いえ、分かっているのです婚約破棄されている真っ最中だというのは。
先日昔の習い事仲間と話す機会があり、思い出した話がベースです。
ローゼリア!
ホール中に響き渡れ!と願ったかのような大声で怒鳴られた。
「お前は!ちゃんと聞いているのか!」
「ローゼリアさま!わたくしがチャンドラーさまの寵愛を受けている事がお気に召さないのは分かっているのです。でも!」
わたくしは先ほどから、学園で1番大きなホールのど真ん中で詰られている。
ここのホール、音がよく響く作りになっていてコンサートホールとしても使われているのよね。20年前からは定期的に国王主催の音楽祭も行われているわ。
……だから詰っている2人の声は無駄に反響している。ほら!2階で談笑していた人まで驚いてこちらを見ているわ!
ちなみにわたくしを詰っているこの男女。男はチャンドラー、女はアデイラと言う。
チャンドラーはわたくしの婚約者、アデイラは…。
「お前はたかが政略上の婚約者だろう!俺たちは大人の思惑通りになんかならない!真に愛しあっているのだ!」
そう。浮気相手だ。ちなみにアデイラは鼻息が荒い人で。玉の輿を狙って学園入学当初からふんすふんす!と婚約者?そんなの真実の愛の前では何の意味もないわ!とばかりに好条件の男性に愛想を振り撒いていた。
わたくしの婚約者の前にも何人にもやらかしていたが、大抵の場合男性に相手にされず、ただただ女性陣の間での評判を下げるということを繰り返していた。
だから女性陣の間では要注意人物と見做されていて、
"今度のターゲットは◯◯さまらしいわよ"
"まあ!あの方に付け入る隙はないでしょう?相変わらずチャレンジャーね!"
などと言った会話と共に情報が共有されるのだ。
だから彼女が婚約者に接近しているという噂はかなり前から把握していた。
把握していたけど、ありえないありえないと笑っていたのだ。だってわたくし達の婚約は……。
まあ今はそんな事よりも直近に迫っている大問題をどう躱すべきか。わたくしは震えてしまい、目の前の2人を直視できずに俯いていた。
「お前が俺に執着しているのは分かっている!俺も、お前のことを愛せなかったことは申し訳なく思っている。だがな!だからと言ってアデイラを虐げて良いというものではないだろう!」
あっ、ダメだ!訳のわからない言い分にうっかり顔を上げてしまった。しまった、涙を見られてしまった。
チャンドラーがハッとした顔をする。アデイラは。あっ!今ニヤニヤしてた!でもわたくしに見られたことに気がついたのか、ふるふると震えるようにしながらポロリと涙を溢した。
「お前は…!お前がそこまで俺に惚れ込んでいたとは知らなかった。すまない、泣かせるつもりは無かったのだ。」
「ローゼリアさま、わたくしが愛されてしまったばかりに、ごめんなさい!ごめんなさい!」
「お前の愛情がそこまでとは思っていなかった。本来なら虐めを明らかにして婚約破棄するつもりだったが、その愛ゆえ嫉妬に苦しんだ責任は俺にもある。だから婚約解消を申し入れる。」
盛り上がっている所、大変恐縮だけどそうじゃないのだ。婚約破棄?解消?そんなの今はどっちでも良いの!
「婚約…解消…。し、承知いっいたっ…」
だ、ダメだ。もう一度俯く。肩の震えが止まらない。鎮まれ、鎮まれ!この…
笑い。
そう。わたくしは先ほどから吹き出しそうな笑いを堪えている。
目の前の2人は真剣だ。すごく真剣だ。
震えながらも話は聞いていたが、どうやらわたくしは知らないうちに嫉妬心でアデイラを虐めていたらしい。
昨日は階段から突き飛ばしたそうだ。いや、記憶にないけど。というか昨日学園に来てないけど。
いや、本当に今そんな事はどうでも良いのだ。ああ早く鎮まれこの笑い!
