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 ③⑤

お父さんから車の鍵を受け取ると先に駐車場へ出て待っていた。


正直、断られると思っていたのでこの状況は自分でもかなりびっくりだった。


どういう風の吹き回しか、お父さんの心境の変化は理解出来そうになかったけれど、それでもついて来いと言われたのはラッキーだ。


夏休みまではもう少しだったし良いかと思ったのかも知れない。


僕自身も夏休みまで待っているつもりだった。けど昨日学校から帰って来た時のお父さんの言い草を思い出して腹が立ち眠れなかった。


だから嫌がらせの意味を込めて朝方に待ち伏せしていたのだけど、思いもよらぬ予想外の結果で内心、驚いた。


リビングに現れた寝起きのお父さんを見た時、その目の鋭さに一瞬、背筋が震えそうになった。


今までお父さんの事を怖いとか思った事は1度もなかったけど、正直今朝のあのお父さんの顔を見た時、まるで平気で人を殺しそうに思えて、一瞬、ビビった。


もしかしたら僕が待ち伏せしていたのを見て怒りの感情が顔に現れたのかも知れない。お父さんは僕の前を横切り棚上にある籠の中に手を入れ車のキーを取り出した。


それを揺らしながら僕の前に立ち座っている僕の顔の方へ突き出した。僕はその目に見つめられるのが嫌でキーを受け取ると直ぐに目を逸らした。


僕はソファから立ち上がると、先にリビングから出た。玄関でスニーカーを履いている時、僕の中にあった期待という気持ちの中へ微かな不安が流れ込みつつあった。


それでもお父さんが帽子を目深に被り釣り竿を持って駐車場に現れた。その時にはもう僕の不安は消え去って行た。どんな魚が釣れ、それを鰐がどんな風に食べるのか?という気持ちが妄想を膨らませてくれたお陰だった。妄想が不安という気持ちを上回ったのかも知れない。


お父さんは無言のまま後部座席のドアを開け釣り竿を後部座席に放り込んだ。肩にかけていた小型のクーラーボックスをシートに置く。


「何やってんだ?」


運転席に乗り込もうとするお父さんがそう言った。


「行きたくなくなったのか?」


「あ、ううん。そんな事ない。行く」


「ならそんな所に突っ立ってないで乗れ」


僕は慌てて助手席のドアを開け車内へ身体を滑り込ませた。


久々に車に乗せて貰うけど、相変わらず家の車の芳香剤は臭いがキツかった。お父さんはよくこんな匂いのキツい車に乗っていられるな。


シートベルトを閉める。エンジンがかかると直ぐに窓を開けた。


「窓なんか開けてたら寒いぞ」


「平気」


「この匂いか?」


「うん。香りが強すぎて気持ち悪くなりそうだから」


「そうか」


車が動き出した。車で何処か連れて行って貰えるというのは、久々過ぎて妙にワクワクした。


「お父さんは平気なんだ?」


「あぁ。慣れたよ」


「これ、なんて香りなの?」


「覚えていないな」


ていう癖にいつもこの香りじゃないか。

僕は口に出す事はしなかった。


「圭介も直ぐ慣れるさ」


「慣れるかなぁ。そうは思えないけど」


「何に対しても慣れておくってのは大事な事だぞ」


「まぁ、そうだね」


僕は窓を少しだけ閉めた。冷たい風が額にあたり伸びた髪の毛をなびかせる。まだ暗い朝の空気は透き通っているようでとても新鮮だった。


振り向くとお父さんはただ真っ直ぐに前を向いている。ヘッドライトが左右に揺れ動く。何かのアトラクションをやってるみたいだった。


「音楽かけていい?」


僕はいいカーステに手を伸ばそうとした。


「駄目だ」


「どうして?」


「魚が釣れなくなる」


「何それ」


「音楽というものは人間の心や熱、体内の血を沸き立てる。楽しい気持ちになったりする。そのリズムは作られたもので自然界にある物じゃない。そんな状態の気持ちで魚釣りをしても魚は寄って来ないのさ。餌や仕掛けからその熱が魚に伝わってしまうんだ。だから駄目だ」


