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勇者は誰も救わない

作者: 佐倉 百
掲載日:2026/07/25

 勇者が西の果てに旅立ち、魔族の侵攻が止まった。きっと勇者が魔王を討ち取ったに違いない。人々は偉業を成し遂げた勇者の帰還を待っていた。


***


 アウスラニア帝国は祭りの熱気に包まれていた。そこかしこで酒が振る舞われ、音楽は夜中になっても鳴り止まない。時間を忘れて騒ぐ人々の顔は晴れやかだ。熱狂して騒ぐ人々は、ただ一つの話題を繰り返し語っていた。


 魔王討伐。


 たった一人の若者が、誰も成功したことがないことをやってのけたのだ。


 人間と魔族はお互いの土地を巡って、長い間争ってきた。その魔族を率いていたのが魔王だ。特にここ数年は魔王軍の侵攻が激しく、人間たちは徐々に国土を削り取られていく一方だった。


 いつからか現れた勇者は、人々の支援を受けて魔王城へ乗り込んでいったと吟遊詩人が歌う。誰もが不可能だと思っていた。大軍を差し向けても魔王城の門扉にすら辿り着けなかったのに、一人で立ち向かうなど無謀だ。ところが勇者が魔王城へ向かった十日後に、各地で暴れていたはずの魔族が姿を消した。


 きっと、あの若者は神に愛された勇者だったのだ――人々は認識を改めた。だから一人でも魔王と互角以上に戦えたのだろう。


 最初に動いたのは魔王城に最も近い国だ。戻ってきた勇者を捕まえ、存分にもてなすことにした。上手く勇者に取り入って味方にすれば、あの人間離れした武力が手に入るかもしれない。だが勇者はそんな下心を見抜いたかのように、その国から離れた。


 各国が勇者を手に入れるべく牽制し合い、様々な手段で勧誘していった。どのような駆け引きがあったのか部外者は知る由もないが、最終的にアウスラニア帝国が勇者を「招待」することに成功した。帝国民の喜びが最高潮に達したのは言うまでもない。


 ラザフォードは帝国の筆頭書記官として玉座の間の片隅に控えていた。今日は勇者が皇帝に謁見する、記念すべき日だ。玉座の間には帝国中の貴族が集い、勇者の登場を今かと待っている。ラザフォードの隣では宮廷画家がその様子を木炭でスケッチしていた。


 やがてラッパの音が鳴り響き、勇者の到着を告げる。貴族たちはおしゃべりを止め、入り口へ一斉に視線を向けた。


 一人で魔王を倒したのだから、屈強な大男か修行を重ねた老魔術師か。そんな想像は、勇者が現れると同時に砕け散った。


「おお、あれが……」


 ラザフォードは一瞬、己の仕事を忘れて勇者に魅入られる。


 白銀の鎧をまとった一人の女性だった。年の頃は二十代半ばほどに見える。顔の上半分を仮面で覆っているが、顎の輪郭線やふっくらとした赤い唇は、彼女が整った顔立ちの持ち主であると語っていた。だが、仮面からのぞく瞳を見れば、決して深窓の令嬢ではないと察せられた。


 静かすぎるのだ。温かみのあるオレンジ色の瞳をしているのに、触れれば凍えてしまいそうな光を宿している。過酷な戦場から戻ってきた騎士のように、感情の揺れがない。大勢に注目されても動じないどころか、道端の石としか思っていない反応だ。


 ラザフォードはハンカチで手汗を拭い、ペンを持ち直した。


 勇者の雰囲気に飲まれそうだ。なぜか彼女を見ていると体が震えそうになる。のどに剣先を突きつけられているような妄想が頭から離れない。


 貴族たちにも勇者の異様な空気が伝わったのか、息を殺して彼女の行動を見守っている。唯一、宮廷画家が木炭で絵を描く音だけが聞こえた。


「皇帝陛下がご来臨です!」


 伝令の声で我に帰ったラザフォードは、慣例に従ってイスから立ち上がり、玉座がある方向へ頭を下げた。


「勇者よ。よくぞ魔王を討ち果たした!」


 若い皇帝は玉座の奥から出てくるなり、勇者を褒め称えた。通常であれば、最初に皇帝は臣下に対して頭を上げるよう命じる。だがこの皇帝が権力を掌握してから、たびたび慣例を無視した行動を余儀なくされていた。


