12、古民家は要注意物件 その一
それなりに身近な、同級生とか同僚とかが、普段と極端に違う挙動をしていると誰だって気になるものだろうと思う。
しかもそれが、普段は明るく元気で部署のムードメイカー的存在だったりすると尚更だ。
そんな訳で、俺はここの所元気がないというか、心ここに在らずといった同僚の様子を心配していた。
その不審な挙動を具体的に挙げてみる。
ぼんやりと電子記録機械の表示画面を何をするでもなく眺めていたり、昼食中に口に何も入れないで箸を止めたまま休み時間を終えそうになったり、或る日なんかそもそも弁当に中身を詰めるのを忘れて来たりと、普段しっかり者で評判の彼女らしくもない行動が続いたのだ。
そして、その同僚伊藤さんが、本日の昼休みに思いつめた顔で俺に話し掛けて来て、仕事が終わったら少し付き合ってくれないだろうか?と言ったのだ。
この場合、誰だって一も二もなく応じるだろう。当然の話だ。
別に、『もしや俺に告白するのに悩んでいたのか?』等と期待していた訳では決してない。
そう、絶対にだ。
「実はオカルトのことで相談したいんです」
彼女が恥じらう乙女のごとき態度で切り出したのはその言葉だった。
いきなりまた専門用語ですか?ってかオカルトって一般ではどういう意味で使われているんだろう?俺の知ってるオカルトってのはなんというか謎学問のことなんだが、彼女達の言い方はなんか違うよな?
しかし、こないだの件とかを経て、雰囲気はなんとなく理解出来る。
あれだ、ほら、異常現象ってやつだ。うん。
……なるほど、相談ってそのことなんだ。
いや、まあ、俺だってそこまで馬鹿じゃない。
ある程度は予想していたさ。
給湯室で怪異の元みたいなモノを追い払った件以降、俺が怪異関係の専門家であるとのまことしやかな噂が社内に回ってしまったらしいしな。
実に遺憾なことに……。
「ちょっと、待ってくれ。どうも誤解があるようだから一応言っておくが、いいか?この間のはあれだ、まだ怪異になる前のもやもやなもんだったから俺でなんとかなっただけでだな……」
途中で言葉に詰まる。
彼女はどうやらこっちの言葉を上手く飲み込む余裕を失っているようだった。
俺の返答を聞いた伊藤さんは、まるで手酷い暴力でも食らったかのような痛々しい表情になっている。
「そう……ですよね。こんな馬鹿馬鹿しい話、聞いてもらえるはずないですよね」
うお!やっぱり、俺の返事を単なる拒絶の言葉と判断したんだ。
え、何?もしかして今、同僚の、それもいつもお世話になってる女の子を泣きそうな顔にしてるのって俺か?これって他人だったら殴ってもいいよな?って事態だよな。
「いやっ!違うんだ!そうじゃなくてだな、ほら、馬鹿馬鹿しいかどうかなんてちゃんと聞いてみなきゃわからないじゃないか」
ああ、やっちまった!馬鹿か、俺は。
いや、でもこれは仕方ない、仕方ないんだ。
心の中で頭を抱えるものの、顔は笑顔を彼女に向けている。
うん、笑顔のはずだ。
若干引かれている気がしないでもないがきっと大丈夫。
「え、ええ」
そこで言葉が途切れ、微妙に固まった空気のこのテーブルに、別に気を利かせた訳でも無いだろうがいいタイミングで注文の品が運ばれて来た。
可愛らしい制服の店員さんと目が合うと、どこか困惑したような色が浮かぶ。
仕事上がり、伊藤さんに連れられてやって来たここは、一人だったら絶対に入らないと断言出来るような店だ。
白いテーブルにレースのクロスが掛かり、メニューに並ぶのはカラフルで腹に溜まらなさそうな料理やデザートばかり。
というか、ほとんどがデザートで、申し訳程度に軽食が載っている。
男が入店することを端から考えていないとしか思えないような店なのだ。
そんな店に、野性的でステキ!と、評判の俺が入って浮かない訳がない。
当然のように俺は浮きまくっていたが、下手に色々考えては負けだと思って堂々としていた。
椅子にちょっとふんぞり返り気味。
いや、やりすぎかな?