お父さんの言う事は何となくわかった気がした。要するに気持ちが昂揚したままだと、魚に罠だと気づかれ易いという事なのだろう。


「出来る限り自然体でいるのが大切だ」


カーステに伸ばした手を引っ込め再び窓の外を見た。遠くを眺めてもまだ陽が昇る気配はなかった。


空にもまだ星が瞬いている。


街中を抜け田舎道に入った。未舗装の山道を抜けると遠くにダムが見えた。その頃には陽が昇り始めていた。


田園が続いて行く。通り過ぎる民家の明かりが灯り始めていた。


車がやっとすれ違える道路をしばらく進む。

その途中に出っ張った路肩があり、その手前でお父さんは車の速度を落とした。


「着いたぞ」


ライトを消すと辺りはまだ暗く、数メートル先も見えなかった。


路肩に車を停めるとお父さんは直ぐに車内から出た。釣り竿を持ち、僕にクーラーボックスを持つように言った。


車に鍵を掛けるとお父さんが懐中電灯をつけた。


「足元に気をつけるんだ」


「わかった」


僕はお父さんの歩く少し後に着いて行った。


用水路のような場所でお父さんは足を止めた。

2人分の釣り竿を出すと一本を僕に手渡した。


お父さんは黙ったまたクーラーボックスを開け中から餌箱を取り出した。手際よく針に餌をつけると用水路の中へと放り投げた。その釣り竿を僕に手渡した。


同じような手際でもう一つの釣り竿に餌をつける。それを投げ入れるとお父さんは短い草が繁った土手に腰掛けた。


胡座を組み、釣り糸が垂れている箇所を眺めている。

僕も釣り竿を持ったままお父さんの隣に座り、水面に目を移した。


「釣れるかな?」


僕が尋ねた。


「どうかな」


「釣れない時もあるんでしょ?」


「あぁ。どちらかと言えばそっちの方が多い」


「そうなんだ?」


「そうだ」


「いつもこの場所で釣ってるの?」


「そうだな」


「海とかでは釣らないの?」


「釣らないな。川は前に何度かやった事はあるが、海は1度もない」


「どうして?」


「そういう場所には決まって人がいたりする」


「人がいたら嫌なんだ?」


「嫌じゃない。お父さんが嫌なのは釣りをしている者同士だからって馴れ合おうとしてくる人がいるのが嫌なだけだ。お父さんはな。1人で釣りがしたいのさ」


「なら、実は今もあんまり良い気分じゃない?」


「そんな事はない。息子と他人が同じなわけはない。比べられるわけがないだろ?」


お父さんはいい、チラッとこちらを見た。

僕と目が合うと直ぐに逸らし又、釣り糸が垂れている水面に目を落とした。


「そっか。なら良かった」


僕は言った。そしてお父さんと同じように水面を見つめる。お互いしばらくの間、口を閉じてただ魚が餌に食いつくのを待っていた。


風が吹いているのか草木が擦れる音が聞こえる。いきなり水面から魚が飛び跳ねた。


「あっ!」


思わず口にするとお父さんが、直ぐに僕をたしなめた。


「いいか圭介」


「何?」


「どんな時も気持ちの変化を口に出したら駄目だ。何故なら獲物にこちらの目的を悟られるからだ」


「あ、あぁ。うん。わかった」


「口に出した瞬間、アドバンテージは向こうに傾く。その分、こちらの勝ち目は薄くなるんだ」


僕は頷いた。しばらくすると僕の釣り糸に変化が訪れた。水面に浮かんでるウキが一瞬、沈んだのだ。


「お父さん!」


細心の注意を払いながら小声で囁いた。


「あぁ。だけどまだだ。まだ魚自身がこの餌は罠じゃないか?って疑心暗鬼になってる感じだな。だから食べないで突いて確認しているんだろう」


僕はウキに集中した。辺りが次第に白んでいく。

霞のような物が風に流されていく。


朝露が光に反射した。夜が開け始めたようだ。今の僕はまるで周りの草木と一体化してるみたいだった。


