③⓪
その日の夜遅く、私は着替えを済ませ家を出た。
思わぬ事故のせいで高速道路は渋滞し約束の不忍池についたのは1時50分頃だった。
車内から会社から知らされていたナンバーを照合する。柳の木の下に止まっている車がどうやらそれらしかった。
後ろから見る限り先方は寒いというのに窓を全開に開けそこから肘を出した格好でタバコを吸っていた。私は車内から慎重に周囲を見渡し車を降りてそちらに近づいて行った。
私の足音に気づいたのか、バックミラー越しにこちらを見るとタバコを外に投げ捨てた。
乱暴にドアが開けられ、中から長髪をまとめて後ろで結んだガタイのいい男が降りて来た。夜中だというの濃いサングラスをかけており、右耳のピアスが街灯の灯に照らされキラキラと光った。
趣味の悪い柄物のワイシャツにくたびれたスーツを着ているが、靴だけは高価そうだった。腕っぷしに自信があるのだろう、威嚇するように首を左右に曲げ、溜息をついた。
「仲野部さん?」
野太く低い声で私の名前を呼んだ。
「ええ。仲野部です」
「来るのおせーんだけど」
「約束の時間には間に合ってますが?何か問題でも?」
男は拳を握り指の骨を鳴らした。
そして腕時計を見て時間を確認する。
「まぁ。確かに間に合っちゃいるけどさぁ。普通、約束の時間の30分前には来るでしょ」
「そのつもりで来たんですが、事故渋滞に巻き込まれましてね」
「そんな事くらい想定して出てくるのがプロだろうよ」
そのように家を出たと言いたかったが、死体を置いたままこんな所でウダウダと無駄話はしたくなかった。
それに私は自分をプロだとは思った事は1度すらない。だから当然、その道のプロと言われる裏稼業の人間との関係も皆無だ。
言うなればプロ野球と草野球くらいの違いがあるわけだ。ただプロとされる所があるとするならば、そこは精神面に尽きる。許せない、許してはいけない。このままにしておけばいつか必ず苦しむ人間が出てくる。
だからその存在を許してはいけないという強固な精神面だけだ。その部分のみは確かにこの男の言うようなプロなのかも知れない。まぁ正直本意ではなかったが私は謝り頭を下げた。
「まぁ、分かればいいんだよ。分かればさ。けど、こんな事いっちゃ悪いけど、大体、元々はこいつを処理すんのはあんたじゃなかったんだよ。それが急遽会社から変更の連絡が来たから渋々東京くんだりまで車を走らなきゃなんなくなったんだ。なのに何だ、あんたが来たのは時間ギリギリだってよ。笑っちまうぜ」
笑いたければ笑えばいい。それよりも死体を移動するのが先だ。
「へぇ。そんな事があったんですか。災難でしたね」
「そうよ。災難よ災難」
「所で、あれはトランクですか?」
「そこ以外、ねーだろ?」
男はタバコに火をつけた。
「わかりました。ではこちらに移すので開けてもらえますか?」
男は私の言葉に舌打ちをして、ゆっくりと運転席へと戻っていった。私が急かしている事にイラついているのは明らかだった。
トランクが開くと私は死体袋に手を伸ばし引き上げた。死体袋を折り曲げ肩にのせた。
「あんたさぁ」
いつの間にか男が私の横に立っていた。真横に並ばれると正面からはわからなかったが、身体の厚みが半端なかった。ラグビー選手のような胸板と太腿は丸太のように太かった。
こんな男に殺されたこいつは悲惨だなと私は心の中で、担いだ死体袋の中の骸に話しかけた。
「何です?」
私は死体袋を担いだまま、車の後ろに周りトランクを開け素早く放り入れ閉めた。
「今まで、何人やった?」
「やった?」
「何人殺したのかって事だよ」
咄嗟には思い出せなかったが2桁近くはいっていると思い、男に向かってそう返事をした。
「2桁?たった2桁未満か」
「ええ」
「そんな数でよく処理人に移行しようと思ったな」
「まぁ、年齢もそうですし、それに伴い体力的な問題もありますから」
「だとしてもだ、あんたも人殺しがやりたくて漂白者をやってたんだろ?」
