178:宵闇の唄 その十七
伊藤さんに彼女の力を説明した時、俺は彼女が不安になるだろう、怯えるだろうと思っていた。
それまで能力とは無縁に生きて来た人間が突然異能に目覚めると、最初は怯え、そしてその反動か、能力を使った犯罪に走る者もいる。
だが、後発的な異能者で最も多いのはその力を隠しながら生きようとして逆に暴発させるというパターンだ。
人は未知なる物からは距離を置きたい、目を逸らしたいと思うものなのだろう。
しかし、そんな俺の予想は外れた。
「それじゃあ私、隆志さんの力になれるんですね?」
「え?」
「隆志さんが危険な場所にいて、苦しい思いをしている時に、ただ見ているだけじゃなく、その助けになれるってことですよね?」
「い、いや、待った。そもそも巫女は荒事には向いてない。闘うための力じゃないんだ。もっと、こう、知覚的な力であって……」
俺はしどろもどろに説明した。
そもそもが、俺自身、巫女のことは資料に載っているようなことや、会った際の印象などしかわからない。
実際に巫女の能力が巫女として以外に使えるのか? ということは正直わからなかった。
しかし、明らかにまずいということはわかる。
一つ間違えば彼女はこっち側に踏み込んでしまう。
いや、すでにさっきは無意識に踏み込んで来ていた。
それだけは駄目だと、俺は断固として思っていた。
彼女には平和で安全な場所にいて欲しかったのだ。
「ふふっ、ごめんなさい、そんなに慌てなくてもいいですよ。いきなり隆志さん達と一緒にハンターをやるとか言い出したりしません」
「あ、うん、いや、その、こっちこそすまん」
伊藤さんがそんな俺をなだめるように言ってくれて、ふと、俺は気づいた。
ああ、自分はなんて狭量なんだろう、と。
俺の考え方って、女は働くなとか、女は家にいろとか言っている時代錯誤の亭主関白な旦那みたいなもんじゃないか? と思い至ったのだ。
彼女の人生は彼女のもので、その生き方を決めるのは伊藤さん本人だ。
俺が彼女の選べる道を狭めるのは間違っている。
「いいんです。わかっています。それに、急に何かの能力が発現したからって、それで何かが出来るとか思うのは危険だって私も知っています。冒険者には異能持ちの人が多いんですけど、能力に覚醒したての若い人程二度と帰ってこないことが多いんです。父はそんな時、『自信家は事故を起こす』って表現していました。あの頃は開拓の仕事と思っていましたけど、やっぱり親しくなった人がいなくなるのは寂しかったから、よく覚えています」
「そういうことはないんじゃないかな? 優香は」
「私は自信家ですよ。隆志さんにだって猛アタックしましたからね」
「えっ!」
突然の話の転換に俺は動揺した。
そう言えば彼女の好意はずっと真っ直ぐだった。
あの迷いの無さは強さと言っていいだろう。
まぁ、その、今でも俺相手だっていうのは何かの間違いじゃないかとは思うんだけどな。
「だから、余計に、自分を抑えないと駄目だなって思うんです。本当は私、隆志さんの前に立ち塞がって、隆志さんを傷つけようとする全部から守りたいぐらいなんですよ。私、知っているんです。隆志さんは本当は戦うことなんか好きじゃないんでしょう? 綺麗な物に触れて、綺麗な物を見て、そして、綺麗な物を生み出す人なんです。隆志さんはきっと、怪異にだって美しさを感じているんじゃないんですか?」
「……あ」
それは衝撃だった。
そして喜びでもあった。
ずっと、言葉に出来なかった答えがそこにあったのだ。
羽ばたく繊細な手作りの飛行機、いつか見た空を埋め尽くす銀色の蝶のような怪異、野に咲く花の揺れる花弁、虹の掛かる滝の向こうにゆらめく竜神の影、俺がハンターから決別して、玩具を作る職人になろうと思ったのは、心に刻まれたたくさんの美しい物を自分の手で生み出したかったからだ。
壊す者であり続けることに耐え切れなかったからなのだ。
それを今はっきりと自覚した。
俺自身以上に、俺を理解しようとしてくれた女性によって。
戦うことが当たり前だと思っていた。
そのための場所にそのための力を持って生まれたのだ。
それは義務であり、決定事項だ。
『俺』を生み出すためだけに、死んでいった人たちが俺たちの血の奥には眠っているのだから。
だけど、結局、俺は耐えられなかった。
逃げ出した自分を責めたこともある。
周囲の優しさに甘えている自覚もあった。
でもそうか、そうだったんだ。
血に植え付けられた憎しみと魂が渇望する望みが俺の中で互いに互いを喰らい合っていることをはっきりと理解した。
「ああ、うん、そうか。ありがとう優香。でもさ、俺は大丈夫だから」
「わかっています。だから余計嫌なんです。なりふりかまわず弱音を吐いてくれれば私だって抱きしめて私がついているから大丈夫ですよって言ってあげられるのに」
そう言って膨れた伊藤さんは暴力的に可愛いかった。
だから思わずその場で抱きしめてしまったことは仕方のないことだと思う。
そう、いわゆる不可抗力だ。
伊藤さんの家に着いて、迎えに出て来たお母さんに父親であるジェームズ氏を呼んでもらう。