そんな錯覚に陥りそうだった。呼吸すらしている事を忘れてしまいそうだ。


僕は僅かに沈むウキの揺れに合わせ息を吐き浮かぶと吸った。そしてゆっくりと吐きながら釣りって楽しいと思った。瞬間、ウキが一気に水中に沈んだ。


「圭介、引け!」


無意識のうちにお父さんの声に身体が反応していた。釣り竿を掴む両の手の平にずっしりとした重みが伝わって来た。力一杯釣り竿を握りしめる。


竿先が弧を描くようにしなった。全力で釣り竿を引き上げた。水面からびっくりするくらい大きな魚が宙に舞った。反った身体をバタつかせる。


尾鰭から水滴が跳ねた。直ぐにお父さんの手が僕の竿を掴んだ。釣り糸を手前へ引き寄せようとした瞬間、針が外れ魚が水面へと落ちていった。水飛沫を上げながら大きな魚は水中深く沈んで行った。


言葉が出なかった。一瞬にして身体から力が抜けその場にへたり込みそうになる。


餌に食らいついた魚の重みが未だ手の平に残っていた。その瞬間の出来事が身体の隅々まで行き渡っていて、興奮で手足が震えていた。


「惜しかったな」


項垂れていた頭をあげお父さんの方を見た。


「昨日はごめんなさい」


どうしていきなりこんな言葉が出たのか自分でもわからなかった。ただ今なら素直な気持ちになれると思ったのだ。


「良いんだ。お父さんもお前の気持ちをわかっているくせに、そこから遠ざけようとしていた。お父さんこそ悪かった。すまない」


僕は頭を横に振った。


「後、もう一つお前に謝らないといけない事がある」


「何?」


「ずっとお父さんの心の隅に後悔とし残っているんだ」


僕は黙ったままお父さんの言葉を待った。


「お前が、中学1年の時だ」


「うん」


「その年のクリスマスの朝の事を覚えているか?」


僕は首を振った。


「覚えていないか。それならまぁ、仕方がないが、でも話せば思い出すかも知れない」


数秒の間があり、再びお父さんが口を開いた。


「そのクリスマスの朝方にお父さんは仕事をしていたんだ。急な依頼で仕方なく夜中に出かけ朝方に帰って来て小屋の中で仕事をしていた」


僕は釣り竿を横にして地面に置いた。


「仕事が片付き小屋から出たら圭介、お前が立っていた」


「僕が?」


「あぁそうだ」


「そんな事あったかなぁ」


「あったんだよ。覚えてないのか?」


僕は首を傾げ覚えていない振りをした。実際にはハッキリと覚えていたが、それを言う必要がないと思った。


「お前は小屋の中に入りたがってお父さんの手に噛みつき足を蹴飛ばした」


「え?僕がお父さんにそんな事したの?」


お父さんが頷いた。


「しつこく中に入れろと喚くからお父さん、仕事で疲れていたのと、イライラしていたものだから思わず圭介を殴った。憶えていないか?」


「あぁ。思い出した。あったね。確かに殴られたね。けど、それは冬休みじゃなかった?」


「あの日はクリスマスだった。イヴの夜に仕事が入ったからハッキリと覚えている。間違いない」


「そうだったかなぁ」


「まぁ、どちらにせよ、お前を殴ったのは間違いないからな。殴ったりしてすまなかった」


僕は


「良いよ。気にしてないし。それに僕が殴られるような事したんだろうし」


「噛みついて脛を蹴られた」


「酷いね」


「あぁ」


僕とお父さんは互いを見合い笑い出した。


「よし。帰ろう」


「え?まだ1匹も釣れてないじゃん?」


「今日はこちらの負けだからさ。あれだけデカいという事はこの場所でずっと生き抜いて来た証だ。そのような奴が不覚か油断かわからないが、圭介の仕掛けた罠にかかった。運良く釣り上げられはしなかったが、恐らくこの後続けても何もかからないだろうな」


