209:停滞は滅びへの道 その十二
「随分と慎重に切り離しを行ったものだ。つい先程完全に断絶するまで気がつかなかった」
「空間認識が得意のお前が気がつかないとは驚きだな」
「恥ずかしながら迂闊のそしりは受け付けるよ」
「いやいや、どうせ虎穴に入らずんば虎児を得ずとかそんな考えだったんだろ?」
「その信頼はありがたいけど、過信はよくない」
心温まる兄弟の会話を他所に目前の二体のホムンクルスは人間らしい表情を作るのを止めて体を変形させ戦闘モードに切り替わっていた。
手足が長くその先端が硬質化して鋭利な刃物のように変形している。
俺はそれを眺めながら呆れたように呟いた。
「その様子だと交渉の余地はないってことか?」
「交渉は先程持ち掛けたでしょう? それを貴方はお断りになった。即ち交渉決裂という訳です」
「そもそも条件が無茶すぎるだろ。最初から交渉する気があったとは思えないな」
「いえいえ、もちろんこちらの提示した条件に応じていただいたならきちんとそちらの欲しい情報はお渡ししましたよ? 我々も商売ですから信頼は大事です」
「へー」
全く説得力のない内容に俺はまともに相手することを止めた。
どう考えても戦うことを前提にお膳立てがされていたとしか思えないのでそういうことなのだろう。
俺は上着を脱ぎ捨てると、ヒートナイフを手にする。
相手は怪異ではないが人間でもない。
枷の無い状態での戦いだ。
ホムンクルス達は左右からわずかに時間差を付けて攻撃を仕掛けて来る。
人間なら当然あるはずの動きの癖やためらいが一切ない機械のように正確な動きだ。
俺は足を一歩踏み出し、次の瞬間二体のホムンクルスの背後に回った。
「な!」
「えっ?」
回し蹴りと肘打ちを叩き込む。
それだけで二体のホムンクルスは絡み合うようにゴロゴロと転がった。
互いが邪魔で僅かに立ち上がるのが遅れたホムンクルス達の脊髄へナイフの柄を叩き込む。
モデルが人間ならこれは効くはずだがどうかな?
「ぐっ、がぁっ!」
案の定ホムンクルス達は起き上がれず床でもがいている。
『おお、さすがは秘められし東洋のホーリーブラッド。これは少し舐めすぎましたか?』
どこからか響く声が楽しそうに戦いを評価した。
閉鎖空間を創りだして覗き見をしているのだろう。
つくづく趣味の悪いことだ。
『では次の段階を』
声と同時にもがいていたホムンクルスがまた変形をした。
今度は二体が融合してもはや人間の姿を捨てた異形の怪物となる。
手足が変形した八本の足を持つ蜘蛛のようなバケモノだ。
二つの頭の片方が顔の半分程まで口を開けて白い何かを吐き出した。
飛来したその物体を俺はヒートナイフで切り裂いたが、切った右腕にそのまま纏わり付く。
「なるほど蜘蛛だけに糸、いや網か?」
べったりと絡み、そのまま近くに倒れていたソファーを巻き込んだのは白い粘着質の網状の何かだった。
以前迷宮で出くわした怪異に似た攻撃だ。
もしかして参考にしているのかもしれない。
腕と一緒に巻き込まれたソファーに接着された状態になってしまい、振り払っても離れない。
その隙に蜘蛛型ホムンクルスは素早く動いて俺に覆い被さって来た。
「うざいわ!」
俺は左腕を振るって蜘蛛の胴部分を払い除ける。
重い手応えがあり接触した部分から蜘蛛の体がひしゃげた。
『なんと! そのバケモノは戦車並には頑丈なのですよ?』
俺は声を無視して右手に絡んだソファーを叩き壊すとヒートナイフを蜘蛛の口に突き立てる。
やった俺自身思いもよらなかったことだが、蜘蛛型のホムンクルスの頭部がまるで爆発するように弾け飛んだ。
「なんだ?」
「おそらくあの網を作り出す部分に可燃ガスが使われていたのではないでしょうか?」
今まで黙って俺の戦いを観戦していた浩二がそう告げた。
「お? 終わった?」
「はい」
『ぬ? 何が、うああああああっ!』
おそらく大量の白い蜂に襲われているであろう相手の状況を考えて、俺は一人黙祷を捧げた。
いや、まぁ殺してないとは思うけどね、俺ら人殺し出来ないし。
蠢く肉塊となってピクピクしていたホムンクルスは急激にしなびて干物のようになってしまった。
今はまだ錬金術の限界でホムンクルスは自身の細胞を増殖することが出来ない。
製造されてから二週間が正常に活動出来る限界と言われている。
裏社会で使い捨ての生物兵器として利用されることの多い、なんとも憐れな存在なのだ。
ただ知能はコピーされたものだけで自我を持つことはないと言われている。
それはむしろ幸せなことなのかもしれない。
「んじゃ行くか」
「そうですね」
浩二がすっとその左手を動かしてドアに向ける。