にこにことした伊藤さんのお母さんは俺たちの様子から何がしか感じたはずなのに、顔色一つ変えることなくにこやかにうなずいて、まずは中へ入るように俺を促した。
込み入った話になりそうなので、俺もそのまま上がり込む。
「その、先にお父さんと二人で話したいんだけど、いいかな?」
伊藤さんは何か言いたげに俺を見て、ちょっと微笑んだ。
「隠したいことを上手に隠せないのは隆志さんの美点だと思っていますから、いいんです。許してあげます」
「あ、うん、ありがとう」
うん、バレバレですね。
でもやっぱり形式美というか、主に伊藤さんのお父さんの気持ち的なこともあるからその辺は許して欲しいかな。
だから許されてよかったな、俺。
ちょっと何やら伊藤家の今後に不穏なものを感じながらも、俺は今現在の心の平穏のためにそこからは目を逸らした。
応接間に、いつもの通りムスッとした伊藤父が現れた時、正直に言うと、この日に限りほっとした。
なんていうか共犯者の気分である。
「なんだね? こんな時間にわざわざ話とは」
「彼女に、能力が発現しました」
俺の言葉に、伊藤父はピクリと眉を動かした。
さすがは古参の冒険者だ、動揺をほとんど表さないとは恐れいった。
「何があった?」
「最近、突然人が昏睡する事件が続いていましたよね。その犯人に偶然行き遭って」
「貴様の悪運には恐れ入るな」
「申し訳もない」
なんか理不尽な気持ちもあるが、ここはまぁ謝っておこう。
伊藤さんに責任がないのは当然のことなので。
「そこで戦ったんですが、相手が触れた端からこっちの生気を奪う奴で攻めあぐねていたら、優香が……っと、優香さんが急に歌を歌って」
伊藤さんを呼び捨てにしたら睨まれたので、急遽さん付けに直す。
すみません、フランクすぎましたね。
「歌、だと? そんなはずはない、優香が歌を人前で歌うはずは」
「やっぱりそうでしたか」
歌が下手だから人前で歌わないほうがいいというのは親が子に言う言葉としてはおかしなものだ。
下手だって気持よく歌えるなら別に歌ったっていい。
そもそもその言葉に従う必要もない。
つまりは、一種の暗示のようにそういう風に誘導したのだ。
伊藤さんが歌を歌わないように、伊藤さんが無能力者として振る舞うように。
前にもそう推測していたが、伊藤父の施した暗示は実に巧妙だった。
無能力者は普通の人なら無意識に受け取り、発しているはずの波動を受け取らず、自ら発することもない。
巫女は自分の波動と他者の波動を同調させることが出来る。
同調させることが出来るのなら、無能力者のように全く受け付けないことも出来るのではないか? という考えで、そういう風に無意識に力を誘導して使わせていたのだろう。
おそらく伊藤さんは幼い頃に歌を歌うことで既に巫女として覚醒していたはずだ。
歌が彼女の能力の発現方法だと把握している以上は間違いない。
両親はそれを隠すために冒険者のチームと一緒にキャンプで育てた。
普通、冒険者は家族だけはどこかの国に定住させるものだと聞く、しかし伊藤さんの場合はどこかの国に定住して義務教育を受けるとなれば事前に能力テストを受けなければならない。
そうしたら家族から引き離されて国に子供を奪われてしまう。
以前推測したことと合わせて、伊藤父が彼女を守るために行ったことの全貌がやっと見えた。
「申し訳ありませんでした」
俺はジェームズ氏に頭を下げた。
いわゆる土下座という奴である。
「何の真似だ?」
「彼女の封印が解けたのは、おそらくは俺の因縁のせいです」
「なるほどな」
ん? しばし待っても蹴りとか拳とかの衝撃が来ない。
もしかして何か武器でも取りに行ったか? と思ってちらりと顔を上げてみる。
「なんだそのざまは、みっともないから早く頭を上げろ」
「あ、はい」
苦虫を噛み潰したような顔をしているものの、伊藤父、ジェームズ氏は俺を殴ることもせず、武装もしていなかった。
そして、土下座をやめさせると、苦々しい顔のままで言った。
「お前と付き合うと優香が決めて、俺が認めた時にある程度の覚悟は出来ている。冒険者もハンターも因果なことでは同じようなもんだ。もちろん祝福されし者もな。それでも守ると言ったよな」
「はい」
「だったらそれはもう自分には無理だっていう負け犬の姿勢って訳か? ならとっとと尻尾を巻いて逃げ出すんだな」
「いえ、絶対に彼女は、優香さんは守ります」
「なら謝るな。いいか? 守れなかった時はお前は死ぬ。それだけだ。謝る必要なんかない」
ひやりと全身が凍るような殺気が部屋に満ちる。
俺はそれを背筋を伸ばして受け止めた。
「はい!」
「いや、殺すのは生ぬるいな。永遠に魂を封じられて後悔と苦しみを味わうというのが似合いの末路だな」
「っ、彼女を守れなければ同じことです」
ぞっとするような殺気をそのまま受け止めながら、俺はきっぱりとそう言った。
過ちを罰してもらおうとするのは甘えなのだ。
彼女を失えばそれは後悔すら生ぬるい魂の廃墟へと辿り着くに違いない。
ジェームズ氏に改めて喝を入れられた気がして、頭を深く垂れる思いだった。
 