そうこうするうちに親友が駆けつけてくれた。
「ローゼリア!大丈夫?」
キッと2人を睨みつけて言い返してくれる。
「何が真実の愛よ!ただの浮気男と身持ちの悪い女じゃない!」
「ジョアンナ…ありがとう。で、でもね…」
わたくしが顔を上げず震えたままなのでギュッと抱きしめてくれた。
「ああ、ジョアンナ本当にありがとう。でもね。」
目の前の2人に聞こえないよう、小さな小さな声でジョアンナに告げる。
すると、ジョアンナは信じられないような顔で2人を見る。
そしてジョアンナも目を逸らして震え始めた。
先ほどまでは独りで耐えていたけど、今は強い味方ができた。
2人、目を逸らして抱き合って耐える。…笑うのを。
うら若き乙女が2人抱き合って震えている。しかも浮気者の婚約者とその浮気相手に詰め寄られたその場で。
側から見ると泣いているようにしか見えないだろう。
義憤に駆られ、友人達が集まってくる。中には自分の婚約者を狙われた者も、狙われた張本人もいる。
なのでわたくし達は"慰め"という体を取り抱き合いながら震える理由を伝える。
あ、男性には勿論抱きつかないわ。それは婚約者同士でよろしくね。
そうすると皆必ず2人を凝視し、そののち俯き震え出すのだ。
「なっ、何なんだお前達!よってたかって、そうやってアデイラの事を虐めていたのだな!やっぱり首謀者はお前だろう!」
「ひ、酷いですローゼリアさまっ。わたくし、わたくしはただ婚約者のいる男性に心惹かれてしまっただけなのに!彼がわたくしを選んだ事だって、お心を繋ぎ止められなかった貴方にも責任はあるのではなくて!」
そのひと言を引き出せたからまあ、良いか。これだけの人の前で婚約者がいると分かっていて手を出したと宣言したのだ。知らぬ存ぜぬは通用しないわよ。
だからわたくしは涙に濡れた眼差しを2人に向け、震えながら言ってやった。
「あ、アデイラさま。すっすっ…んふっ、す、す、ブハッ…ふふふははは!」
唖然とした2人の目の前で爆笑した。
そしてやっという事ができた!
「ス、スイングしているんです!は、鼻くそがっ!涙をぽろっと溢そうとするたびに!わたくしが愛されてしまったのが悪いんです!とか盛り上がるたんびに!」
至近距離での迫真に迫る演技。悲し気な表情。可憐に溢れる涙。
でも!息をするたびに!毛の先に捕えられ宙ぶらりんなソレが!
スイングするの!ぷらんて!
笑っちゃダメ、ダメだって思えば思うほど肩は震え、堪えた笑いは涙へと変わる。
助けに入ったジョアンナと分かち合えば少しは楽になるかと思ったけど、ジョアンナを巻き込んだだけだった!
ああ忌々しい!この笑い、他の者どもも味わうが良い!
そう思った私たちは泣きつくふりをして観衆にもお裾分けした。
わたくしが爆笑した事で皆解禁とばかりに笑いだす。
しばらく戸惑っていた2人だったが、アデイラを見つめていたチャンドラーまで肩を震わせ始めた。
「チ、チャンドラーさま?!ひどいではありませんか!」
だが彼女は分かっていない。責めの言葉というのは普段の会話より空気を消費する事を。
そして皆が目撃する。
一度すごい勢いで奥に引っ込んだソレが猛スピードで飛び出してくる所を。
※※※※※※
「もう!あの日とっても心配したのよ!いつも気丈な貴方が肩を震わせて俯いているんですもの!」
「だって!貴方も身をもって知ったでしょう?わたくし、アレを見ながら冤罪と小芝居に耐えていたのよ。淑女の鑑って言ってくれてもいいんじゃない?」
あれから一カ月程経ったか。
わたくしの婚約は無事に解消された。
あの日震えていたのは婚約者を愛していたからではない。決してない。
息するたびにスイングするアレのせいである。
そもそも我が家は金銭的にも、政治的にも政略結婚に頼らざるを得ないようなものは何もない。
兄が伯爵家を継ぎ、わたくしは嫁ぐ予定だったのに急きょ子のいない親戚の子爵家を継ぐ必要が出たのだ。
でも女性が爵位を継ぐ事は法律的には可能だけど、とても煩雑な手続きが必要となる。
だから子爵位の正当な後継は私の子が引き継ぐ前提で、遠縁の伯爵の三男坊と結婚することになったのだ。
「それにしても災難だったわね。チャンドラーさまがあそこまで理解していなかったなんて。」
「わたくしだってびっくりだったわよ。確かにチャンドラーさまも遠縁だから血の繋がりが無いわけではないけど。」
子のいない親戚と言うのは父の弟の事だ。
子はいたのだが、血の繋がりが無い事が判明して奥方共々追い出されたのが3年前。再婚を勧めるも気落ちしたおじさまは項垂れて首を横に振るばかり。そこで血の繋がりが1番濃かったわたくしに白羽の矢が立った。