「危険だって仲間に知らせてる?」


「魚にそのような能力があるかは知らないが、お父さんが魚ならそうする。圭介だったらどうする?」


「んー。正直言えば他の魚の事なんてどうでもいいけど、友達や家族にだけいうかな」


「そうか。友達や家族には、か」


「うん お父さんは違うの?」


「どうかな。知らせるのは間違いないけどな」


お父さんはいい釣り竿を片付け始めた。僕も手伝った。荷物を車に積み込みUターンする。元来た道を、自宅へと向かって行く。


「ねぇ。聞いてもいい?」


「あぁ 何だ?」


「鰐って何匹いるの?」


「1匹だ」


「まだ、その鰐の調教は終わってないんだ?」


「鰐の調教なんて出来やしない」


「え?どういう事?鰐を調教して動物園とかに戻すんだよね?それが仕事だって…」


そこまで言ってお父さんに言葉を、遮られた、


その後、発したお父さんの言葉に僕は愕然とした。


「お父さんは人の死体を鰐に食わせて処理してるんだ。絶対にバレない為に」


言い終わったお父さんがこちらへ振り向いた。

その目は今朝、寝室からリビングに出て来た時と同じ目をしていた。僕は生唾を飲み込んだ。


手の指先がピクリと動く。その後、震えが来てあっという間に全身に広がって行った。


「圭介はお父さんの仕事の後を継ぎたいんだろ?こうして2人きりになる事は滅多にないし、良いタイミングだと思ってな。どうせいつかは知る事になったわけだから、それなら少しでも早い方が良いと思った」


「お、お母さんとかは知ってるの?その、あの、お父さんの仕事の事」


喉が渇き切っていて上手く声が出せなかった。


「圭介以外は誰も知らない。薄っすら危うい事をしてるかも知れないと勘づいてはいるかも知れないが、明確な内容までは気付いていない筈だ」


「いつからそんな仕事をしてるの?」


「お前が産まれてから直ぐにだ」


「16年くらい?」


「そうだな」


「捕まったりは?」


「していない。だからこうして今お前と一緒にいられる」


「これから先、その仕事を止めるつもりはあるの?」


「ない。例え将来的に捕まるような事があってもな」


「どうして?」


「他人の手によって苦しむ人を放っておけないからさ」


「意味がわからないよ」


「夏休みに入ったら全て話をしてやる。それまでに圭介なりに考えるんだ。後を継ぐ事も含めてな。お父さんの仕事のせいで、お父さんを嫌いになるのは仕方ない。一緒にいるのが嫌になったらそれでも構わない。一人暮らしする生活費くらいは出してやってもいい。だがそれが出来るのは大学を卒業するまでだ。卒業したら一切の面倒は見るつもりはない。1円たりとも援助はしない。それだけわかった上でこれから先の事を良く考えなさい。そして夏休み前までに決めてお父さんに話してくれ」


「わかった」


僕はいい、膝に置いた手を握り締めた。

震えは止まっていた。遠く見える空に赤みが広がっていく。


ふと頭の隅に藤城たつきが発見されたニュースの事が蘇る。あの白骨死体は山に埋めたから見つかった。だがお父さんは見つからない為に鰐に食わせるという。


なるほど。確かにそちらの方が死体が見つかる可能性は低い。だから16年もの間、仕事を続けられていたのかも知れない。でも鰐だって寿命があるじゃないか?鰐ってそんなに長生きなのだろか?わからなかった。スマホを持って来なかったからググる事も出来なかった。


藤城たつきは白骨で発見されたけど、もしかしたらお父さんの手によって鰐に食べられていたかも知れないのか。そう考えると胸の奥がゾワゾワした。この感覚には覚えがあった。だがいつどこで、感じたのかは思い出せなかった。


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