119:氷の下に眠る魚 その五
伊藤さんの父である元冒険者ジェームズ氏は明らかに人種の違う濃ゆい顔を歪めた。
「あの娘はな、俺達にとってかけがえのない存在だった。俺一人の娘というより俺たち仲間全員の娘のようなもんさ。だから、何かあれば仲間全員で護る。国が無体を働くようなら俺たちのフィールドに出てしまえばいい。未開発地域にまで追って来る程の価値でもあるまい」
さすがは元冒険者だ。
国から護られる安全をそれ程大きな物と思わないんだな。
「それは護る側の理屈でしょう。伊藤さんは、優香さんは違う意見かもしれない」
う、彼女の名前を正面切って呼ぶと照れる。
俺の言葉に、ジェームズ氏の殺気が膨らんだ。
おおう!
「なに気軽にうちの娘のファーストネームを呼んでるんだ! くそこら!」
何気に本日一番のお怒りが来た!
そこの所、やっぱり父親なんだな。
「や、ええっと、待って、ちょっと落ち着いてください」
「順序が違わねぇか? ああん?」
暴力を生業にする人ですか? あなたは。
ああ、そうか、冒険者って基本そういうお仕事だよね。
「順序、というと?」
「てめえの覚悟を語る前に娘の気持ちを語るんじゃねぇ! ってこったよ!」
「あ……」
ああ、そうか、そうだよな。
うん、駄目なのは俺のほうだ。
俺の気持ちを語る前に彼女が巫女だと言ってしまっては脅しと同じだ。
ほんと、駄目だよな、俺。
「あ、あのでしゅね!」
うお! 緊張で舌が回らなかった。
「男がとちっても可愛くないぞ」
「いや、別に可愛さをアピールしたつもりじゃなくって、俺も緊張しているんですよ」
「どうだか。ふてぶてしい面構えしやがって」
そうですね、俺の顔は怖いですよね。
でも生まれつきなんで勘弁してください。
「ごほん」
空咳をして仕切りなおす。
ここは大事な所だ。
落ち着け、俺。
「俺は伊藤さん、いえ、優香さんが好きです。生涯を共にしたいと思っています。だから、俺に彼女を護らせてください」
ジェームズ氏の顔が更に怖くなり、額に青筋が浮いている。
明らかにお怒りだ。
しかも無言である。
しばしお互いに無言の状態が続き苦しくなって来た。
言うべきことを言い切ってしまった俺はひたすら待ちの姿勢だが、酷く息苦しい。
今までどんな怪異を相手にしてもこれほどの恐怖を感じたことは無かった。
はっ! そうか! これが恐怖か!
伊藤父はおもむろに立ち上がると、入り口側にある小さめの書棚に近づいた。
俺は無言でそれを目で追う。
なに? 家訓とかそういう何かか?
伊藤父が分厚い書物を手前にひっぱると、その瞬間ドン! と重い重圧が体に掛かった。
うおっ! なんだ?
「ほう、さすがこの国の誇る勇者の血統。この封印術式でも意識があるんだな。まぁいい、しばしそこでおとなしくしていろ」
え? なに? 封印かよ! ってかあんた自分ちの地下になに造ってんだ!
必死で身動ぎをしようとするも指一本持ち上がらない。
まじもんの封印だった。
ちょ、おい!
伊藤父はそのまま地下室を後にした。
振り返りもしない。
え? もしかして俺、娘を危険に晒す敵として認識されて強制排除された?
ずっとこのまんま?
窮屈な状態で放置されたままどのくらいの時間が経過したのか、やがて上の階から誰かが降りて来た。
「木村さん!」
あ、伊藤さんか。
首も動かないんで良く見えないんだけど、どうせ封印されるなら毎日伊藤さんが来てくれるとかのご褒美があってもいいと思うんだ。
などと俺がバカなことを考えている間に伊藤さんは俺に触り、生きていることを確認すると、なぜ俺が動けないのかの原因を探しまわった。
うん、わかっちゃいたけど、伊藤さん、封印結界素通りで俺に触れることができるんだな。
戦時中に無能力者が大活躍した理由がよくわかるね。
まぁ伊藤さんは無能力者じゃないけどさ。
やがて不自然に飛び出している本に気づいた伊藤さんはそれを押し込んだ。
「お、動ける」
ナイスだ、伊藤さん。
「ごめんなさい。父がやったんでしょう? うちの父、時々とんでもないことをやらかすから」
伊藤さんが深々と頭を下げて来た。
いやいや、伊藤さんがここに来ている時点で本気じゃなかったんだろうから。
そもそも伊藤さんが謝る筋合いじゃないしね。
「いや、娘を取られる父親としては正しいんじゃないかな? ちょっと過激だけど」
「えっ!」
俺の言葉に伊藤さんの頬がたちまち真っ赤になる。
この地下の照明のせいなのか全身がほのかにオレンジがかって見える中、浮かび上がる朱の色は夕焼けの色合いを思わせて凄く綺麗だった。
「じ、じゃあ、あの、木村さんは父に、その、言ってくださったんですか?」
「あ、うん。まだ正式じゃないけどね。本当はちゃんとご両親と伊藤さんが全員揃った所で言わないといけないんだけど、話の流れでそういうことになっちゃって」
まぁよく考えれば確かに順序が逆だった。
先に結婚を申し込んでから彼女の体質の相談をするべきだったんだ。
俺も苦手なことを先送りしてしまっていたんだな。
そりゃあ伊藤父も怒るわ。
というか、俺の家族への報告のほうはどうしよう?
