③①
家に帰り着く頃には遠くの空の一部が白み始めて来ていた。
私は車を車庫に入れると直ぐさま死体袋を担いで小屋へと向かった。
無駄話をしたせいか身体がやけに重かった。あんな漂白者とは2度と仕事はしたくないものだ。
偏見だがあいつはいつかヘマをやらかしそうなタイプだ。時間にはうるさいくせに、細やかな危機管理が全く出来ていない。
それに性格は激情タイプな感じは否めなかった。そんな輩のような男を会社もよく漂白者として雇ったものだ。私なら絶対しない。
高慢で高圧的で口の利き方も知らないような男は必ず味方を窮地に追いやるようなミスを冒したりするものだ。
もし私があの場所に行かなければ下手すれば警察に捕まっていた可能性だってあったのだ。
土地勘もなく、横柄な態度で東京の中にいたら、返って目立ってしまう。私が処理人でいた事を感謝して欲しいくらいだった。
そんな奴はおおむね、他人からエネルギーを奪っていく。その奪ったエネルギーがまた、そいつのエネルギーにかわると思うと腹の中が煮えくり返りそうだった。
私は首にかけた鍵を取り外し小屋の戸を開けた。地面に放り出していた死体袋を引きずって中へと持ち込む。
戸を閉め中から施錠した。死体袋のファスナーを開くと、思った通り処理されたこの男の顔はボコボコにされ元の原形がわからない程、殴られていた。
鼻は2方向に折れ曲がり、頬骨は陥没し皮膚から折れた骨が突き出ていた。唇はタラコのように膨れ裂傷が酷かった。
右目の瞼は紫色に腫れ塞がり左目は落ち窪んでいた。
棒状の物て突かれたのかも知れない。額はパックリと割られている。これでは頭蓋骨からも元の顔に復元するのはとても不可能だと思える程の惨状だった。
やはりあの男は根っからのサディストだったらしい。直接の死因は何かはわからないが、余りの酷さに私は死体の主が数発程度で意識を失いそのまま意識は戻る事なく死んでしまった、と思いたかった。
そんな同情心が沸くほどに、死体の殴られようは酷かった。
衣服を脱がすと全身はあざだらけで、指は両手の中指と親指が切断されていた。
切断面の凹凸からして鋭利な物でスパッと切り落とされたわけでは無さそうだ。切り味の悪い刃物でゆっくりじっくり時間をかけて1本、1本切り落とされたのは容易に想像出来た。
右腕は肘から折られ左腕は肩が外されていた。足の脛が陥没しているのは鈍器で殴られたせいだろう。
膝は両方とも砕かれていた。このターゲットはとんでもない苦痛を味わされたに違いない。殺されるのは仕方のない人間だったとしても、余りに酷いやり方だった。
私はあの男に強い憤りを感じずにいられなかった。同業者といえ、2度と関わりたくないと心の底からそう思った。
私は脱がした衣類をゴミ袋に入れ刃を新しくしたばかりの折り畳み式二枚刃のノコギリを手に取った。そして苦虫を噛み締めるように舌打ちをした。
痩せてはいたが筋肉質ではなかった為、切断は意外と早くに片付いた。切断した足を水槽に放り込むと、鰐は久しぶりの餌に興奮したのか尾をバタつかせながら男の足に食らいついた。
その食いっぷりなら全ての部位を残らず食べてくれそうだ。そんな勢いのある食い方だった。
私は続け様に手足、頭と投げ入れた。さすがにいっぺんには食べきれなかったようだが、一つを食べ終えると直ぐに残りに襲いかかり、頭を振り回しながら噛み砕いていった。
全て食べ終えるのを確認した私はタイルの上に広がった血の海の掃除に取り掛かった。
洗い流し、洗剤を撒く。前掛けのゴム製のエプロンも床に広げ同じように洗剤をかけてデッキブラシで擦る。
それが終わるとまた床を洗い流しマスクをつけた。塩素系の薬を巻きしばらく放置してから水道ホースを使って洗い流した。時計を見ると6時10分だった。
とりあえずまだ、外は暗い時間帯だ。私は一つ大きな息を吐き洗ったエプロンをハンガーにかけた。前は小屋の外に出てからエプロンや長靴を洗っていたが、圭介が私の仕事に興味を示し始めてからは小屋の中で洗うように変更したのだ。
牛や豚や鳥ならまだしも親としては、自分の息子に人間の血や肉片、毛髪などがついた長靴やエプロンなどを見せたい訳がない。だがそうする事によってより圭介が興味を示し出している事は妻から聞いていた。
圭介は神秘性というか、隠匿性というか、そのいう物に惹かれる年頃なのかも知れない。
私は額から流れる汗を拭き取ると水で、顔を洗った。
頭から浴びたかったが風邪をひいては何にもならない。首にかける鍵を手に取り、内側の鍵を開けた。戸を押し開けるとそこに圭介が立っていた。
「こんな早くにどうした?」
私はびっくりしたのと同時に圭介の存在にいわれのない動揺を覚えた。が、出来る限り平静を装いながら尋ねたが、僅かに声が上ずっていたかも知れなかった。
「お父さんおはよう」
「ん?あ、あぁおはよう」
「仕事だったんだね?」
息子の圭介は私の目を一心に見つめていた。
何かしら決意のようなものがその瞳の中に垣間見えた気がした。
「まぁ、そうだ」
「僕にも見せてよ」
「今はダメだ。だがそのうち必ずみせてやるから」
私はいい、後ろ手に戸を閉めた。息子に背中を向ける。戸に引っ掛けて置いた南京錠を掴み鍵を掛けようとした瞬間、いきなり圭介が戸の取手を掴み戸を引き開けようとした。
私はすかさず息子の腕を掴んだ。息子は私の腕に噛みつき私の脛を爪先で蹴飛ばした。
一瞬怯んだ私の隙をついて圭介は両手を使い戸を引き開けようとした。私は圭介のパジャマの襟を掴み引っ張った。こちらに振り向かせ頬を力任せに叩いた。
圭介は身体のバランスを崩し膝から崩れ落ちた。
「そのうち、と言っただろ!」
私は大人としての、親としての権利を使い力任せに息子を黙らせた。あまりに突然な事だった為、後の圭介に変な疑いを持たせるきっかけになるかも知れないと、この時は考えられなかったのだ。
そのような考えに至ったのは小屋の鍵を閉め風呂に入って朝食を食べ仮眠を取るために布団に入っての事だった。
圭介はというと、何の反論もせずに黙って起き上がるとパジャマについた汚れを払い、数秒私を睨んだ後、
「約束だからね」
とだけ言って先に家の中へと戻っていった。
この時も圭介は泣く事はなかった。
後にも先にも私が唯一息子に手をあげたのは、この1度きりだが、それは絶対に忘れる事は出来ないだろう。
何故ならその日はクリスマスの朝だったのだ。きっとこれから先の未来もクリスマスの朝を迎える度に、私は手をあげた事を、息子は殴られた事を思い出すだろう。
決して良い思い出ではないクリスマスの朝を。




