194:祈りの刻 その十六
ディスクメディアという存在は仕事の上での使い勝手の面ではあまりよくは無い。
焼き付けの精度は高いので記録メディアとしての性能はいいのだが、取り回しがあまりよく無いのだ。
仕事の世界でデータを扱う場合、現在ではそのほとんどはキースティックと呼ばれる棒状の記録端子を使う。
これは積層体を利用した記録メディアで、データの出し入れが容易で上書きや消去が楽に行える物だ。
その点ディスクメディアは文字通り焼き付けて使うという物なので一回記録すると容易に上書きや消去が出来ないのである。
一種の磁界を作ってそれを解決する方法もあるが、それには専用の機器を使う必要がある。
今回のようなやり方だと一回使いきりの消耗品となってしまうのだ。
「そういう訳で一度使ってしまうと戻せませんけど、いいですか? もちろん我が社の経費で落とすのできちんと請求書を出していただきたいのですが」
「いえ、大丈夫ですよ。そのディスクはいざという時のためのバックアップ用に用意してある物ですが、基本的には消耗品です。貴重な物ですらありません。我が社の設備のメンテナンスに使うのですからそれはうちの経費ということになりますし」
「まぁそう言われれば確かにそうですね」
冒険者カンパニーの設備の修理について意見をしてもらいたいと言われてその準備に使うのだから確かに筋としてはここのメンテナンス経費として考えるべきなのかもしれない。
あんまり細かいことを考えても仕方がないのでとりあえず俺は記録を焼き付けることにした。
中空に浮いている透明度の高い水晶の真下にディスクを表を上に向けてセットする。
この場には術式が張り巡らせてあるようだが、精製術というのはそういう物理法則とは干渉しないものなので問題ない。
俺はほどんど考えることもない動きで専用のホルダーから音叉を取り出した。
この特区に来てからこっちずっと持ち歩く羽目になっていた仕事道具である。
「んっと、『水の精たる一柱より滴り落ちるその映し身、鏡面に響きたる水精の打つ響き、振りて宿れ、降りて舎れ』と」
音叉の響きと共に独特の詠いで世界に干渉する。
精製士という存在には資質は一切必要がない。
その法則への理解と干渉する物質へ正確に干渉出来る音への理解があれば誰でも出来る仕事だ。
ただし、これには長年の研究によって造られた法則を覚え学ぶという工程が必要であり、それには専門教育を受けなければならない。
ライセンスを持たない者が我流で頑張ってもどうにもならない理由が、この知識の受け渡しの正確さだ。
特に音については実際にプロから学ぶ以外に方法はない。
中には古い時代の徒弟制度をまだ採用している国もあるので、ライセンスの中身自体は国によって違うが、国際ライセンスにははっきりとした基準があった。
簡単に言ってしまえば試験に合格しないとプロではないということだ。
俺の詠いに応じて共振体である水晶がブルリと身震いしたように見え、その表面にさざなみのような光が走ったかと思うと水滴のように光がディスクの上に落ちるのが見えた。
「よし、これでこっちのコンデンサの記録が取れました。もう一つの方を見せてもらえますか? てかこの敷地内にあるんですよね?」
うっかりしていたが共振体は別に物理的に近くにある必要はない。
下手をすると海の向こうにあるという可能性もあった。
「ええ、そうでなければ見てもらいたいとは言い出しません」
どこか面白そうにテクスチャと名乗った男性社員はそう答えると少し微笑んだ。
「それにしても精製術は専門家が使うとほとんど魔法のように見えますね。実に美しいものです」
「いや、それはかなり認識違いですよ。魔法って言えば世界の法則自体を捻じ曲げるものですからね? 精製術っていうのは法則を利用して世界に干渉するものですから全然方向性が違います」
「素人から見ると同じようにしか見えませんよ」
「精製術は言うなれば楽器のようなものですよ。素人から見ればどこをどうしたらどんな音が出るとかさっぱりわからなくても理解出来れば音楽を演奏出来る。それに対して魔法は何もない所から音が湧き出るんです」
「ああ、なんとなくわかるような気がします。私は一度だけ本物の魔法使いを見たことがありますが、あれはなんと言うか、薄ら寒いような毛穴が開く心地がしました。今のは純粋にきれいでした」
「ありがとうございます」
会話している俺達のすぐ斜め後ろに伊藤さんがいたのだが、彼女がテクスチャさんのおためごかしの褒め言葉に全力で相槌を打っているのが見えてひどく照れくさくなる。
いやいや、職場で何度かやって見せているからね? 全然珍しくないからね、俺の精製術。
「それではこちらへ」
またしてもエレベーターだ。
しかも今度は場所が違う。
いったい何基あるんだ?
