163:宵闇の唄 その二
クタクタになって家に戻ってみるとテーブルの上にメモが置いてあった。
『ご飯作っておいたので食べてください。出迎えに行けなくてごめんなさい』
おおおお、なんか一気に元気が出て来た気がするぞ。
キッチンに行くとカウンターに何か布の塊がある。
「む?」
触ってみると中は堅い。
開くようなので開けてみると中から両手鍋が出て来た。
おお、鍋に服を着せるとか可愛いな、さすがは女の子と言った所だろうか。
布の柄も花柄でこの殺風景な部屋で浮きまくっている。
いや、蝶々さん達にはぴったりか?
鍋がまだほんわりと温かいんだが、これってきっと出勤前に来て作ってくれたんだよな。
もう昼過ぎなんだけど、まだ温かいって凄くないか?
結局俺は特区の駐屯地で仮眠しただけで、まともに寝ていないままなのでとりあえず眠ってしまいたいという欲求は抗えない程に強い。
しかし、よく考えたら朝方明子さんとコーヒー飲んだぐらいで十五時間ぐらい何も口にしていないような気がする。
せっかくだから食べよう。
温めなおすの面倒臭いし、まだあたたかいようだからこのまま食えば良いよな。
蓋を開けると中はシチューだった。
鍋のままスプーンを突っ込んで掬い上げると、大きめの野菜が崩れかけた感じで出て来る。
口に含むとまるで噛む力を必要とせずに口の中で溶け崩れた。
「美味い、優しい味だな」
それはレストランやおしゃれな店で食べるような高級な味じゃないが、なんとなく懐かしい味だった。
昔人参が苦手だった由美子のためにおふくろが工夫したシチューがこんな感じだったように思える。
気付けば鍋いっぱいだったシチューを完食していた。
「全部食ってよかったのかな?」
ちょっとだけ悩んだが、食った事実が変わる訳でもないのですぐに考えるのをやめてリビングに転がる。
ひたすら眠かったのだ。
どこからか歌が聴こえる。
ああ、これは癒やしの唄だな。
村にも使い手がいるが、なんでも音と言葉の組み合わせは生物の状態を変化させるのに最適なのだと言っていた。
特に声は生来の才能が物を言うのだそうだ。
高くもなく低くもなく、ちょうど小川のせせらぎのようにいつの間にか耳に入って来る、そんな声が一番適しているのだと言っていた。
そしてもう一つ、この言葉と音の組み合わせは古来から神に使える巫女達の力の源だった。
自らをトランス状態にして神を下ろすのに最適な状態を作り出すことでお互いに余計な負担が掛からないようにするのだ。
また、巫女はこの音と言葉を攻撃にも使えると言う話だった。
とは言え、それだけの力を持った巫女は既に現在はほとんど存在しない。
最も強力な巫女を作るために三歳の子供を暗所に閉じ込めるような真似は現在では許されないからだ。
ただ、巫女の才能を持った者が音と言葉を介することによって他人に様々な働きかけが出来るのは確からしい。
「ん?」
夢の中で聴いていたと思っていた歌が、目が覚めてもまだ聴こえていた。
床にそのまま転がっていたはずの俺の上に毛布が掛かっていて、頭の下にクッションがある。
「お?」
「あ、起きました? お疲れ様でした」
キッチンから声がして、どこか嬉しそうな顔が覗いた。
「あれ、来てたのか。起こしてくれればよかったのに」
「疲れている時は体の欲求に従ったほうがいいんですよ」
クスクスと笑う。
なんだか安心する声だ。
日常に帰って来たんだと実感する。
「ありがとう」
「えっ、お礼なんて、私、その、お迎えに行けなくて、寂しくて」
なんだろう、こんな可愛い存在が世の中にいていいのかな? 俺の手の届く所にいていいんだろうか?
あれだな、これは、あのほら豚に真珠とか、猫に小判とかあのたぐいの話だ。
「シチューごちそうさまでした。美味しかった。それと、あれ、鍋に被さってたの可愛かった」
「あ、あれ、鍋帽子って言うんですよ。朝じっくり料理している時間がなかったので、鍋帽子に後半は任せておいたんです。ちゃんと出来てたのならよかったです」
「なに? 魔法の道具かなにか?」
「いえ、そんな高級品じゃありません。普通の布で出来ているんです。私が作ったんでちょっと見た目は不格好ですけど」
「自作かぁ、布、すごく可愛いのだったね」
「えへへ、実はあれ、私が子供の頃の半纏をキルティングにして作ったんですよ」
「なん、だと、優香が子供の時の半纏だと、あれを着た小さい優香、可愛すぎる」
想像して俺が感動していると、伊藤さんは真っ赤になってお玉を振り回した。
「子供の頃の私なんか知らないでしょ! もう」
「甘いな、伊藤母から解説付きで見せてもらったぞ」
「お、お母さん! 何やってるの!」
「おむつが取れてない頃の写真もあってだな、あれはあれで……」
「やっやめて! やめないとユミちゃんにお兄さんが変態だったって言い付けますよ!」
「なっ……伊藤さんが俺を脅す……だ、と」
俺がクッションを胸に抱いたままよろめくと、伊藤さんが頬を膨らませた。可愛い。
「お部屋では苗字呼びは禁止だって言ったじゃないですか」
「あ、うん、ごめんな、優香」
「え、あ、はい、隆志さん」
二人して赤くなる。
何やってるんだろう、俺。
「あ、そう言えばさっき歌ってた?」
「あっ!」
俺の言葉に、伊藤さんが飛び上がった。
リアルに跳ねた。ぴょんと。
「き、聴いていたんですか?」
「いや、聴いていたというより聴こえてたというべきかな」
「す、すみません! お聞き苦しいことをっ! ついあの、嬉しくて、ご、ごめんなさい!」
お、おう、可哀相なぐらい動揺しているぞ。
「いやいや、なんか癒やされた。あれって回復の術?」
「ち、違いますよ! 普通の、ええっと、普通より下手かもしれませんが、普通の歌です! 単なる童謡です」
「へぇ、凄いな」
俺も起き抜けでちょっとぼんやりしてたけど、普通の歌って感じじゃなかったけどな。
やっぱり巫女の素養のせいなのか。
しかしなんでこんなにあわくっているんだろう?
「父さんと母さんからくれぐれも他人に聴かせるなと言われていたのに私ったら。あ、でも他人じゃないからいいのかな?」
「いやいや、え? ……いやいや」
何か気になる単語が混ざり込んでいたぞ。
こ、これは追求すべきだろうか?
追求したらその先に最高のひとときがあるような気がしないでもない。
――……ピンポーン
そんなちょっと大人な世界になりかけた俺たちを牽制するかのように、入り口からの呼び出しが来たのだった。
 




