潜んでいる。
澱みと呼ばれるそれが長年凝縮して存在を得るか、急激な激情に触れて指向性を持つかしたモノが怪異となるのだ。
そして憑依はその激しい感情に同調した者に対して行われる。
憑かれた暁生は、外に飛び出し駐車場の車を破壊し、アスファルトを捲り上げ、フェンスを破壊し、通報を受けた機動部隊と睨み合いに入った。
「兄さん、当たり」
ドン!という大気を揺さぶる振動と、由美子の冷静な声が俺の意識を現場へと戻す。
どうやら相手を球状に囲んでいた虫で出来た雲は暁生の力に弾かれ、或いは崩壊させられたようだ。
暁生の両脇から前方へ掛けて、虫の姿は全く無い。
だが、背後には黒い靄のように塊が残っていた。
振り返った暁生は、その背後の塊も吹き飛ばす。
「うあああああああ!」
幼い声が、そのトーンに似つかわしくない這うような叫びを上げる。
「相手が照準に要する時間は?」
「六秒を超えない」
「少し範囲が広い、足場を頼む。相手の利き手は右だ」
「了解、左目死角ぎりぎりに囮を、右側面に地中から足場を出す」
「カウント五」
「四」
「三」
「二」
交互に告げるカウントの最後の一つで同時に動く。
「堅固たる鎧、力強きモノ」
暁生の左側面目指して飛ぶのはカブトムシに似た巨大な甲虫だ。
怪異に乗っ取られかけてはいても意識を残した暁生の目が、死角に潜り込もうとするそれを、興味と警戒を伴った視線で思わず追った。
「地を潜る視覚無きモノ」
スタートを切っていた俺の眼前、暁生の右側面に突如として土が盛り上がり、這い出た軟体の紐のようなモノ等が絡み合ってボールのような塊を創りだした。
固いゴムのようなそれを蹴る。
動きの気配を感じた暁生が右を振り向く直前に、その背後を取ることに成功。
着地と同時に、構えていた水晶四つを暁生の眼前に向けて放り投げる。
「固く静止せし水性は、それすなわち鏡」
魔術や魔法とは方向性の違う神秘科学である、俺の本業の一部、調律の応用だが、術式の使えない俺には唯一の技と言っていい。
重力に従い落下していた四つの小さな六角柱の水晶結晶体は互いに干渉して四方に広がり、その囲った空間に凍結した氷による鏡を発生させた。
鏡は暁生の今の姿を等身大で映し出す。
人としての在り方を外れつつあるが、それでもまだ人である面影が色濃い今の姿。
自らのそれを目にした暁生は、それに対して激しい怒りを爆発させた。
刹那の間だけ存在を許されていた鏡は、その力により粉々に砕かれる。
時間は十分に得た。
俺は背後から暁生の首を腕の中に収める。
締めあげられた力に、小さな体が酸素を得る術を失い小さく引き攣るのを感じた。
「聞こえるか、暁生」
そうか、お前、そんなに自分が憎かったのか。
「お母さんは無事だぞ。お前が守ったからな」
だけど、死のうとしたお母さんを救ったのはお前だろ。
「でもな、お前がそいつに負けちまうと、もうお母さんを守る人はいなくなるぞ。それでもいいのか?」
少しは自分を認めてやれよ。
「そんな実体も無いお化けに勝てないようじゃ、お前、お母さんを助けられやしないぞ、お母さんと仲直りするんじゃなかったのか?」
俺と約束をしただろうがよ。
「目え覚ませ!暁生!」
一瞬、びくりとその体が震えるのを感じた。
皮膚の下、踊っていた赤い光が悶えるようにのたうちながら引いていく。
やるじゃん暁生、お前、マジすげえよ。
怪異の憑依は、生き物の脊髄の乗っ取りから始まる。
つまり怪異が潜むのは背骨に添って、ということだ。
びくりと、暁生の体がもう一度震えた瞬間、外見は変わらぬままに、その背中に瘤状の見えない何かが浮き上がった感触が来る。
剥離だ。
俺は手に残った最後の透明な水晶を取り出し、その瘤に充てがう。
「縛!」
依り代を追い出された形を持たぬ怪異など、儚い抵抗すら微々たるものだ。
水晶は見る間に黒く濁り、暁生は子供らしい姿に戻る。
疲れ果てたらしいそのぐったりとした体を抱え上げ、本庄武官に目を向けた。
彼は、明らかにほっとした顔でぴしりとした敬礼をしてくれたのだった。
誰だって子供を殺したくないもんな。
お疲れ様でした。