俺たち全員が乗り込むと、スムーズに稼働始めた。
こちらのエレベーターには回数表示があり、先ほどの場所には「M」と表示がある。
階数表示ではないのでやっぱりどのくらい深い場所にあるかはわからなかった。
だが、昇っているほうには階数表示がある。
ランプは二十階の所で停まった。
表示には電算室とある。
エレベーターの扉が開くと、途端にマシンが立ち並ぶ場所特有の音が耳に届いた。
それぞれのモーターが小さく唸り、それが合わさって、腹を揺すり上げるような低い鳴動が体に感じられる。
見回すと、ここは何かの管制室なのだろうか? と感じられる光景が広がっていた。
パネル化されたモニターが壁に埋め込まれて様々な文字を表示しているのだ。
ただし、その表面にはのぞき見防止のフィルターが掛かっていて明確な内容はわからない。
「こちらです」
テクスチャ氏はそれでもあまり俺たちにそれらのモニターを注視してもらいたくはなかったらしく早々にそのフロアを通り過ぎる。
フロアの扉を抜けると狭い一本道の通路があり、その先に今度は頑丈な扉があった。
テクスチャ氏がその手のひらを翳すと扉が開かれる。
これってもしかして生体認証か、かっけえな。
我が社では導入を検討されながらも、そこまでやらなくてもという消極的な反対があって導入されなかったシステムだ。
その扉を潜るとやたら狭い部屋に出た。
どのくらい狭いかと言うと、一般的なカラオケボックスの半分ぐらいの広さと言えばわかるだろうか、ともあれその何もない部屋を突っ切り、次の扉をまたも生体認証で開ける。
おお、セキュリティ厳重だな。
これってもしかしてこの人いないと俺たち出られないんじゃね?
そんな微かな不安を感じ始めた頃に、地下のと似た立体の術式回路にたどり着いた。
あ、セーフティゲートがある。
地下の回路と違ってこちらの回路はむき出しだったので全体の流れがわかった。
立体的なこの回路は複雑な入れ子構造になっていて、それぞれの接続場所にセーフティゲートが設けられている。どこかの回路が崩壊しても全体が崩壊しないようになっているのだ。
構造的に共振を繰り返してエネルギーを増幅していく造りのようだった。
「壮観ですね。てかこの術式見たことないタイプのものですね」
床には前衛芸術のような絵のようなものが描かれているが、おそらくどこかの国の、あるいは民族の使う陣型の術式だろう。
回路の流れからして小さなエネルギーを大きく増幅する物のようだ。
「まぁ興味があるのはわかりますが、あまり詮索はしないでいただけるとお互いに損が無いと思いますよ」
「承知しました。こちらも仕事ですからクライアントの要望は守ります」
「さすがにプロは気持ちいいですね」
お互いに仕事用のうさんくさい笑顔を貼り付けて俺はとりあえず共振体の様子を見る。
外から見た限りだと問題がありそうには思えない。
その美しい透明度の高い水晶柱は、地下にあったそれと全く同じようにきれいに光を透過させて浮いていた。
「表面には傷はないな。まぁ当然か、そんなわかりやすいものだったら会社の人間が発見しているよな」
俺はディスクメディアをその水晶の横に並べると、静電気的刺激を使って中に保存したデータを映像として起動する。
二つ並んだ水晶柱はどちらも美しく光を弾き、一見どちらも問題ないように見えたのだった。