208:停滞は滅びへの道 その十一
ブラックナイトという怪しげな情報屋と会うためにその指定場所へと向かっている俺の横には浩二がいた。
相手が勇者血統を捕らえることを考えているというならまずは俺が一人で乗り込んで、二人はそのサポートに徹するべきだと主張したのだが、我が弟と妹から猛然と反対されてしまったのだ。
『そもそも僕たちは交渉ごとには向いていない。いざとなったら相手の罠をくぐり抜けなければならないけど、兄さんは力技しか出来ないから無理』
というありがたいお言葉と共に決定した人選は、弟妹からの俺への信頼が皆無であることが露呈した結果だった。
俺だっていい大人で社会人なんだからちゃんと交渉ぐらい出来ると主張したのだが、全く取り合ってもらえなかったのである。
まぁそりゃあ俺も二人に信頼してもらえるような行動をして来なかった自覚はあるけどさ。
俺も不安があるからこそせめて被害を最小に抑えようと思った訳で。
しかしそれを思いっきり見抜かれて『わずかでも犠牲が出たら彼女の救出は不可能になるということを理解しておいたほうがいいですよ』と説教されてしまったのだ。
そうだな、正直いざとなったら自分だけの被害で抑えようと思っていた時点で俺の間違いだった訳だ。
ほんとうちの弟と妹は優秀で頭が上がらないよ。
周回バスがオフィス街を進み、俺は会社のほうへと顔を向けた。
本当ならオフィスで電算機を前に仕事をしているはずの時間だ。
伊藤さんがお茶を用意してそっとデスクに置いてくれる。そんな小さな幸せを噛み締めていた頃が既に懐かしい。
オフィス街を抜けると意外な程近くに特区の壁がある。
今はまだ仰々しい壁が目立つが、いずれは壁面部分に緑を植えて壁面ガーデン化をするのだという。
この中央都も思いもよらぬ都市改造を進めることとなったが、景観もどんどん変わってこの街に馴染んでいくだろう。
その仰々しい壁の中にある特区は、元々はオフィスの高層ビル街の一画であった。
その証に周辺には仕事帰りのビジネスマンを当て込んだ飲み屋街がある。
俺たちがバスを降りたのはそんな夜の歓楽街の入り口だった。
表通りは商用ビルやコンビニや食べ物屋が点在している駅に続く大通りとなっている。
そこから一歩曲がると昼間は静かな飲み屋街が続く細い路地が連続した通りだ。
以前は流と飲み歩くのが楽しみの一つだったので、俺もこの辺はよく知っている。
入り口からすぐの大通りと平行した通りは地元のアーケード商店街となっていて、もう一つ先にビジネスホテルと個人経営の居酒屋やフランチャイズ店が立ち並ぶ大勢で賑やかに飲むための場所が続く。
更にその奥がいわゆる雑居ビルと呼ばれる飲み屋や怪しげな店が間借りしているビル群が立ち並ぶ一画だ。
夜になればネオンと呼び込みで溢れるこの場所は、さながら迷路の様相を呈していた。
とは言え、地図すら役に立たない本物の迷路化している特区の居住地区に比べれば地図を見れば大体わかる程度のかわいい迷路だ。
その雑居ビルの一つに、派手な看板や扉の無い、平凡なアパートじみたドアがあった。
ここが今回の待ち合わせ場所である。
扉に掛かっている看板はローマ字で大きく『N』の一文字。
隠れ家的飲み屋とも単なる会社事務所とも取れる佇まいだ。
俺はその扉の向こうの気配を探ってみたが、特に何を感じることも出来ずに、そのまま素直にノックをした。
ガチャリと鍵の外れる音だけが響き、応えはない。
これは入れという意味なのだろう。
「ごめんください」
一応声を掛けながらドアを開けて入る。
中に入るとすぐ目の前には銀行などでよく見掛ける目隠しの衝立があった。
いわゆるパティーションというやつだ。
うちのオフィスのうちの課ととなりの開発室との間にも存在する。
「いらっしゃい」
低い声が応じた。
日本語だ。
ただナチュラルと言うには少しアクセントに違和感がある。
気配は二人、どちらも無駄なアクションが無く、自分の動きを完璧にコントロールしていることを感じさせた。
「知り合いの紹介で来た」
「ええ、聞いていますよ。『チェイサー』からの呼び出しとか。なかなか名のしれた討伐者ですね」
「討伐者?」
「フィールド冒険者のことを業界用語で討伐者と呼ぶのですよ」
「なるほど」
「まぁ立ち話もなんです。まずはお座りください」
パティーションを回り込んですぐの所には応接セットが鎮座していた。
向かい合わせのソファーとその間にあるテーブル。
既に片方のソファーに座っている男は、白髪交じりの四十代前後に見える事務員風の風体だ。
背を丸め、下を向く癖は典型的な机仕事を長年続けて来た者の姿勢である。
「失礼します」
俺に続いて浩二も隣に座る。
