206:停滞は滅びへの道 その九
「私達が最も嫌うのが借りだ。商売には借財は当たり前だが冒険者にとっては返せない借りほど嫌なものは無い。この感覚は冒険者にしかわからないだろう」
再生された動画の中で冒険者カンパニーの責任者の男がそう言った。
だから借りって何の話だ?
「そこで私達の商品である情報を一つだけ君に提供させていただくことにした」
と言うか相変わらず流暢な日本語だな。
確かアウグスト氏だっけ? さすがはあんな大々的な予言機を使うような会社の代表者と言うべきだろう。
「迷宮に挑むなら必ず五人で挑め。……以上だ」
話の内容に唖然としている間に動画の再生が終わる。
ちょ、どういうことだよ!
「これってどういうことだ?」
「そのまんまでしょう」
「いやいや、情報がこれっておかしいよね? 理由とかこう説明とかあるべきじゃないか?」
俺は困惑して言った。
俺が迷宮に入りたがっていたというのはタネルから聞いたのかもしれない。
そもそもタネルに迷宮へ入る裏ルートを調べてもらったのは俺だしな。
しかしその情報に迷宮への入り方ではなく迷宮へ入る人数を言って来るって意味がわからないだろ。
「それにはまずは兄さんと冒険者カンパニーとのつながりを知らなければ何も判断は出来ませんね」
「つながりって、最初の挨拶に行った以外は会社の仕事で接点があったぐらいかな」
「彼の言う借りというのは?」
「全く心当たりがない」
浩二はため息を吐くと、俺の顔を真正面から見て言った。
「とりあえずこの会社との間であったことを洗いざらい話してください」
なんだその馬鹿にものを考えさせても仕方がないみたいな言い方は? お兄ちゃんだって傷つくんだぞ? そりゃあ俺は大学出たと言っても学歴だけで実はお前のほうがずっと頭がいいことぐらいわかってるよ。
というかうちの兄妹は下から順に賢いよねって村中が言ってるのも知ってるさ!
でも兄ちゃんにだって兄貴の威厳ってものがあるんだぞ。
「なるほど、予言機ですか」
とりあえず冒険者カンパニーで起こったこと、そしてその話を酒匂さんに任せたことまで洗いざらい二人に説明することとなった。
まぁ伊藤さんを助ける目的に比べたら俺の兄の威厳なんかどうでもいいしな。
「おそらく冒険者カンパニー側としては兄さんにそれの整備をさせたのは予防措置だったのでしょう」
「予防措置?」
「ええ、当局の調査が入って違法行為として処罰される時に兄さんがその設備の整備をしていたことを盾にとって政府に自分たちを処罰するなら兄さんを告発すると脅す訳です。知っていて協力したとしてね。いえ、もっと極端に言えば、冒険者達に向けて兄さんが裏切り者だと告発すると脅すことも出来ます。前者は兄さんが知らなかった話で押し通せますが、後者は理屈じゃありませんから兄さんは冒険者に恨まれることとなるでしょう。これは結構嫌な脅しになります」
「んんん? つまりメンテナンスの手伝いをした時点で相手の策にハマっていたのか」
「そういうことです」
「でも、なんでそれが借りになるんだ?」
「それは兄さんが警察でも軍でもなく酒匂さんに直接相談したからでしょう。おそらく相手からすれば兄さんがそんなに正確に予言機の術式を解析出来るなんて思っていなかったはずです。もし気づいた兄さんが直接軍に話を持って行っていたら軍は冒険者カンパニーを強襲して何の手も打たせること無く会社を解体していたでしょう」
「マジか?」
あまりのことの大きさに俺は驚いた。
「兄さんは国際法を舐めすぎてます。あの中で違法と断言されている事柄に対する強制執行力は強い。どんなに暴力的に押さえつけても世界中が肯定してくれるということなのですよ」
「恐い話だな」
「それだけ危険という話でもあります。禁呪や魔薬のたぐいと同じですよ」
「ええっと、それで酒匂さんだとどうしてよかった訳?」
俺の問いに浩二は電算機を操作して何やら確認する。