漂白者と殺害をする者の別称だ。今ではシェフと呼ばれているが、昔はそのような名前だったと聞いた事がありは。名前の由来は薄汚い人間すらその真っ白に染める、その汚れがなかった存在までおとしめるという意味で、昔は使われていた。だが最近はもっぱら漂白者というワードを口に出す人間は聞いた事がなく、まさかここでその言葉を耳にするとは思わなかった。
「私はそういう理由でシェフをやってたわけじゃありませんよ」
そういい、私は男に向かって手を出した。
死体の人物の書類を、という意味だ。
「出た出た。これだよ。これ。処理にってのはいつもそうだわ。とっとと仕事を終わらせてーから、会話を楽しもうともせず、やれ、死体寄越せだの、書類寄越せだの。うるせ〜んだよな」
「まぁ、いつどこで誰に見られるかわからないですし。それに警察には捕まりたくないもので」
「はいはい」
男はいいスーツの胸ポケットに手を差し込み丸めた書類を取り出した。私に向かって突き出す。それを受け取ると私は書類を折り畳みズボンのポケットに押し込んだ。
「顔、確認しねーのか?」
「しませんよ。私は処理するだけですから」
「中身が処理された奴と別人だったらどうすんだ?」
「違おうが違うまいが、私は渡されたものを処理するだけです。それに別人だという事をわかって渡したとなると、依頼人を裏切った事になりますからね。もし殺されるべき筈だった人間が生きてると知れたらどうなるでしょう?私はそのような事を経験した事はないのでわかりませんが、恐らくラピッドが黙っていないでしょうね」
「会社が何を言って来るってんだ?」
「さぁ。それは私にはわからないですよ」
「漂白者にペナルティでも与えるってか?」
私は返事をしなかった。漂白者という名にも違和感があり、直ぐにでも帰りたかった。
「どうでしょう」
わからないですね、私はそういい車に乗り込んだ。
「処理しにかかると思うか?」
男は助手席の窓ガラスに顔を押し付けながらそう言った。私はキーを回し窓を開けた。
ほんのり暖かかった車内に冷たい空気が入り込んでくる。顔の肌がヒリヒリとした。
「シェフを派遣するという意味ですか?」
それは考え難かった。だがこの男のように仕事に対して無神経過ぎておまけに放っておけばいつまでも無駄話をしそうなシェフなら処理された方が幾らかマシだ。
「そうだよ」
「それは無いでしょうね。私はそう思います」
「何でだ?」
「絶対的に人数が足りていないように思うからですよ。何故なら処理人の私でも、ごく稀にですが、未だにシェフとしての依頼が来るからです。そのような事が起こるというのが現実ですから、明らかに人材不足ってのがわかりますよね?」
「そうなのか?」
私は頷いた。
「なら足りてねーんだな」
「でしょうね」
「それなら俺の出番はかなり来やすいってわけだ」
「確率でいえばそうなると思います」
私はエンジンをかけた。開けっ放しの窓に向かって頭を下げる。
「では、これで」
「おう。そうだな。また頼む事になるかも知れねーからそん時は約束の時間の30分前にはきっちり来てろよ。でなきゃ殺っちまうからな」
男は下卑た笑いを浮かべ窓ガラスを拳で叩いた。その拳はみな潰れていて明らかに格闘技の経験者を物語っていた。
なるほど。こういうタイプのシェフもいるのかと私はその拳を見て思った。アクセルを軽く踏み込む。
速度を上げるな。ゆっくり走れ。そして深夜に走る車の群れのペースに乗れ。そうすればこの車が周りから浮いているようには見えないし、決して目立つ事はないからだ。
私はトランクの中にある死体袋に思いを馳せた。あんたが何をやらかして、ラピッドの社員に目をつけられたのかは知らないが、そのせいであんたはさっきの男に散々な目に遭わされたのだろうな。だがもう安心していい。あんたはこれ以上苦しむ事はない。何故ならあんたは死んだのだから。