 貴族たちは、またかという表情を隠すことなく、それぞれ頭を上げて皇帝と勇者のやり取りに注目した。


「そなたは“我が帝国”の英雄だ。褒美を与えよう」


 勇者がどこの出身なのか知られていない。褒美で釣って帝国に所属させようという魂胆だろう。


 だが悪くないとラザフォードは思っていた。勇者が持つ力はどの国も欲しがっている。あの武力があれば、敵国は侵略をためらうはずだ。もし帝国が勇者を招待する前にどこかの国が囲い込んでいたら、勢力図が変わっていたかもしれない。


 勇者は沈黙していた。仮面をつけているせいで、表情がわかりにくい。


「領地でも爵位でも黄金でも、望む褒美を申してみよ。余の持つものであれば叶えてやろう」

「褒美はいりません」


 ようやく勇者が口を開いた。


 澄んだ声はあまり大きくなかったが、静まり返った玉座の間ではよく聞こえる。


 貴族たちは無欲な勇者にざわめき、またすぐに沈黙した。一言も聞き逃したくない様子だ。


「いらない?」

「はい。その代わりに、私の話を聞いていただきたいのです」

「ほう」


 皇帝は興味深そうに身を乗り出した。


「何を語るつもりだ?」

「私の出自について、です。少々長くなりますが」

「よかろう。聞いてやる」


 勇者は小さく頷いた。


「私は、元は貴族の娘でした。父は先帝に仕える重臣で、政治の中心にいたと記憶しております」


 いったいどこの国だろうと、ラザフォードは考えながら記録をしていく。


 過去形で話しているということは、今の勇者は貴族籍を持っていないのだろう。帝国と称する国はアウスラニアを含めて三つ。まだ彼女の素性を特定するには情報が足りない。


「先帝が崩御されたあと、皇位継承争いが始まりました。父は第一皇子を頂点とする派閥に属しておりました」


 帝国に限らず、次の皇帝や王が決まるまで諍いが絶えないのは、よくある話だ。


「当時の私は幼くて、どのような駆け引きが行われたのかは存じません。ただ、父は政争に負け、第一皇子も争いに負けました」


 勇者が語る内容は淡々としていて、まるで他人の人生を読み上げているかのようだった。


「敵対していた第二皇子が新たな皇帝として即位し、父は宮廷を追われました。その頃はまだ平穏だったのです。父は爵位を失わず、屋敷も領地も残ったのですから。父は悲観していませんでした。以前から投資していた商会の経営が軌道に乗ったばかりで、政治から距離を置くかどうか迷っていたところだったのです」


 父は趣味に没頭する時間ができたと笑っていました――勇者の声が、柔らかさを帯びたように感じた。だが続く言葉にはもう感情はこもっていない。


「ですが、政敵はそれでは満足しなかったようです。ある日、父は皇帝暗殺未遂の首謀者とされました」


 一度だけ、貴族の間からざわめきが広がった。勇者は聞こえていなかったかのように続ける。


「もちろん事実ではありません。証拠は後から作られたのでしょう。反論も許されず、父は獄中死しました。そして、父の訃報を知った夜のことです。私たち家族が住む屋敷が、武装した集団に包囲されました」


 玉座に近い場所で、影のように控えているラザフォードから、貴族たちの顔がよく見えた。一部は悲惨な未来を想像して青ざめている。興味津々で話を聞く者、居心地が悪そうにしている者など、反応はさまざまだ。


「外から聞こえてきた声によると、私たちは反逆者を匿った罪で裁かれるそうです。父と一緒に暮らしているだけだったのに。当時の私は十二歳でした。詳しい法律を知らなくても、自分の未来が閉ざされていくのは理解していました」


 ふと皇帝が座っている玉座を見上げると、彼は足を組み、無表情のまま勇者の話に耳を傾けていた。


「武装した集団は言いたいことを言い終えると、門を壊して門番を斬り殺しました。最初から打ち合わせていたのでしょう。私たちが抵抗をしてきたと騒ぎ立て、屋敷へ雪崩れ込んできたのです。反逆者を討て、一人も逃がすなと。私たちは反逆などしていません。でも彼らには関係なかった」


 淡々と語る勇者の声は、ラザフォードをゆっくり追い詰めていくかのようだった。


 勇者はまだ序盤しか語っていない。本当に恐ろしい出来事は、これから始まる。そう確信したとき、ラザフォードはぞっとした。


「まともな死に方をした者は、ほとんどいませんでした。人間らしい最期を迎えられた者は、最初に殺された者か、襲撃者に立ち向かって返り討ちにされた者だけ。ほとんどの者が人間としての尊厳を剥奪され、命乞いをする者はなぶり殺しにされました。残虐という言葉では語り尽くせない地獄がそこにあったのです。人間が持つ残酷さや欲望の全てが、あの日、あの屋敷に集約されたのでしょう。私は世界中を巡りましたが、あれ以上に悲惨な光景を見たことがありません。戦場のほうが、まだ人の心が残っています」


