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また、来年

掲載日:2026/07/18




 神社の池の白い睡蓮たちが咲き誇る頃、帰省した。


 明日と明後日は夏祭りだ。

 境内は準備に追われる若者たちで騒がしい。

 空を旋回する鳶も浮かれているのか、ぴーひょろろと鳴いた。


 妻と中学生の娘は、ついてこなかった。

 ネズミの国のほうがいいらしい。


 ここ数年、そんな感じだ。

 三人で同じ場所にいる時間は、ほとんどない。

 妻と夜を最後に過ごしたのは、いつだっただろうか。



「……減ったな」



 神社の前では、テキヤたちが屋台を組み立ている。

 子どもの頃は、その威勢が怖かった。


 かつては隙間なく並んでいた屋台も、今はずいぶん少ない。

 数えようとして、途中でやめた。


 本殿に向かって、境内を歩く。

 砂利を踏む音がやけに大きく響いた。


 雨上がりの杉林の匂いが、風に混じっている。



「変わらないようで、変わってるな」



 苔むした自然石が組まれた手水舎。

 沢水が絶え間なく注ぐその冷たさは、子どもの頃と変わらなかった。



「……冷て」



 小さく声が漏れる。


 口を清める際、つい水を飲んでしまった。

 雨上がりの強い日差しで蒸し始めた境内の空気の中、その水がやけにうまかった。


 柄杓を洗い、先に進む。


 古い神社特有の急な石段。

 子どもの頃から変わらない鉄の手すりに手をかけながら、上る。



「きつ……。こんなだったか?」



 いつのまにか視線が落ちていた。

 気づけば、石段の半ばで息が切れている。


 昔は、一気に駆け上がれたのに。

 そう思った、そのときだった。



「あれ? もしかして……。」



 聞き覚えのある声が降ってきた。


 顔を上げる。

 木漏れ日の中、女性がいた。



「……え?」



 一瞬、言葉が出なかった。


 白いブラウスにベージュのスカート。

 落ち着いた装いで、髪はショートになっている。


 年齢を重ねた輪郭の中に、見覚えがある。

 それでも、細い身体の線は変わらない。



「久しぶり。……二十年ぶりかな?」



 女性はそう言って、軽く手を振った。


 一目で分かった。

 高校のときに付き合っていた彼女だ、と。




 ******




 神社のすぐ近く。

 道路から少し奥に入った先に、野球場とテニスコートが広がっていた。



「まだ残ってたんだな、これ」

「でも、あの頃より荒れてるね」



 彼女は少し笑った。


 詳しくは知らない。

 バブル期に自治体が学校跡地に造ったものらしいが、俺たちが高校生の頃にはすでに放置されていた。


 今はすっかり寂れ、野球場のあちこちから雑草が生え放題になっている。


「懐かしいね」

「……そうだな」



 お互い、神社の近くに実家がある。

 放課後、別れを惜しみ、二人で通っていた場所だ。


 昔、そうしていたように、チームベンチへ向かう。

 プロ野球の球場のように作られたそこは、日差しを避けるのにちょうどいい。



「あっ!?」



 だが、彼女の足が止まった。


 すぐに理由が分かった。

 そこには、新しい逢瀬の痕跡があった。


 こんなところに来るのは、俺たちがそうだったように、地元の学生カップルくらいだ。

 違いがあるとすれば、俺はあの頃、彼女との関係を先に進める勇気が持てなかったことだろう。



「水場のほうへ行ってみよう」



 気まずい雰囲気になる前に、そう提案した。

 昔の俺には、できなかったことだ。



「うん、そうだね」



 彼女は振り返り、にこりと微笑んだ。




******




 沢の途中に掘られ、大きなコンクリートの升が五つ並ぶ水場。


 当時は、何のためにあるのか分からなかった。

 今は、手水舎に砂が混じらないようにする砂防ダムだと分かる。


 彼女がコンクリートの縁に乗り、その上を昔のように歩く。

 何も言わずに、当たり前のように。



「おいおい、大丈夫か?」



 両手を広げてバランスを取る姿に、思わず苦笑が漏れた。



「なにをー! まだ若いんだぞー!」

「知ってる、同い年だろ」



 彼女が笑顔を振り向かせた、次の瞬間。

 バランスを崩し、足を踏み外した。



「キャっ!?」



 彼女の身体が沈む。

 水深は膝上ほどしかないと分かっている。



「大丈夫か!」



 それでも、身体が動いた。

 コンクリートの縁に足をかける。



「もう~……。最悪」



 彼女は尻もちをつき、びしょ濡れになった。

 たまらず、肩が震える。



「笑うなー!」

「ほら、立てるか」



 手を差し伸べ、気づいた。

 濡れたブラウスが、身体の線をはっきりと浮かび上がらせていた。



「すまん!」



 慌てて顔を背ける。


 彼女は何も言わない。動かない。

 沢の音だけが響く。



「ほんと、変わってないね」



 彼女がぽつりと言った。

 俺の手を掴み、ぐいと引いた。



「ちょっ!?」



 そのままバランスを崩し、水の中へ落ちた。


 水が大きく跳ねる。

 気づけば、彼女の上に覆いかぶさるような形になっていた。



「あの時みたいに、恥をかかせないで……」



 水面に顔だけを出した彼女が、俺の首に腕を回した。



「あっ……。」



 距離が、消えた。


 沢の水は冷たい。

 それなのに、身体だけが妙に熱かった。




 ******




 彼女との三日間は終わり、高速道路を三時間かけて帰路を走る。

 彼女も、自分の居場所へ帰っていった。


 連絡先は、くれなかった。


 旦那とうまくいっていないこと。

 息子が学校でいじめられていること。


 そんな話を、少しだけ聞いた。



「また、来年ね」



 そう言って、彼女は別れた。


 新幹線を見送りながら、しばらくその場を動けなかった。

 あの頃と違うのは、もう戻れないことをお互い知っていることだった。



「んっ!?」



 助手席に置いたスマホが鳴った。


 妻からだった。

 俺は、無言でスマホを裏返した。




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