やばい、無意識に考えることを放棄していたけど、実家方面は絶対もめるよな。
現代は昔と違ってうちの一族も国の法の保護下にある。
婚姻の自由は認められているはずなんだが、理屈で全てが収まるなら争い事は起きないからな。
「あ、そう言えば、伊藤さん、お父さんはなんて?」
伊藤父がなにを思って伊藤さんをここに寄越したのかがわかればそこが突破口になるかも。
そう考えた俺は甘かった。
伊藤さんは溜息を吐く。
「もう、父ったら、『邪魔者は排除したから安心しろ』とか言っちゃって。詳しく聞こうとしてもだんまりで」
「あ、はは……」
これはそうとう嫌われたな。
どうしたもんかな。
いや、とりあえず結婚云々は後でいい。
それは平和で幸せな悩みだしな。
問題は伊藤さんの体質だ。
俺が黙っていれば問題なく過ごせるようならそれでいいだろう。
ジェームズ氏に釘を刺されるまでもない。
俺は伊藤さんを誰かに利用させるつもりは毛頭ない、誰にも言ったりはしないと誓える。
だが、それで済むとは到底思えない。
俺に関わる以上、彼女がそれとは知らずに力を使ってしまうことが無いとは思えないからだ。
俺のうぬぼれで済んでしまう話ならいい。
だけど、伊藤さんは優しい人だ。
俺のことだけじゃない。
今の、迷宮都市となってしまったこの中央都市で、誰かが危険な目に遭っていたら、無意識に力を使ってしまうだろう。
このまま放置する訳にはいかない。
「もう一回、お父さんと話すよ」
「大丈夫ですか?」
「うん、なんか話の主旨が上手く伝わってないだけだと思うんだ。その、ええっと……」
今更だが、言いよどんでしまって俺は自分の唇を湿らせた。
「ご家族に結婚を、ああいや、お付き合いを正式に申し込むのはまた後日になってしまうと思うんだけど、その……ごめん」
謝る。
さっき期待させてこのざまだ。
あっちもこっちも本人達以外の想いを解きほぐさなければ、お付き合いがどうとか結婚がどうとか進めるのは難しいだろう。
だが、伊藤さんの体質はそれより先になんとかしてしまわなければならない問題だ。
「いいえ、急いでも良いことはありませんよ。うちの両親も木村さんのことをお祓い師みたいにしか思ってないと思うんです。誤解の上に信頼を積み上げることは出来ません。……それに、私も、実は不安なんです」
「え?」
あ、俺はまたしてもうっかりしていたことに気づく。
そうだ、伊藤さんだって不安なんだ。
当たり前だよな。
「木村さんのご家族に妹さんと弟さんがいらっしゃることは知っていますけど。他のご家族や故郷のこととか、なにも知らないのに知ってるつもりで木村さんと一緒に歩いて行こうとかおこがましいでしょう? もっとちゃんとしないと駄目だなぁって反省しています」
「う……」
俺は思わず伊藤さんを抱き締めていた。
やっぱり凄いな伊藤さんは。
俺なんかよりずっと大きな物が見えているんだ。
「きゃっ、あの、あ」
しかし、柔らかくて暖かいな。
女の子ってみんなこんな感じなのか? それとも実はやっぱり伊藤さんが特別なのか?
ふわっと香るのは石鹸と何かの花の香りと土の匂い。
今まで庭にいたのかな?
「『永遠の牢獄』という術があるのを知っているか? 特に危険な怪異に対して使う術でなぁ、解呪の法がないんだ」
背後で低い声がまるで呪いの言葉のように呟かれた。
「うわあ! さ、さすが元腕利き冒険者ですね。気配が全くありませんでした」
慌てて伊藤さんを離すと、氷のような目をした殺戮者がそこにいた。
怖い!
「お父さん! 酷いじゃない! 木村さんは怪異じゃないんだから、変な仕掛けを試さないで!」
伊藤さんがかなり本気で怒っている。
「大体、私達家族は木村さんに助けていただいたのよ! いわば命の恩人だわ! それなのにこんな酷いことをするなんて!」
おおお、怒った伊藤さんは結構怖いぞ。
「は、それとこれとは別の話だ。敵に情けを掛けて命を落とすのは馬鹿のすることだと教えたはずだぞ」
「木村さんは敵じゃないでしょ!」
やばい、親子喧嘩が始まってしまう。
「二人共落ち着いて、上からいい匂いがしていますよ?」
実際いい匂いがして来ていた。
何かの焼き菓子かな?
それと香りの強いハーブティか。
「あ、そうなんです。あんまり甘くないほうがいいと思ってチーズとハーブのスコーンを焼いてみたんですよ。ハーブティも日頃の疲れを取る効果がある物を使っているんです」
「へぇ」
正直ハーブの効能とか手間の掛かるお菓子とかはよくわからないので伊藤さんに任せるしかない。
何にせよ俺のことを考えて作ってくれたと思えば嬉しいだけだ。
伊藤さんは俺を引っ張って階段を上りながら自分の父親に向かって舌を出して子供のようなしかめっ面を作って見せた。
可愛いなぁ。
そう思ってにやけた俺に、獰猛な獣のような殺気が向けられたのだった。
 