その瞬間空間が地震のようにガツンと振動し、すぐに何事もなかったように収まった。
種明かしをすると、浩二の創り出した『空間』が、結界で隔離された空間と現実空間を貫くような形で差し込まれていたのだ。
今それを引き寄せることで結界を無理やりこじ開けたので、空間が揺らいだのである。
その仕掛けを維持するために浩二は俺が戦っている間ひっそりと気配を消していたのだ。
そしてそこから漏れる情報を頼りに、この結界の中を覗き見していた相手を由美子が探索してその相手に大量の蜂の式を送り届けて一件落着となったのである。
とは言っても、実はその行程の具体的なところは俺にはさっぱりわからない。
何しろ術式に関しては俺はある程度定型化されたものを使うことは出来るが、その理論は理解出来ないのである。
正直難しすぎてついていけない。
特定ジャンルを得意とする弟も凄いがほとんどの術式を理解出来る妹は天才すぎて崇めることしか出来ない情けない兄であった。
さて、由美子の蜂にやられて心地いい眠りに落ちている『ブラックナイト』さん達を訪ねる。
その場にいたのは三人程、呆れたことに俺たちが招かれた雑居ビルの真上の階にいたらしい。
まぁ状況を把握するにも術の通りをよくするためにも近いほうがいいのは確かなんだけどね。
「結界内での兄さんの戦いを記録していたようです」
「なんというか商売人根性がすごいな」
結界内に閉じ込めてホムンクルスと戦わせてその様子を記録した物を情報として売るつもりだったのだろう。
俺が勝っても負けても場所は結界内、どうとでも出来ると思っていたはずだ。
最終的には俺たちも商品として売られる所だったんだろうな。てか成人の勇者血統なんて商品にならないんじゃないか? 扱えないだろ、普通。
確かに俺たちは人殺しは出来ないが、逆に言えば人さえ殺さなければどうとでも出来る。
世慣れていない子どもの時分ならともかく大人の超人なんて手に負えないと思うんだけどな。
後日になるが、この点について伊藤父から胸糞悪い話を聞くこととなった。
ああいった闇組織の連中が勇者血統を従わせる方法として、適当に子どもを攫ってきて目前で殺していくのだそうだ。
これをやられるとだいたいの勇者血統は人事不省に陥るのでその間に術を施すか、薬を使うなどの方法で従えるのだとか。
想像しただけで気持ち悪くなって倒れてしまったのはまぁあれだが、世の中には想像を越える悪意があるということを思い知らされた話だった。
時を戻して、無事罠を破って『ブラックナイト』の拠点を探った俺たちはいくつかの資料を発見することとなった。
そしてその中に迷宮の違法ゲートの管理記録があった。
「これはかなり厳重に秘匿していたみたいだね。ゲートのある場所には外部からの転移ゲートでしか行けないようになっている。部屋には他に出入り口がないようだ」
「閉鎖空間か、そりゃあ見つからない訳だ」
「しかもこの場所の管理には『信者』が関わっているようだよ」
「なに?」
信者というのは俺たちハンターが使う隠語のような物で、怪異を崇める者達のことを言う。
そもそも古い怪異の中には神とされるものがいるのだからある意味信者がいるのは当然なのだが、人にとって害となる怪異に心服する信者すらいて、ハンターとはぶつかることもあるのだ。
本当に人間というのは色んな奴がいるもんだ。
「迷宮のゲートに関わる信者ということはもしかして酒呑童子の信者か」
「そうだろうね。我が国では古くから続く歴史ある組織だ」
「一度封印されたのが復活した経緯にも関与していそうだもんな」
俺は重く息を吐く。
「邪魔をして来るかな」
俺の独り言のような問いに応えたのは由美子だった。
「邪魔はしないんじゃないかな? あっちからの招待みたいなものだし」
「そこまで意思の疎通が出来ていると思うか?」
基本的に信者とその崇める神との関係は一方通行が多いものだ。
「しているんじゃないかな? 酒呑童子のことは昔調べたことがあるけど、人間と関わるのが好きって感じた」
「ああ、うん、そうだな」
確かに終天は人間に深く関わって来た怪異だ。
そして歴史上の知識以上に、あれが人間を好きらしいということを俺はよく知っている。
それは所詮怪異の好意であって、人間の考え方とは相容れない物ではあるが、人と積極的に関わりたがるのは間違いないだろう。
とりあえず俺たちは蜂に刺されて眠り続ける男達をその場に残してこの場所を当局に通報すると、俺の戦闘記録とゲートの資料だけを掻っ攫って引き上げた。
俺たちが関わったことはいずれバレるだろうがとりあえずその前に突入してしまえばいいのだ。