122:氷の下に眠る魚 その八
無人駅で列車を降りる。
この辺りは古来からの塚囲みによって結界を形成している地域で、人里と言えど怪異がうろうろしている。
害意があるモノは基本的に守護者が弾くが、内部で発生したモノについては守護者と言えどどうにも出来ない。
それには人間自身が対応するしかないのだ。
そのため、人里には必ず簡易的であろうと社があり、宮司と狩人と巫女がいるのが通常となっている。
昔ながらのやり方で成り立っている形の山里は、まるで時が止まっているように感じてしまう。
電気を通すための電線や車を走らせる為の標識が無ければ今がいつの時代かさえわからなくなるような場所なのだ。
俺は本当に久々の濃厚な精霊の気に少々酔いそうになりながら山道を辿った。
俺がこの地に来たのには理由がある。
巫女と精霊が強く結びついた末に精霊のほうが巫女の影響を受けてしまったのがここの守護者だ。
巫女が精霊の影響で魂を失うことは多々あれど、精霊が巫女の影響で人のような衣を纏う精霊となることはなかなかない。
人間の目前に人のような姿で現れる精霊はいるが、それは交流のための一時の仮の姿で、本体はその源となる自然の形を生物に投影した姿だ。
河川なら蛇や竜、山なら猪や岩亀のような自らに近い形を取ることが多い。
しかし、ここの守護者である水神は歴代の巫女の姿を混ぜあわせたような少女の姿となった。
それだけ永い間、この地で人と精霊が結びついていた証でもあるのだろう。
雪が残る山道を歩いて行くと、やがて雪溜まりで遊んでいる子供たちに遭遇した。
僻地は過疎化高齢化が進んでいると聞いていたがまだ子供がいるんだなと俺は変な感慨を覚える。
「あ、君たち」
「きゃああああ!」
「わあっ!」
ちょっと声を掛けただけで子供たちに逃げられてしまった。
傷つくんだが……。
とは言え、遠くに逃げ去るわけでもなく物陰からこちらを覗っている。
どうやら気の利く子は一人どこかへ知らせに走ったらしい。
「あー、お兄さんは悪い人じゃないぞ」
「うそだ!」
野郎、即断しやがった。
子供たちの中でも年長そうな少年がこちらを睨みながら決めつける。
「お前魔物だろう!」
おいおいやめてくれよ、マジでブロークンハートだぜ。
いっそ脅かしながら追い掛け回してやろうかとも思ったが、いくらなんでもおとなげ無いと思いとどまった。
しばし睨み合いに陥っていると、村の道の奥からいかにも農家の男といった日に焼けたゴツゴツとした体格の大人の男性が現れた。
どうやら先に村に駆け込んだ子供の一人が呼んできたようだ。
「こんにちは、おんやまぁ、お客人ですか? 辺鄙な村へようこそおいでですな」
「あ、はい、こんにちは。社に用がありまして」
「はて? 祭りは先々月に終わりましたが?」
「あ、いえ、お祭りの手伝いじゃないんです」
さすがは大人だ、ちゃんと会話が成立したぜ。
俺と話しながらその人がそっと左手で魔除けの印を切ったのは見なかったことにした。
その後至極穏やかに、なんとなく用心されながら俺は社へと案内されて到着した。
途中誰にも出くわさなかったのは寒いから誰も外に出ていなかったからだろう。
不審人物がうろついているから外に出ないように話が回ったわけじゃないはずだ。
俺怪しくないから! 見た目が怖いだけだから!
心の中でそんな理不尽に対して文句を言っていた俺だが、案内された社を守護する宮司さんがすぐに現れてくれたのでさすがに慌てて居住まいを正した。
ここに以前来たのはかなり昔のことだが、変わってないなこの人。
「こんにちは、お久しぶりです。ご健勝そうでなによりです」
「こんにちは。しかし神無月でもないのに護法の御子がおいでになるとはお珍しいですな」
「いや、俺は今は本家からは離れて一般人ですから。それにしても村の人たちがえらく警戒していますね」
「ああ、以前お見えになった時のことを覚えておられますか?」
「以前?」
俺は記憶を辿る。
ここに以前来たのはまだ学生の頃、具体的に言えば高校生の頃だ。
村の中で呪が使われたとかで怪異が異常発生し、老人の何人かが生き腐れの状態になってしまっていた。
汚染を始末した後、仕方なくその老人達の患部を切除する手配をすることとなってしまった。
仕事はきちんとやったとは言え、苦い思い出の一つだ。
とは言え、怪異が人に牙を剥いた場合犠牲が出ないことのほうが珍しい。
その被害を出来るだけ減らすのが俺たちの仕事でもあった。
「どうやらあの時のことが村人に畏れとして残ってしまったようなのですよ。だからあなた自身を覚えていなくとも、外部の人間に敏感になってしまったのです」
「そうだったんですか」
昔のこととは言え、宮司の言葉は重かった。
呪は村の身内から放たれたものだったのだが、見知らぬ者達がやって来て最終的に知人や身内が傷ついたのだ、彼らからすればわかりやすく見知らぬ者達に原因を求めるのは当然だったのかもしれない。
むしろその方が小さなコミュニティでは禍根が残らずに済むに違いなかった。
「それは確かに仕方ないですね」
宮司さんは少し驚いたように俺を見ると、微笑んで言葉を継いだ。
「まぁしかし、そのような思い込みは時間が解決してくれるでしょう。このような里でも外部からの来客は無いわけではないのです。いつまでも外に怯えてばかりではありません。人は忘れる生き物ですからね」
「ありがとうございます」
慰めてくれているのだと感じて礼を言った俺に、宮司さんは溜息を吐く。
「ここは本来は貴方は怒っていいのだと思いますけどね。なにしろ苦労して彼らを救ったのですから」
「え? でも、救いきれなかったから傷ついた人がいたんでしょう? それを責められるのは仕方のないことですよ」
俺の言葉に宮司さんは困ったように笑った。
ああ、この人は優しい人なんだなと感じた。
彼に限らず、神職の人にはこういった懐の深い人が多い。
若いころに厳しい修行をするということなので、そのせいなのかもしれなかった。
「ところで今回はいかようなご用件で?」
「あ、はい。守護者樣にお会いしたいのですが、かないますか?」
「ヌシ樣ですか? この時期はお眠りになっていらっしゃることが多いですよ?」
「夢渡でもかまいませんが」
「ふむ、巫女殿にお尋ねしましょう」
俺の体がびくりと緊張する。
やはりここにはまだ巫女がいるのだ。
次代の巫女が見つかったのか、未だ昔の巫女がそのまま続いているのかわからないが、俺は巫女に会うのは昔から苦手だ。
それが伊藤さんのことがあって、更にその気持が高まってしまっていた。
しかし、今だからこそ俺は直視しなければいけない。
ふと気づくと、その女性は、全く気配を感じさせずに現れていた。
年齢は高齢であるということ以外わからない。
家族から引き離され、本人はもう自分の誕生日すら覚えていないのだ。
瞬きしない瞳を世話係が瞬きさせて目薬を差すという。
口にするのは液状の食事のみ。
それも肉類は一切摂取しない。
人としての存在が希薄な彼女は、まるで中身のない空洞の人形のように動き、座った。
やがてその器がゆっくりと満ちる。
「よくいらした、護法の御子よ」
老女の口から出るとは思えない澄んだ柔らかい声音。
それがこの地の守護者、滝の精霊であった。
 




