205:停滞は滅びへの道 その八
交渉は平行線だった。
と言うか交渉にすらなっていない。
相手に俺の話を聞き入れるつもりが毛頭ないからだ。
「俺が行かなけりゃ彼女を取り戻せないんだぞ、行くのが当然だろ!」
「ダメダメ馬鹿弟子よ、お前ハンター舐めてっだろ? 依頼の無い仕事はしない、うちは冒険者じゃねえんだ。ちゃんと管理されているんだぜ?」
「じゃあ俺が依頼者ということにすればいいだろ。俺がダメなら被害者の家族でも」
「そうだな、正規の手続きを行えば仕事として動ける可能性は高くなる。だがな、ちょっと頭冷やして考えてみろ、あからさまな罠にお前を突っ込ませるわきゃあないだろ?」
「それ、おかしくないか? 力無き人を助けるのがハンターの、いや、うちの一族の在り方だよな。そのために産み出されたんだ。そうじゃないか? むしろ早く行け! って言うべきだろ、ハンターとしては」
「うん、まぁお前の言うことはわかるし、実際行くべきなんだろうなって俺なんかは思うよ。でもね、ハンター協会も国もそれを許可しないのは間違いない」
「意味がわかんねぇよ」
「普通の場所ならまだよかったんだがなぁ、場所が迷宮じゃあ分が悪すぎる」
バカ師匠、いや、ハンター協会の日本支部の支部長である木村和夫はテーブルをひと撫でして何もない場所から小さな白いボールを取り出し、器用に指で操って見せると、それをギュッと握って手を開き、何もない手をひらひらとさせた。
「全てが相手の手のひらの上だ」
「アホか! そんなのは理由になんねぇだろ? ってかそういうことは当たり前じゃないか。今までだって迷宮に突っ込んだことは何度もあったし、特区の迷宮にだって俺は何度も潜っている。ダメな理由になんねぇよ」
「伝説級の怪異が二体、タッグを組んでお前を誘い出してるんだぜ? 被害者女性は既に憑依されていて分離の可能性は低い。上の判断はノーだ」
話にならない。
そして話にならないことでは酒匂さんも似たようなものだった。
「特区法では迷宮に潜れるのは登録した冒険者と軍関係者のみ、軍からの依頼が無い限り君を特別に迷宮に入れてあげる訳にはいかない。すまないね」
言葉も態度も真摯で申し訳なさ気だったが、譲る気が無いのははっきりとしていた。
というか、正直言ってバカ師匠よりもこっちのほうが難攻不落といった雰囲気だ。
「クソが!」
「タカシ!」
悪態を吐いている俺を見つけてビナールがやって来る。
場所はオープンカフェと屋台が一緒くたになったようなカフェスペースだ。
周囲が自由屋台になっていて、そこで買った飲み物や食べ物を好きなテーブルで飲み食い出来るようになっている場所だった。
特区の中の居住地区の一画だ。
「あ、ビナールすまないな。どうだった?」
「やっぱり噂はあるみたい。でも私達みたいな駆け出しが拾える情報じゃなかった。ただ、『ブラックナイト』ならなんとかなるって」
「ブラックナイト?」
ビナールはわざわざその単語の翻訳を切って単語として俺に伝えた。
「冒険者達の使う裏の情報屋。汚くて危ない上に用心深いって」
「わかった、ありがとうな」
「あの、もし私達で役に立つなら言って。まだ弱くて足手まといでしかないのはわかっているから一緒に行くとは言えないけど」
「何言ってるんだ、むちゃくちゃ役に立ってくれているだろ? 俺は冒険者の内部のことはよくわからないしな」
俺はハンター協会と国の上層部が当てにならないと判断すると、まずはタネルとビナールの兄妹に連絡を付けた。
以前、国の管理するゲート以外から迷宮に入り込んだ冒険者がいたことから、冒険者だけが知るゲートがどこかにあるのではないかと思ったのだ。
とは言え、この子等にこれ以上深い所までは探らせる訳にはいかない。
これだけのヒントと貰っただけでもありがたいと考えるべきだろう。
「あ、それとこれ、兄さんから」
ビナールが俺の手にメモ書きを滑り込ませる。
「タネルが?」
「兄さんが言うには会社の人がぜひタカシにお礼をしたいって」
「カンパニーか、……わかった」
ちらりと見たが、メモには数字や記号が書いてあるのみだ。
これだけだとさっぱりわからない。
とりあえずポケットにそのメモを収めて、俺は特区を後にした。
特区を出たその足ですっかり馴染みになった多国籍食堂へと向かう。
端末をチェックして時間を見ると、約束の時間ぎりぎりになりそうだった。
相変わらず流行ってなさそうなわかり辛いその店の入り口のドアを開いて中へと入る。
今日はピアノの演奏は聴こえて来なかった。
カウンターの親父さんをチラリと見ると、親父さんは一方向に向けて顎をしゃくってみせる。
それに従って視線を向けた席にはいつか見たことのある肉体労働者っぽい高年齢の一団が集まっていた。
四人掛けのテーブルを無理やり二つ繋げて団体席にしている。
「マスターもしかしたら騒がせることになるかもしれないけど」