「ああ、やっぱりそうだ。冒険者カンパニーの予言機の取り扱いが政府公認になっている。要するに企業ではなく国が国家事業のために予知を利用しているという形に納めたんですね。違法となるのは企業が自社の利益のために予知を使った場合ですからこれなら問題ありません。酒匂さんは兄さんに髪の毛一筋の傷も付けたくなかったんでしょう」
「えっ? なんでその措置が俺が傷つくことと関係する訳?」
「兄さんのせいで迷宮探索の安全性が低下したとなればどれだけ恨まれるか知れませんからね。酒匂さんは迷宮探索の安全性を上げると同時に兄さんのリスクを無くした。本当は予言機だけを接収して会社は解体してもよかったのでしょうが、それもそれで危険因子につながります。相変わらず用心深い人ですよ、あのお菓子の人は」
なんだか浩二の話に少し混乱したが、酒匂さんに相談したことがそんな結果に落ち着いていたのか。
会社にも個人的にも何も言われなかったからどうにかなったんだろうとは思っていたが、さすがだ、お菓子の人。
「ん? ってことはこれは予言か?」
「そういうことですね。僕達が迷宮に潜ること前提で三人だけで行くなということを言っている訳です」
「と言っても、まさか伊藤さんとこの親父さん達を連れて行けって話じゃないだろうな?」
「人は指定していませんが、そうですね。熟練の冒険者は確かに頼もしいとは言えるでしょうね」
「いやいや、それはダメだろ、何と言っても今は一般人なんだし。聞いた所によると伊藤さんの親父さん達は迷宮には入ったことがないらしいぞ」
「ああ、それは無理ですね」
そう、実際迷宮は特別な場所だ。
下手をすると物理法則すら当てにならない世界なのである。
何しろ実体化した夢の世界だからな。
あの特区の迷宮は妙なことにこだわりがある終天のせいで変な秩序があるっぽいが。
と、そんな話をしていたからか当の伊藤父から連絡が入った。
『繋ぎは取れたが、俺たちは面が割れていて接触出来ない。お前に任せるから死ぬ気でやってみろ』
苦々しい声だ。
出来れば自分達でやりたかったんだろうけど、相手は用心深い組織、有名な冒険者である伊藤父とその仲間は直接接触出来なかったということか。
「わかった」
詳しい接触方法を確認する。
あらゆる術式、そして軍や政府に関わる者は厳禁ということだった。
ある意味俺も軍や政府に関わっちゃいるんだけどな、いいのかな?
『連中にとっちゃ勇者血統は金の卵だ。正に鴨が葱を背負って来るという気分だろうさ』
「なるほど」
俺の戸惑いを読んだのか、伊藤父がそう助言をくれる。
ん? あれ、俺、伊藤さんのお父さんに勇者血統であることを言ったっけ?
もしかしてあれか、最初の怪異との対決でバレてた?
伊藤さんはどうだったんだろう、知っていたのかな?
俺は臆病にもハンターということは話せても最後の一線だけは話すことが出来なかったんだけど、お父さん経由でバレていたとしたら馬鹿みたいだな。
こんなことになるならもっといっぱい、なんでも話しておけばよかった。
接続の切れた端末に額をぶつけて背を丸める。
ダメだな、落ち込んでいる場合じゃないのに。
そんなちょっとダメになりかけていた俺の背中が引っ張られる。
「兄さん」
「おう」
由美子がすごく真剣な顔で俺を見ていた。
「私の友達を絶対に助けるから」
「そうだな」
そうだ、由美子にとっても伊藤さんは初めて出来た友達なんだよな。
俺だけ焦っているような気になっていたけど、由美子だってきっと心配でたまらないはずだ。
そういうことを思いやれない俺はほんとダメな兄ちゃんだな。
よし、まずはこの伊藤父がなんとか繋ぎを付けてくれた怪しげな情報屋から当たるか。
こんなことをしている間に伊藤さんの自我はあの巨大な怪異に呑まれつつあるって言うのに、くそっ、面倒が多すぎるぞ、全く。
と、突然来客を知らせるチャイムが鳴り響いた。
部屋の空気が一気に緊張する。
とは言え、相手はまだマンションの入り口だ。
時期が時期だけに嫌な予感ばかりするが、もしかしたら単なる荷物の配送ということもあるしな。
インターフォンを繋ぐと、その画面に映し出されたのは少し意外な相手だった。