130:羽化 その五
冒険者の情報を収集するにあたって、弟は伊藤さんを巻き込むというようなことを言ったが、俺はやはり踏ん切りが付かなかった。
いや、確かに元冒険者の伊藤父に直接聞けばいいのかもしれない。
伊藤さんの自宅の連絡番号は知っているから、伊藤さんが自宅に居ないとわかっている時に連絡を取れば伊藤さんを巻き込むこともないだろう。
しかし、伊藤さんを巻き込むのが駄目で伊藤父ならいいということじゃあないんだよな。
まぁようするに俺の気持ちの問題なんだけどさ。
そう考えてふと思い出した。
縁ということで言えば限りなく薄いが、元冒険者を俺は知っていた。
むしろ縁が薄いほうが余計なことに巻き込むこともないだろう。
そう考えた俺が仕事帰りに寄ったのが元冒険者の営む多国籍食堂だった。
カラカラと鳴るちょっと変わったドアベルの音を聞きながら店内を見回す。
この店はいつ来ても満席になっているのを見たことがない。
休日の昼間や平日の夜はそこそこ客が入っているのだが、今のような平日の夕方や日中にはほとんどガラガラで、音楽学校に行っているという娘さんの練習場となっていることが多々あった。
「こんばんは」
「らっしゃい」
娘さんはまだ戻ってないのか本日はピアノ演奏は無かった。
厨房に奥さんも見当たらない。
客が来ない時に詰めていても無駄という判断だろうか。
カウンターの向こう側の壁に板に書いて並べられているお品書きを見ながらカウンター席に座る。
軽食の欄にあった、オムレツ焼きそばという説明書きがあるパッタイカイホーという料理を頼んでみた。
「屋台料理なんですけどね、んまいっすよ」
マスターもオススメっぽい。
「あの、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいでしょうか?」
料理に合わせて現地のビールを頼み、ついでにという感じでそう持ち掛けた。
よく考えなくてもこの人は情報屋でもなんでもなくてただの元冒険者の食堂のマスターだ。
こういう話はあまりよくないのかもしれない。
しかし冒険者協会発行のタウンマップに元冒険者として宣伝を掲げているのだから隠している訳でもないのだろうということもわかる。
世間話として話して、情報が出てこないようなら改めて伊藤父に話を持って行けばいいだけのことだ。
俺はそう割り切ることにした。
「おう? 今日は片割れがいないから料理を俺がしなきゃならんのですが、出来てからならいいですぜ」
マスターはそう言うと、見慣れないラベルのビールとナッツを出してカタカタと片足を少し引きずり気味に厨房へと消えた。
象の絵柄のビールは割合さっぱりとした味で、料理と一緒に飲むにはよさそうな感じだ。
ナッツはそこらで買ってきたおつまみ袋入りの物だろう。
厨房から漂って来るいい匂いを嗅ぎながら、俺は今起こっている問題について自分の中で整理してみた。
迷宮の攻略が二桁階層に及んだ。
これは問題ない。いつかそうなることはわかっていたし、そうなってもらわないといけないことだった。
ただ急激な攻略は、どう考えても安全マージンを取っているとは思えず、表には出ないがかなりの犠牲を叩き出していることが聞こえて来る。
その辺国にちゃんと管理して貰いたい所だが、ゲートがどの階層も共通で、元々自己責任で生きている冒険者を縛るのが難しいということもあって、なかなかに厳しいようだ。
しかも迷宮内に大人数が入れるようになると、たちまち無法地帯化した。
国側も内部に入る冒険者に位置情報表示システムを配布するのだが、これをまともに装備する者が少ない。
彼らにしてみれば国のお役人がお宝の情報を楽して入手しようとしているとしか思えないのだろうから仕方ないのだろう。
国としても自分所の軍隊を危険な最前線に送りたくないので全く独自の情報を入手出来ない状態となっていた。
結果として二桁台の中階層はどんだけヤバイことになっているのかは、実際に潜っている冒険者達にしかわからないのだ。
そこに今回のメタモルフォーゼ化の話である。
俺からすれば一度迷宮を閉鎖するべきなんじゃないかと思うのだが、既にあの迷宮を中心とするビジネスラインが出来上がってしまった今となっては、迷宮を仕事の拠り所に起業した若い企業が立ち行かなくなってしまう可能性があった。
そのため、国側も決断に迷っているらしい。