「気にすんな、なんか壊したら弁償してもらう」
「わかった。ありがとう」
テーブルに近づくとひんやりとした雰囲気が歓迎してくれた。
まぁもし暖かく迎えられたらむしろそっちが困るのでそのほうがいい。
「お待たせしました」
「むしろ走り回らずに悠長にここで時間を潰してたらお前さんにその足は必要無いってことだろ?」
恐いおばさんが口走る。
言ってることに間違いはない。
「で?」
他の方々は一切口を開くことなく俺を見ることもしなかった。
ただ一人俺に視線を寄越した伊藤父、ジェームズ氏が俺に問い掛ける。
「ブラックナイトというのをご存知ですか?」
誰も反応を示さないが、ジェームズ父は俺を促した。
「正攻法で入れないはずの犯罪者が迷宮に侵入したことがありました。その際の侵入経路はまだ判明していません」
「なるほど。で、だ。入れるとして一人で来いとは言われてないんだろ?」
「まぁそうですけど、犠牲者を増やすのは彼女が嫌がります」
「お前が代弁するな」
「でも、そうでしょう?」
「俺たちは外専門でやって来た。だが、迷宮でもやっぱり数はそれだけで頼りになる。俺たちはやるべきことはわかってる」
「無駄です」
「あんだと!」
キレたのはジェームズ氏ではなく、別の男だった。
やたらデカイ体を食堂の椅子に収めていたが、立ち上がると天井すれすれに頭がある。
「バカにしてんのか? 小僧!」
「最初から相手の口の中なんですよ? 人数は問題じゃありません。相手の考えを読みながら動く必要がある。戦争のつもりで突っ込めば彼女はおそらく救えない」
俺もたいがい身長は高いほうだと思っていたが、この伊藤父の冒険者仲間、ジャイアンと呼ばれる男のデカさは格別だ。
頭上はるかから見下されるのはかなりの威圧感がある。
「わかっているはずです。チームワークを取れない人間の数をいくら揃えても迷宮では意味がない」
俺ももう何度か迷宮に潜ったからわかる。
迷宮の中で物を言うのは状況判断能力とお互いへの信頼だ。
個々の強さはほとんど差分の範囲でしかない。
「で? お前なら確実にあの子を取り戻せるとでも言いたいのか?」
「取り戻します」
「けっ、言うだけならだれだって出来るよな」
「取り戻します。俺の血と魂にかけて」
コツンと、ジェームズ氏がライターでテーブルを叩いた。
ジャイアン氏は彼をギロリと睨むと、ふんと鼻を鳴らして椅子に再び腰掛ける。
「俺達は失うことには慣れている」
ジェームズ氏は重々しく言った。
「でもな、だからってそれに耐えられる訳ではねぇんだ。いつだって耐えられねぇ。理不尽に腹が立つ」
「はい」
「無事に連れ戻すまで何一つ信じねぇぞ」
「はい」
当然のことだと思った。
ブラックナイトの名前に顔色一つ変えなかった彼らだが、どうやら当てがあるようだ。
その情報の収集をジェームズ氏達に任せて、俺は次の行動に移る。
ともあれ一度家に戻らないといけない。
部屋に戻ると由美子と浩二がなぜか俺の部屋にいた。
「なんでここに?」
ミーティングルームで集合の予定だったんだが。
「放っておくと勝手なことしかしませんから」
浩二には俺に対する信頼という言葉は無いようだった。
「兄さん、うざいのがウロウロしてるけど潰す?」
由美子がにこりともせずに物騒なことを言う。
「潰すと本人が召喚されそうで嫌だ」
「一理ある」
ベランダの向こうでバサバサやっているカラスを見ないようにしながらとりあえず俺は着替えに引っ込んだ。
一人になるとため息を吐いて膝を突きそうになる。
息を整えて余計な力を抜く。
そんなちょっとした儀式じみたことで心構えを新たにした俺は、外出用の装備を脱ぎ捨てるとリビングに戻った。
例のメモを持って浩二の前に座る。
「ハンター協会やお国は無理っぽい、裏口は冒険者のツテから調べてもらっている。んで、カンパニーからなんだか知らんが礼とか言われた。俺、何かしたか?」
メモを浩二に渡すと、浩二はそれに目線を走らせて自分の端末を操作し始める。
「さあ? でも兄さんですから何をやっていても驚きませんよ」
浩二の端末が空間にスクリーンを投影した。
それ、最新式の端末じゃね? 未だに作務衣とか着て過ごしている田舎者のくせに何最新機器使ってんの?
「この服、無駄にこだわっている訳じゃないんですよ。精神系の高い防御と付与効果があるんですよ」
口にしなくても俺の考えていることがわかるらしい。
兄弟って恐いな。
「これはあれですね。メッセージ動画のパスワードですね」
「メッセージ動画?」
「ほら、グローバルネットのオープンな広場で観れる個人発信の動画配信があるでしょう。あれに個人向けメッセージを置いておけるんです。パスワードを持っている人間だけが観れるという仕組みですね」
「ネット進化しすぎだろ?」
さっそく俺は浩二の開いた動画とやらを確認するために席を移動したのだった。