もう一人の姿は見えないが、奥のほうで食器の触れ合う音がしているのでお茶の用意をしているのかもしれない。
「回りくどく交渉するつもりはないんで率直に言わせてもらうが、非合法に迷宮に侵入する方法を探している」
「なるほど、確かに率直ですね」
「とりあえず情報を持っているかどうかを聞きたい」
その交渉している場所へもう一人がお盆を掲げて姿を現した。
女性だ。
まだ若い。
未成年にも見えるがはっきりとは断言出来ない。
金髪に青い目の、こちらは明らかな外国人だった。
「どうぞ」
事務的な声。
動きにも言葉にも一瞬の戸惑いもない。
あまりにも雑音の無い存在。
「彼女は?」
「気になるなら口説いてみてもよろしいですよ?」
「なにを言っているんだ?」
「いや、これは失礼いたしました。もう可愛らしい彼女がいらっしゃるのでしたね」
「っ……」
さすがは情報屋といったところか、こちらの情報も掴んでいるというアピールなのだろう。
「……それで、情報を売れるのか売れないのか?」
「わたくしどもは値段の付けられるものならなんでも売ります」
「手広いんだな」
「ええ、おかげさまで。多くのお客様からたくさんのご注文を承っております」
「他の注文は知らん。俺の注文に対して売るものがあるかどうか教えてくれればいい」
「ではわたくしどももお客様にお応えして率直に申し上げさせていただきます。質問に対する答えはイエスです」
「それじゃあ!」
「そう、お客様のお求めになる商品をテーブルに並べさせていただきました。次はお値段の交渉、そうですよね?」
「もちろん。取引の基本だな」
穏やかに告げる相手の言葉に拍子抜けしながら、俺は素直に頷いた。
「それではこちらのテーブルには倭国の都市迷宮の未確認ゲートの情報。本来お客様からその代金としてのお値段を提示していただくのが我が社の方針ですが、今回は少し趣向を変えましょう。まずはわたくしどもがお代を提案させていただきます。それでよろしいでしょうか?」
「わかった」
売る側が値段を交渉するということはそれだけその価値に自信があるという意味だろう。
それは当然だ。
なにしろこちらが必死で探していることがわかっているのだから。
「それではわたくしどもはお代として『お客様の最初のお子様』を要求させていただきます」
一瞬、何を言われたかわからなかった俺とは違い、浩二はすぐにその内容を理解したようだった。
交渉中気配を殺したように静かだった隣から突然殺気のような濃密な害意が膨れ上がり、俺は冷水を浴びせられたように身をすくめ、すぐに自分でも相手の言ったことを理解して反射的に怒りを感じ、それを慌てて押し殺す羽目となった。
「まるで悪魔の契約だな」
どうせとんでもない要求が来るだろうとは覚悟していたが、こちらの予想を上回る内容にうっかり交渉の意思が消し飛ぶ所だった。
極めて冷静に対処出来たのはそのある程度の覚悟のおかげである。
「ええ、悪魔はわたくしどものような商人にとって、大変尊敬すべき存在です。何しろ彼らは決して約束を違えず正しい取引を行いますからね」
「所変われば見方も変わるということですね」
いけしゃあしゃあと言ってのけた相手に、嫌味も通じないことを理解して、俺は交渉を続けた。
「人身売買は国際法で禁止されていますよ?」
「わたしくどもの守っている法は別の所にあるのですよ。住む世界が違えば法もまた違う。当然の話です。実際お客様からのご注文が多いジャンルなのですよ」
これ我慢して交渉続ける意味があるのかな? と、ちらっと考えたが、他に当てがない身なのでこの相手を逃したくはない。
「俺は正規の法に従って生きています。人間を取引のテーブルに乗せることはありません」
「それは困りましたね。それではどうでしょう? 貴方が今晩この娘とわたくしどもの出すお酒を飲んで一晩過ごすということでは?」
この娘と言う言葉で傍らに佇む女性を指し示す。
示されたほうは顔色一つ変えることはなかった。
「取引は金銭で行いませんか?」
低い声で唸るようにそう言った俺の横腹を浩二が指先で突いた。
痛い。
お前それ貫手だよね?
「どうした?」
振り向いて問う。
こいつがこんな風にあからさまに邪魔をするのはおかしなことだ。
「無駄だよ。ここは『閉じて』いる。彼らは人間じゃない」
浩二の言葉に俺は驚いて目前の二人を見なおした。
見た目に異質な感じはない。
いや、と、少し顔を上げて怪訝そうに俺たちを見る中年の男の顔をよくよく見る。
くっきりとしたしわや皮膚のたるみがあり、髪は白髪交じりのいかにもどこにでもいそうな中年の男だ。
しかし、そこには長年生きた人間なら必ずどこかに現れるはずの生活による歪みがない。
「人造人間?」
「おやおや」
俺の言葉に男は柔和な笑みを浮かべてそう応えた。