周囲の視線はそんな俺の虚勢など在って無きがごとくすり抜けて、爽やかで可愛い店内に紛れ込んだ異物を不審に思っているのが丸わかりだ。
今運ばれて来て彼女の前に置かれた可愛らしいアイスベースのデザートと、俺の前に鎮座する堂々としたカレーとのミスマッチ感も考えてみれば不味かったのかもしれない。
こういう時はいっそ、郷に入っては郷に従えということで、可愛らしいデザートを頼むべきだったのかもしれなかった。
だがしかし!アイスのデザートは、このカレーよりも高いのだ。食いでという観点から比べたら、どう考えてもカレーだ。
俺は間違ってない。
いや、しかし、ほんと、価値観が崩壊しそうな世界だ。
「あの、それじゃあ詳しい話をさせていただきます」
甘い物を口に入れて、最初のショックから立ち直ったのか、伊藤さんは少し笑みさえ浮かべて話を戻した。
いや遠慮しますとは話の流れ上言えなくなってしまった俺は、カレーを慌てて掻き込むと、咀嚼しながら話を促す。
「実は、つい先日、父が念願だったマイホームを購入したんです」
「へえ、それはおめでとう」
自分の城である自宅を持つというのは、俺たちのような雇われ者にとっては憧れであり、一種のステイタスだ。
一般男性の一生の内に叶えたい夢ベストテン入りは間違ないだろう。
だからこそそれを叶えたというなら祝うべきだ。
すごいな、伊藤さん父。
「それが……」
彼女は俺の祝福の言葉にたちまち顔を曇らせ、アイスを掬う手を止めると、アイスの周りを彩る複雑な模様を描くソースとアイス本体を混ぜて、描かれた模様を意味の無いぼやけた色彩に変えた。
ぶっちゃけて言うと、スプーンでアイスをぐちゃぐちゃにしてしまった。
ちょっと怖いぞ。
「その新しい家で暮らし始めてから両親の様子がおかしいんです」
「おかしいって?」
家が原因でオカルト事例が起こっているということなのだろうか?でもなあ。
「その家は正規の不動産屋を通したんだよね? 担当者には連絡してみました? 不動産屋には売買時に顧客に対する物件の霊障開示義務があるし、もし、販売後にその物件が原因でなんらかの霊障事例が起こってそれを放置すれば法規違反になるんだけど」
「そうなんですか?」
お?そんなに知られてないのか。
まあ両親と一緒に暮らしていて自分で家を借りたこともないだろう彼女にはあんまり関係ない話か。
「ああ、不動産屋は必ず専属の風水士と契約しているんだ。ほとんどの場合霊障事例についてはアフターサービスがある。契約書にも書いてあるし、口頭説明もあったはずだ」
「そうだったんですか?私、家の購入の時に直接関わってないんでよくわからなくって。そうですね、それなら早速調べて連絡を取ってみます」
「うん、それがいいよ」
よしよし、いいぞ、常識的にことが収まりそうだ。
昔から足袋を仕立てるなら呉服屋って言うからな。
専門家が一番だ。
ホッとした俺は、だからつい聞いてしまった。
「それで、ご両親はどんな具合なんです?」
好奇心は甘い毒であると言ったのは誰だったかな?
うん、実にその通りだった。
「それが、あの家に移ってから両親が朝、顔を洗わなくなったんです」
「へっ?」
俺の思わず上げた声をどう思ったのか、伊藤さんは顔を赤らめてうつむいた。
「やっぱり、そんなことと思いますよね?」
「あ、いや、こういうことは身内が一番異常を察知しやすいんだ。ささいなことも大事だよ」
「木村さんにそう言っていただけるとちょっと安心します。ありがとうございます」
伊藤さんはちょっとはにかんだように笑った。
おお、可愛い。
彼女、美人という訳じゃないんだけど、ほんわかしてて優しげな顔立ちで、笑うとこう、見てるこっちがほっとするような子なんだよな。
「実は自分でも馬鹿馬鹿しいと思ったりもしたんです。母が化粧をしなくなったのだって、もう若くないからなのかもしれないし」
「おかあさんが化粧をやめた?他には何か気づいたことはある?」
「はい。実は父も髭を伸ばすようになって、今までそんなことなかったからびっくりして両親に問いただしたんですけど、二人はちょっとした心境の変化で心配無いって言って。でも私はなんだか、あまりにも急に人が変わってしまったみたいな気がして不安で……」
確かにちょっとした心境の変化でずぼらになったと言ってしまえるようなことかもしれない。
だが、彼女の挙げた変化には共通項がある。
かなりわかりやすい共通点だと思うのだが、彼女は気づいていないのだろうか?
いや、家族のことというのはとてもデリケートな問題だ。あまり深く考えないように本人が無意識にブレーキを掛けているのかもしれない。
「うーん、しかし、そっか、それはちょっと不動産屋はキツいかもしれないな」
「そうなんですか?」
「ああ、不動産屋のサポートはあくまでも土地建物の異常、もしくはそれが原因の異常だ。そんな風に住人の嗜好が突然変わったと主張しても取り合ってくれないか、下手すると言い掛かりを付けたと逆に訴えられる可能性がある」
商売人というものは、とにかく評判を気にする。
だからこそサポートを厚くするのだが、同時に証拠がない漠然とした事柄を自分達の過失と認めることは滅多にないのだ。
「……そんな。私はただ両親が心配なだけで」
途端にまた不安そうになった彼女に、俺は慌てて安心させるべく請け合ってみせた。
「要するにだ、原因が家であるという根拠を提示出来ればいいんだ。俺でよかったら一度見てみようか」
「本当ですか!助かります!」
言っちまった!
俺、何やってるんだろう。
軽く自己嫌悪が入る。
あれだよ、ことわざで言うところの、藪に突っ込むから蛇に噛まれるってやつだな。
うん、自業自得だ。