今は正確な情報が欲しいという段階のはずなのだが、既に警戒指示が来ているということは、何かが起きてしまうことを怖れて俺達へ警戒するようにとの通達を出したというところか。
「お待ちどうさま」
いい匂いと共に料理が置かれる。
普段食べるオムライスのイメージは楕円っぽい形だが、出されたそれは卵で四角く包んだ料理という感じだ。
箸で卵の外套を破ってみると、中には焼きそばのイメージとは違うオレンジっぽい太麺が入っていた。
その麺は、ちょっと透き通っている。
「美味い」
「でしょう」
思ったより優しい味で、料理の好みが子供っぽいと言われる俺には合っているようだった。
「それで私に聞きたいことっていうのはどういう話ですかい?」
店主は、鎧のような筋肉をしているんだろうなと思わせる体付きだが、簡単なコック服とエプロンに包まれた今はそこに威圧感はない。
義足の片足のせいで若干動きのバランスがおかしいが、注意していないと忘れてしまいそうなぐらい自然に動く。
「実はマスターが元冒険者って聞いて、最近聞いた変な噂について何か知らないかな? と思ってね」
「変な、噂ですか?」
「うん、まぁ与太話の類っぽいんだが、あの迷宮の話なんで気になってね」
「ああ、迷宮ですか。迷宮ってもんは何が起こってもおかしくはない場所ですからね。私もお役に立つかどうか」
マスターはちょっとだけ遠い目をすると、いかつい顔で俺に笑い掛けた。
気さくな中にも情報の開示に一定のルールを持っている感じだった。
大事な情報を入手する場合、こういうタイプのほうがむしろ安心出来る。
「実は迷宮に潜った冒険者の中にメタモルフォーゼする者が現れているって話なんだが」
「ああ、なるほど怪物化ですか」
なんでもない風に言われた言葉に俺は少し戸惑い、慎重に言葉を選んだ。
「いや、怪物そのものになったんじゃなくて、外見が変化して中身はそのままとかが多いって話だけど」
「下僕とか感染とかじゃないってことですね。見た目が異質なモノに変化しちまうんでしょう? まぁよくあるってほどでもないですが、ままあることではあるんですよ」
「そう、なんですか? ……外見の変化が?」
「長く怪異に関わっている奴らの中に出て来るんですよ、そういう妄想持ちが」
「イマージュ?」
俺はふんわりとした黄色い卵部分を口に入れた。
少し甘いその皮は緊張感をいい具合にほぐしてくれる。
「んー、コレばっかりは現場の雰囲気の中じゃないと理解してもらうのは難しい話だとは思うんですがね。長く冒険者をやっていて怪異と命のやり取りをやっていると、自分が実は人間じゃなくて怪異なのではないか? と思い込んじまう奴がいるんですよ」
「思い込みですか」
「例えばですね、人を殺しすぎて自分は人間じゃなくて超越者だって思い込んじまう犯罪者とかいるでしょ? あんな感じですよ」
「逆にわかり辛くなったような」
「むむむ……」
マスター、実は口下手なのかな。
「まぁ俺が実際に見た話なんですが」
「ん、はい」
「人でなしと罵られて、額に角が生えちゃいましてね」
え? どういうこと?
いくらなんでも展開がいきなりすぎるだろ。
「根を張るタイプの怪異駆除のために、まぁなんだ、一般の犠牲者が出ましてね。その家族から罵られたんですが、罵られた当人はニヤニヤ笑って、『そんなこと知ってるよ』って答えやがって、そしたらそいつに角と牙が生えて来ましたよ。相手は悲鳴を上げて逃げ出して、後からもみ消しが大変でした」
「ええっ!」
「うちの頭がいいのに言わせると、生き物は自分のなりたいものになろうとする力があって、無から生じる怪異と間近で触れ合うことで、その能力が触発されてそうなるとか。俺が知ってるのには後、皮膚が鱗に覆われちまった奴もいましたね」
「それって感染じゃないんですよね?」
「違いますね。汚染されればチェックに引っ掛かる。けど、そいつらは全然そういうことはなかったんですから」
イマージュという言葉だけを聞くと実体のない幻のように思えるが、実際に目に見える形で発生しているのはとんでもない話だ。
しかし、今までそんな話聞いたことは無かったぞ。
「人間もまだまだ進化しているってことですかねぇ」
いやいや、いやいやいや、なんかおかしいからそれ。
俺は謎を解明しようとして謎を増やしてるような気がして一人頭を抱えたのだった。




