②⑤
2人と少しだけゲーセンに行き5時過ぎに別れた後、地元の駅に着くと同時に足が止まった。
今までなら、さっさと家路を歩いたのだけど、ミニシアターで起きた事がフラッシュバックしたものだから、あの場所の事が気になってしまったのだ。
未だに事件として報道されていなかった為、僕自身も気が緩んでいたのだろう、僕を犯した残り2人の存在を今日の今日まですっかり忘れてしまっていた。
いや受付のオヤジもグルに違いないから3人か。とにかくその3人の事が気になってしまったのだ。
駅の反対側へと足を向けた瞬間、身体が硬直し足がすくんだ。膝が震えだし口内が渇き始めた。生唾を呑み込み、そちらへ一歩踏み出そうとしたけど出来なかった。
直ぐ様、帰路に向かう道の方へと向き直った。気づくと僕は人混みの中を駆け抜けていた。
家の近くまで一気に駆けったせいか、止まった時は、目眩がし倒れそうになった。
側にあった民家の塀に片手をつき、肺の中に空気を送り込む為、大きく息を吸った。
ずり落ちるように地面にしゃがみ込む。塀に背中を預けへたり込んだ。息があがった呼吸が整うまでかなり時間がかかった。
小学生の頃にやっていた野球を今まで続けていたらこんなに息が上がる事はなかったかも知れない。でもダッシュも長距離も嫌いだったし苦手だった。
当時からその二つは手を抜いていたけど、特に監督から怒られた記憶もない。まぁ、レギュラーでもなかったし、僕自身才能もあるとは思っていなかったから、それを監督も見抜いていたんだろう。
もしくは頑張ろうという意思も見えず努力すらしようとしない僕を叱咤激励した所で、エネルギーの無駄だと感じていたのかも知れない。
しかし全力で走ったお陰か、僅か数分前に震えていた足はもう治っていた。代わりに脚が腫れたような感覚がある。僕は体育座りをしたまま、両脚をマッサージした。そんな僕を行き交う人達の視線が交差していく。誰一人話しかけて来るものはいなかった。
僕は地面に片手をついてゆっくりと腰を上げた。背負っていたリュックを外し片手で持った。家に向かって歩き出す。しばらくするとスマホが鳴り、めんどくせぇなぁと思いながらも誰か確かめる為にディスプレイを眺めた。
非通知だった。どうせ悪戯電話だろうと思い出ることはしなかった。数回鳴った後、電話は切れ、僕は着信履歴を消そうとした。その時、留守番電話の印の箇所に赤いびっくりマークが表示されている事に気がついた。さっきの非通知の奴が留守番にメッセージを残したのだろうか。僕は留守番電話を再生し、スマホを耳にあてた。
「おい松下!テメー逃げられると思うなよ!今から追い込みかけてやっから震えて待ってろや!」
この明らかに間違い電話の留守電を聞いて心底ホッとした。心の何処かであのミニシアターの奴等かも知れないと思っていたからだ。
だが冷静になって考えてみれば、奴等が僕のスマホの番号を知り得るわけがない。あの時、スマホは確かにリュックの中にしまっていた。そのリュックもちゃんと回収出来たし、スマホだって入っていた。
それにあのオネエ1人を残して先に帰って行ったのだ。確かに僕がトイレに連れ込まれている間に、受付の親父がリュックの中を漁り、僕のスマホの番号を調べたとしても不思議じゃないし、充分それをやれる時間も余裕もあったと思う。
けど、ロックがかかってる上に顔認証のセキュリティがあるわけだから、スマホが開かれる事は無いはずだ。
自信はないけど仮にUSBを挿されたとしても、多分大丈夫、と思ってはいた。けど、この電話は今の僕をビビらせるには充分過ぎた。
気持ちを落ち着けながらゆっくりと家に帰るとお父さんが小屋から出て来た所だった。
ゴム製のエプロンと長靴、頭にはタオルにマスクをしていた。僕を見つけると、マスクを外し「お帰り」と言った。
「ただいま」
夕方のこの時間に外にいるお父さんは珍しかった。格好からして小屋の掃除をしていたのはわかるけど、今まではそれは大体、朝、鰐の餌を釣りに行った後に行われる事が多かった筈だ。
それがどうしてこんな時間に?と不思議に思う僕を他所にお父さんが話しかけて来た。
「部活をするつもりはないのか?」
お父さんからしたら僕の帰宅時間が早いと感じたのかも知れない。とは言え5時は過ぎていた。確かに部活をやっていれば帰宅は7時を過ぎたりするだろう。でも自分の息子の帰りが早い事に文句を言う親なんているだろうか?ましてやこんな時代だ。無事に帰宅した子供を不快に感じるとは考え難い。ひょっとしたらお父さんの心の中では僕に野球を続けて欲しいと言う気持ちがあるのかも知れない。
「やらないよ」
「そうか それならそれで構わないが、何かやりたくない特別な理由でもあるのか?」
「理由ってほどの理由はないけどね。ただどのみち夏休みに入ればお父さんの仕事を手伝うし、もし、それが僕に合うようなら、普段、出来ることは手伝いたいと思うから。それなら部活はやらない方が良いかなって」
「まぁ、圭介のその気持ちは嬉しいが、基本的に夏休み、冬休み以外は手伝わすつもりはない。何故ならお前は学生で勉強が仕事だからだ。元々、さほど勉強しなくても出来る事はわかっていたかが、だからといって怠けるのは宜しくない。勉強もしっかりやって、大学に入りちゃんと卒業したその時に、初めてお父さんからお前に尋ねるから。だから今は今しか出来ない、高校生時代でしか味わう事が出来ない事に挑戦して欲しいと思うんだ」
お父さんの言葉に正直、イラっとした。
息子が家業を手伝いたいと言っているのに、どうして休み以外はさせないとか、そんな事を言うのだろう。
確かにそういう約束はした。けど、手伝いなのだから良いじゃないか。
僕は知らぬ間に不満そうな顔をしていたようだ。
「何か不満な事でもあるのか?」
お父さんはそういうとエプロンを外し長靴を脱いだ。裸足のまま水栓場所まで行くと無言で洗い始めた。
僕は何も言わずに家の中へ入っていった。




