【短編小説】たまねぎと幸福
わかっている。
少なくともわかっているつもりだ。きみが欲しいのは運転手が静かに操るベントレーなんかじゃなくて、ぼくが運転するカブだと言うことを。
「そうだろう?」
その質問はほとんど願いだなと思いながら訊くと、君は半分くらい笑って言った。
「でも乗れるものなら、そのベントレーと言うのにも乗ってみたいな」
まぁそんなもんだろう。
ベントレーが何か知らなくたって、きっとそう言うものなのだ。
きみはコンビニの肉まんでも嬉しんで美味しそうに食べるけれど、高級ホテルのレストランにあるような中華料理店の肉まんを食べられるなら、それも喜ぶに違いない。
そんなもんなのだ。
それは誰だってそうだ。
ぼくは腕立て伏せをしながら考えた。
人間の雄は歳を取ると、自身の存在に不安を感じるようになる。
だからこうやって、その存在を補強しようと筋肉をつけたりする。
もっと具体的に格闘技を習ったり、または緩やかにランニングをしたり、それともアルコールで誤魔化して眠ると言う事もある。
ぼくはダンベルを振り回しながら考えた。
別に筋肉をつけたところで、昇級する訳じゃないし生活が豊かになる訳でもない。
つまりぼくが肉体的マッチョになったところで、長年に渡り実践してきた非マチズモ的な思想は変わらないし、だからやはり生活が飛躍的に豊かになることはない。
人生に一発逆転は無い。
それにいつだって、期待に応えようとする気持ちの半分は言い訳を探している。
「つまり、この先も君はメイド・イン・チャイナの服を着る羽目になるし、ベントレーにだって乗れない」
そうやって先に言い訳をするぼくを、きみは笑った。
「別に良いの、ベントレーに乗って寝巻きにするヴィヴィアン・ウエストウッドを買いに行きたい訳じゃないもの」
「そうやって生活してる人もいるぜ」
「でもそうやって生活している人はあなたじゃないから」
どうだろうね、と言ってダンベルを置いた。
鏡を見る。
そこに写る一時的に腫れ上がった筋肉はまだ良いものだけれど、落ち着けばまた細くなってしまう。
筋肉はまるでタマネギの薄皮を重ねるような速度で成長する。
それは結局、今まで自分が怠惰に過ごしてきたと言う事に他ならない。低い樹木で羽化した蝉は空を高く飛ぶことができない。
「そんなことある?」
「やる気の問題なんだよ、若いころの」
メガバンクだとか大手生保に就職した同級生や後輩の、疲弊と華々しさが同居する日々が脳裏を掠める。
もしかしたら自分がそうなっていて、出世レースの中団から前方を伺いつつ馬群の抜け出し方を考えたり、殿を務めない様にしたりするんだろうか。
「もしあなたがそうなったら、あなたの横にいるのは私じゃないから」
それは言い訳の肯定じゃないだろう。
「そういう可能性は否定できないな」
そんなものなのだ。
「風呂浴びたら、コンビニで新発売の肉まん買いに行こうか」
そう声をかけると、きみは嬉しそうに笑って、おろしたての真っ白なパーカーを羽織った。
「少し気が早いよ」
「そう言うものよ」
そんなものなのだ。