チャンドラーも血の繋がりが無くは無い。
が、数代さかのぼってやっと繋がる程度の薄い薄いもの。なのに彼の中では突然後継がいなくなった子爵家を継ぐことになった、くらいの認識で。
わたくしの夫だからという部分がすっぽり抜けていたようだった。
子爵位を継ぐという降って沸いた幸運。
それだけ聞いて、わたくしを蹴落とせば子爵夫人になれると考えた人は何人かいたみたい。
でも殆どの人が親に、兄弟に。裏の事情を聞き彼に取り入る旨味のなさに気づいた。
そして気づかぬまま突っ走ったアデイラと、せっかく子爵になるというのに勝手に婚約を決められた事が不満なチャンドラーは出会うべくして出会ったのである。
そんな2人はあの騒動の後。
"今後について話がまとまるまで家から出るな"
と言われていたらしく、世間から切り離された時間を過ごしていた。だから、呼び出されて2人の結婚が認められた、と聞いた時は飛び跳ねんばかりに喜んだそうだ。
「ありがとうございます!アデイラと2人、子爵家を盛り立てていくことでご恩返しさせてください!」
「はいっ!わたくしも!チャンドラーさまを子爵夫人としてしっかり支えて参ります!」
なんて、感涙しながら宣言したんだって。
勿論その場にいた人たちは何言ってるの?状態で。
「ん?」
「へ?いえ、ですから子爵として…」
「子爵として?」
「はいっ!子爵と子爵夫人として、ですわ!」
「盛り立てていく?」
「はいっ!」
「はいっ!」
「……」
その後、持ち直した周囲に爵位はわたくしの夫が継ぐことを何度も説明されてようやく理解したんだとか。
「じゃあ俺は……?」
「じゃあわたくしは……?」
※※※※※※
「アデイラ!少しは金銭感覚を身につけてくれ!」
「はあ?君に苦労させないって言ったのはどこのどいつよ!」
念願叶って結ばれた俺たちだが、爵位を継がないと理解したあたりからギクシャクしていた。
それはつまり、あの騒動後すぐということだ。
「あーあ、誰かさんに騙されたせいで平民になっちゃった!あれだけ引く手数多だったのに!」
引く手数多?何かの間違いだろう。あの後聞いたがアデイラは金のありそうな男に声をかけまくっていたそうだ。
「騙されたのはこっちだって同じだよ。婚約クラッシャーなんて異名を持つ女だなんて!」
アデイラは子爵夫人になれない事がわかると、俺はアデイラの身持ちの悪い噂をたくさん聞いた事で。
どちらも騙した相手とは暮らしていけない、とばかりに歪みあったが結局結婚する事になった。
「えっ、謝罪も許されない?!」
ローゼリアへの謝罪は許されなかった。
……俺たちの顔を見るとあの時の事がフラッシュバックして震えが止まらなくなるそうだ…って!
「それ、笑ってるだけじゃないのか?!」
真相はともかく、謝罪の機会は与えて貰えず、その代わり条件付きで慰謝料が減額された。
その条件が"結婚"だったのだ。
だから歪み合おうが殴り合おうが俺たちは別れられない。別れたら!
平民になった俺たちが到底返せる筈のない莫大な慰謝料が発生するから。
アデイラのヒステリックな叫び声が響き渡っている。
「明日も早いんだ。」
「だから何よ!」
「この仕事をクビになったら贅沢どころか明日の食事にも事欠くようになるから。」
ようやくアデイラが黙った。前にクビになった時には2日飲まず食わずで過ごしたからな。多少は身にしみているのだろう。
「おやすみ。……明日のパンは棚に入っているわ。今日少しおまけして貰えたから沢山食べて。」
お互いケンカは減らないし、毎日歪みあっている。
けれど。
大勢の前で爆笑されてしまった女と勘違いで平民になってしまった男。
お互いしか相手がいないことも分かっている。
「おまけして貰えたのか。じゃあ少し多めに食べるかな。ちゃんと君の分も残しておくから安心してゆっくり起きていいよ。」
おやすみ、というと小さく呟くのが聞こえた。
"ちゃんと見送りくらいするわよ"
聞こえていたとバレないように小さく笑いながら眠りについた。
当然といえば当然ですが、フィクションです!
が、笑ってはいけないのネタは実体験だったりします。
すごく礼儀を重んじる習い事をしていた時にお師匠さんがスイング状態になっておりまして、いかん!絶対笑えない!
至近距離(80センチくらい)でスイングする、吸い込まれる、飛び出てくる。
ええ、仲の良いお友達も巻き込んで差し上げましたよ。ふふふ。
そんな思い出ベースのお話でした。