 勇者の話が進むにつれ、玉座の間の空気は少しずつ重くなっていった。先ほどまで英雄の帰還に心を躍らせていた貴族たちは、誰も笑わない。


 酒宴のような華やかさは消え、ある者は目を伏せ、ある者は居住まいを正し、またある者は額に滲んだ汗を拭っていた。


「……一つ、お聞きしたい」


 沈黙を破ったのは、壮年の貴族だった。現皇帝の即位に大きく貢献した名門の当主だ。


「あなたの家名は?」


 勇者は貴族の方を見ることなく答えた。


「無くなった家の名を語ることに、何の意味があるのですか?」


 誰かを責める響きや怒りはない。

 問いかけた貴族は見えないナイフで刺されたかのように、言葉を詰まらせた。


「襲撃者たちはあらかた蹂躙すると、屋敷に火を放ちました。たとえ生き残りがいても、もう動けないと判断したようです」


 勇者は仮面をそっとなでた。


「私はまだ生きていました。同じく動ける者を集め、屋敷を離れることにしたのです。本当は全員を連れて行きたかった。でも死んでしまった者や、心が砕けてしまった者は置いていくしかありません。父に教えてもらっていた隠し通路から外へ出て身を隠そうとしたのですが、運悪く襲撃者の一人に見つかってしまいました」


 どこまで運がないのでしょう――勇者の亡霊のような喋り方は、語られる内容の過酷さに合っていない。


「一人、また一人と仲間が減っていきます。私たちは武器を持っていませんでしたから、きっと簡単に殺せたでしょう。そして私も捕まりました。剣が振り下ろされ、ようやく終わると思った時です。声が聞こえました」


 話の風向きが変わった。


「右へ、という声がしたのです。私がその通りに体をひねると、剣は私の体をかすめて地面に刺さりました。次は左、走って、と私を急かします。その声は、最初に斬り殺された門番のものでした」


 誰かが息を呑んだ。


「笑顔が似合う青年でした。仕事熱心で、朗らかに挨拶をしてくれたことを覚えています」


 ラザフォードは鳥肌がたった。英雄譚なら、神の加護や精霊の導きだったと書かれている場面だろう。


 書記官は発言の全てを記録するが、そこに己の感情を記入してはならない。聞こえてくる言葉だけしか書けないことが、ひどくもどかしかった。


「聞こえてきた声は彼だけではありません。屋敷にいたメイドや執事、庭師……私の逃亡生活を助けるかのように、囁いてくれたのです。喉が乾けば水がある場所を。獲物を捕まえる罠を。服が破れた時は、繕い方を。火をおこして料理をする方法を。彼らは死んでもなお、私を支えてくれたのです」


 貴族たちは、この話をどう受け止めれば良いのか迷っているようだった。


「寂しい夜は、両親が来てくれました。大丈夫、私たちはそばにいる。一人ではない。愛している。生前、私に言ってくれていたことと同じです」


 その言葉に、勇者は何度救われたのだろう。気がつくと、玉座の間のどこかからすすり泣く音が聞こえた。


「でも父も母も、私が死ぬことだけは、許してくれませんでした。まだ死んではいけないと言うのです。私にはまだ、為すべきことがあるのだと。その時が来るまで生きなさいと、ずっと」


 ラザフォードは気がついた。この話は単なる英雄譚ではなく、死者たちに生かされ続けた、一人の少女の物語ではないだろうか。


 ――為すべきこととは、魔王を討伐することだったのか?


 勇者の話は、ようやく物語の始まりを脱したところだろう。


「生き残った私は、歩き続けるしかありませんでした。もう生まれた国には戻れません。強硬な手段を使う者たちが生き残りを狙っているのです。もし知り合いに助けを求めれば、すぐに捕えられてしまうでしょう。見知らぬ町を転々とし続け、時には戦うこともありました。服や武器は襲撃者の一人を動物用の罠にかけ、手に入れました」


 勇者は道中の様子を手短に語った。


 最初から上手く戦えたわけではなかったが、他にできることがない。街道を進むために魔獣と戦い、一晩の宿を借りるために村や町を襲う魔獣を討伐することもあった。食料を森で調達するのは限度がある。報酬を得るため、危険な仕事にも手を出した。


「襲撃者以外の人間とも戦いました。盗賊です。飢えた者もいました。強くなければ生き残れません。皆様は私を勇者と呼んで正しい行いを求めますが、私は物語の英雄のような綺麗な生き方をしていません」


 そうだろうとラザフォードは思う。未成年の少女が一人で生きるには、障害になるものが多すぎる。綺麗事だけで生きられるほど世界は優しくない。


「私に助けられた人々は、私に感謝していました。誰が私のことを勇者と呼び始めたのかは知りません。名乗ったこともありません。噂が噂を呼んだのでしょうか。多くの国が私を招きました。最初は魔獣を退治してほしいというお願いだったのに、いつしか魔族を殺してほしいというお願いに変わりました。報酬に釣られた私が魔族を退治すると、今度はどうか魔王を討ってくださいと。断っても断っても、私に依頼をしてくるのです」


 聴衆は続きを静かに待っていた。


「世界中で魔族が暴れている。皆が困っている。私に訴える人は日に日に増えていきました。そんなとき、ふと疑問に思ったことがあるのです。だから私は魔王に会いに行くことを決めました。声も……皆も、行くべきだと言っていました。父は、私を誇りに思うと言ってくれました。母は、立派になりましたねと」


 勇者は当時を思い出しているのか、空中を見上げた。


「魔王の城は思っていたより静かでした。門の周辺にいる魔族が侵入者を退けるという噂ですが、誰もが想像するような魔族の軍勢はいません。廊下は薄暗く鎧戸が閉まっていて、誰にも会いませんでした。魔族は世界中へ戦力を分散させていたのでしょう」


 帝国に伝わってくる話と随分違う。ラザフォードは興奮で字が震えた。


「最深部にだけは門番らしい巨大な獣がいました。その亡骸を越えた先で、ようやく魔王に会えたのです」


 英雄譚なら、ここで恐るべき怪物が現れる。天を衝く角。山のような体。世界を滅ぼす邪悪の王。だが勇者が語る魔王は違っていた。


「魔王は子供でした」


 困惑する声があちらこちらから聞こえてくる、


「角は生えていました。それ以外は、十歳にも満たないような、小柄な子供にしか見えません。私を見て怯えているのがよく分かりました。私が、ようやく会えたと言うと、魔王は肩を震わせました」


 勇者の言葉が途切れると、玉座の間を重苦しい沈黙が包んだ。


 誰も口を開かない。

 やがて、それに耐えきれなくなった皇帝が身を乗り出した。


「……それで? それで、どうやって魔王を倒したのだ」


 その問いに、多くの貴族が頷いた。


 誰もが同じことを知りたかった。勇者が魔王の城へ赴いてから、世界中で暴れていた魔族が嘘のように姿を消したのだから。だから誰もが勇者は魔王を討ち、世界を救ったのだと思っている。


 勇者は静かに答えた。


「旅の途中で、私は多くの魔族を倒しました」

「……それが何だ?」

「人間と同じなのです」


 誰もが意味を理解し損ねた。魔族と人間に共通点など無いというのが常識だからだ。


「魔族が死ねば、今度は彼らの声が聞こえるようになったのです。でも聞こえてくる内容は、人間とはまるで違っていました。彼らは皆、一つのことしか言いません。魔王を守れ。あのお方を守れ。それだけです。私は不思議に思いました。人間とは相容れない存在だと教えられてきた化け物が、命を懸けて守ろうとする相手とは、一体どんな存在なのかと」


 口を挟む者は一人もいない。みな、勇者が語る言葉を待っている。


「人間は己の利益のために他人を利用して、排除します。昨日まで普通に会話をしていたはずの人間が、牙を剥いて襲いかかってくる。私の家族のように、犠牲になった者は大勢いるでしょう。ですが」


 勇者が周囲の貴族を見回すと、思うところがある者は視線をそらした。


「魔族は己の命を捨てても、魔王を守ろうとしていました。人間を襲っていたのは、侵攻される前に人間の攻撃手段を奪うためです」

「それで、魔王は倒したのだろうな?」


 皇帝の声は低かった。いつ終わるか分からない話に苛立っている。


「魔王の座から退いてもらいました」

「退いた?」


 その瞬間だった。玉座の間の壁が崩れ落ち、巨大な魔獣が現れた。


 漆黒の毛並みを持ち、人間を丸呑みにできそうな口には鋭い牙が並んでいる。真紅の瞳は怒りに燃えているようにも見えた。


 魔獣の背中には魔族が乗っている。人間には分からない言葉で何かを叫び、こちらへ槍の先端を向けた。


「魔族だ!」

「なぜここに!?」


 皇帝は即座に立ち上がり、護衛のところへ走った。貴族たちも突然現れた魔獣から逃げようと、出口へ殺到する。


「魔王は倒したはずではないのか!?」


 勇者はその場から動かない。


「いいえ。殺していません」

「騙したのか!」

「裏切り者!」

「反逆者!」

「反逆者?」


 初めて勇者から笑い声が聞こえた。


「なぜ私が人間へ奉仕し続けなければならないのですか? あなた方は私から全てを奪ったのに」

「貴様、気でも狂ったか!」

「旅で出会った人間も同じでした。助ければ際限なく頼ってくる。剣の腕だけでなく、体も求めてくる。魔族に勝てば祭り上げられる。依頼を断れば責められる。誰一人、私を助けようとはしなかったのに。それなのに、なぜ私だけがあなた方を助け続けなければならないのですか?」


 勇者は仮面を外した。左目付近には火傷の痕が痛々しく残っている。無事だった右目のあたりには、ラザフォードの記憶を刺激する面影がある。


「オルブライト公爵家の……?」


 ラザフォードのつぶやきが聞こえたのか、勇者はこちらを見て微笑んだ。


 勇者の正体に気がついたのはラザフォードだけではなかった。オルブライト公爵家と敵対していた貴族の顔が青ざめる。皇帝もまた、亡き者の面影を勇者の中に見たらしく、顔を引きつらせた。


「捕らえろ! 反逆者だ!」


 皇帝が周囲に叫び、護衛たちが一斉に勇者を襲う。だが勇者へ駆け寄る前に、その首が宙を舞った。


 勇者は一歩も動いていない。銀色の光が勇者の周りに現れた瞬間、全てが終わっていた。


 首をなくした体から出た赤い雨は、人々を恐怖に突き落とした。


「お父様。お母様。褒めてくださいませ。ようやく、為すべきことを始められそうです」


 勇者の瞳に狂気の光はない。彼女は純粋に喜んでいた。


 ラザフォードはようやく理解した。勇者の両親が言っていた為すべきこととは、人類のために奉仕をすることではない。復讐だったのだ。


 勇者は貴族たちへ歩き出した。逃げ遅れた貴族は、勇者の剣で首を刎ねられ、胸を貫かれていく。


 ラザフォードは動けなかった。

 やがて勇者は血に濡れた剣を持ったまま、ラザフォードの前で立ち止まった。


「……あなたは」


 喉が震える。


「魔族の味方なんですね?」


 勇者は少しだけ考えるように目を伏せた。


「人間は私の味方ではありませんでした。でも魔王は、私の話を最後まで聞いて、一緒に泣いてくれました。だから優しいあの子には、魔王を辞めてもらったのです」


 勇者はここへ現れた時と同じように、淡々と語る。


「今は私が魔族を率いています」


 勇者はラザフォードに近づき、耳元で囁いた。その感情のない静かな声が恐ろしさを掻き立てる。言葉を返すべきか迷っていると、勇者は筆記していた記録を指先でトントンと叩く。帝国が彼女に何をしたのか書き残せということだろう。


 いつの間にかペンが足元に落ちている。ラザフォードが拾い上げている間に、勇者は玉座の間から出ていった。


 血の臭いが充満する玉座の間に、呻き声が満ちている。勇者に斬られたものの絶命には至らず、動けなくなった貴族が床で這いつくばっていた。壊れた壁や天井から見える空には、飛翔する魔獣の姿がある。


 勇者は人間の味方ではなかった。皆が勝手に彼女のことを勇者と呼んでいただけ。その証拠に、城内からは絶叫が響き始めた。栄華を誇った帝国が、中央から崩れていく音だ。


 あれは産声だとラザフォードは直感した。今日、一つの国が滅んで、魔王が生まれる。


 ラザフォードは震える手で勇者が囁いていった言葉を書き記した。



 ――ここにいるのは、あなたたちが生んだ魔王です。

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― 新着の感想 ―
おいおい わたしたちだろ
面白かったけど淡々としすぎてて好きになり切れなかったって感じ。
復讐は殺す事ではなく、死を願うほどの痛みと苦しみの日々を送りながら、死ぬことが出来ない身体になる事である。 勇者と呼ばれた魔王は、正しく罪人を重症/重体にさせた。 善きこと也
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