②③
私の願いは随分と先延ばしにされてしまったようだった。私がリサーチした後、改めて別の人間が私に代わり旦那と要君、そして浮気相手のリサーチが始められた。
つまりミスを犯した私に任せられないと言うのがラピッドの判断だった。そこは甘んじて受け入れた。
にしても決定してからが、長すぎた。依頼者が私を含め2人もいるというのも長引いている原因なのかも知れない。
旦那と浮気相手はどうするのか?その辺りの打ち合わせが上手くいっていないのかも知れない。にしたとしても長すぎた。
その間、私は悶々とした日々を送り、妻は外には滅多に出かけなくなった。口には出さないが恐らく室浜の奥さんが原因なのは間違いなかった。何度となく会社に連絡を入れシェフを変えろと怒鳴りつけたかった。
「何をもたついているんだ!出来ないなら私が代わりにやってやる!」
気持ちは限界近くまで来ていた。
ただ私のその気持ちをギリギリの所で止めてくれていたのは、何の因果か室浜要君だった。
この少年は母親のいいつけを守ろうとはしなかったのだ。
つまり圭介と一緒に登下校するな、口を聞くな、遊ぶな、と言ったいいつけをだ。
要君は私に正直に話をしてくれた。
母親が毎晩のようにうちの家族の悪態をつき、要君に圭介とは付き合ってはいけないと半ば怒鳴りつけるように話してくるらしかった。
けれど要君は親同士で何があったか知らないけれど、子供を巻き込まないで欲しいと訴えたそうだ。その瞬間、要君は産まれて初めて母親から手を挙げられたらしかった。
要君は無意識に殴られたであろう頬に触れながら大人って面倒くさいねと私に言った。
圭介はそんな要君をじっと見つめていた。圭介なりに思う所があったのだろう。だがそれを上手く言葉にする事が出来なかったようだった。
俯いて自分の太腿に向かって握りしめた拳を幾度となくぶつけていた。
要君は勇気のある少年だと私は思った。まだ幼いのに自分の考えや目を信じている。それから理不尽な外野からの意見は受け入れようとはしなかった。
言ってみれば子供ながらの反抗期なのかも知れない。子供は反抗期を経験して大人になる。が、その反抗期がその子供に良い影響を与えるとは限らない事を私は知っていた。
そのせいで残りの人生を苦労して生きなければならなくなってしまった人間も少なからず見てきた。だから反抗期は絶対に良いとは言わないが、要君のそれは圭介の親としてはとても有難い反抗期だった。
きっと圭介も自分を庇って守ってくれた要君の事を誇りに思っているに違いない。今はその握った拳をぶつける場所は自分の太腿でしかないが、いつしか要君を守らなければならないような時に出くわした時、命懸けでその拳を突き上げ声をあげ要君を守って欲しいと思った。
そうこうしている間に、要君は小学校を卒業してしまった。これで最低1年間は圭介は1人で登下校する事になるわけだ。
だが圭介はこのような事は既に幼稚園の時に経験済みだ。だから私はそんなに気にはしていなかった。
圭介の事だ。きっと要君と同じ中学を選ぶだろう。
だとしても、圭介には同級生に仲の良い友達がいるのだろうか。親心として圭介には残り1年の小学生生活を寂しい思いで過ごして欲しくないというのが私の正直な気持ちだった。
だが圭介が1人で登校している所をみると、話はする人はいても仲が良い、所謂、友達という人はいなさそうだった。
それでも私は構わないと思っていた。
実際、真の友達といえる人間は人生を通しても1人か2人くらいのものだ。確かに友達を多く持っていれば楽しい事も増え知らない事を知ったり出来るだろう。
世の中の社会という世界の構成を友達の中で見出す事も可能だ。そしてその中での自分の立ち位置もわかってくる。
どんなタイプに従っていたら良いとか駄目とか、多く友達が出来ればその事を身をもって学ぶ事が出来る。
が、そこで虐めの対象とされた場合は最悪だ。そのような事になる可能性はどんな子供にもある。ならばと私は思った。
無理して友達を作る必要はないと。現時点で圭介の真の友達は1人しかいないのだから。
数年ぶりの大寒波が関東圏を襲った深夜に室浜家の旦那が家を出た。浮気相手と夜逃げしたらしかった。
その話がラピッドから私の耳に入ったのは圭介の小学校の卒業式前日の夜の事だった。約3か月も遅れた情報だったが、私は既にその事を知っていた。室浜家は近所だったし、人の不幸話の噂は直ぐに広まるものだ。耳にしたくなくても嫌でも入って来るものだ。
私はラピッドに知っているとの旨を告げると、
まぁ。そうだろうなとあっさりと言われてしまった。
ラピッドからの連絡は鰐の事だった。ようやく調達出来たらしい。
そういう事であれば私は鰐を引き取りに行かねばならない。圭介には卒業式に出る約束はしていなかったから、残念に思うだろうが、だからといって圭介が胸を痛める事はないだろう。
卒業式当日の深夜に私は家を出た。鰐の受け渡しは名古屋だった為に渋滞を避ける為に早くに家を出たかったのだ。
朝方に名古屋につくと直ぐに指定された場所へ向かった。約束の時間まではまだ1時間ほどあった。何か温かいものが飲みたいなと思い、周りを見渡すといきなり肩を叩かれた。
「仲野部さん?」
声のした方を振り返るとそこには20代後半と思われるショートカットの細身の女性が立っていた。身長が高いせいか、佇まいがモデルのようだ。タイトなジーンズにライダースの革ジャンを着ている。
「そうだ」
「約束のものを持って来たわ」
女はいい、大型のハイエースを指差した。
「仲野部さんの車はどこ?」
「あっちだ」
女は私の乗用車を見て少し首を傾げた。
「乗るかなぁ」
「そんなにデカいのか?」
「まぁ。そうだね。だって鰐だし」
確かに鰐と聞くと誰もが大きい鰐を想像するだろう。だが私は昔お世話になった処理屋のお爺さんから貰った子供の鰐を想像していたのだ。
そんな子供の鰐でもあっという間にデカくなる。だから何の不安もなく乗用車を乗って来たが、失敗だったか。
「まぁ。後部座席を倒せばギリ乗るか」
女はいい私に乗って来た車を女の車の側につけるよう命令した。
私は言われたようにした。そして後ろを開けた。そして鰐の入った水槽をおろす前に女がチャッキ付きの台車を2台下ろした。
「こんな事もあろうかと思って台車持って来た私、天才かよ」
女の言葉は独り言と捉え私はそれについて口を挟まなかった。
女は2台の台車を一定の距離をあけてから地面に置いた。そして霊柩車にあるような、丸い鉄製の棒が敷き詰められたレールの上に置かれた水槽からロックハンドルを外した。
「普通、仲間の2、3人は連れて来るけど」
「さっきも言っただろう。こんなにデカいとは思っていなかったと」
「はいはい。そうですねぇ」
鰐の入った水槽は強化プラスチックで出来ているようだったが、それ以上に鰐自体が重かった。何とか2人でハイエースから下ろすと、全身から一気に汗が噴き出した。
「ところでこの子を入れる水槽は大丈夫なの?」
「あぁ。それなりに大きく作ってある。深さは2メートルくらいしかないが横と縦は10メートル近くある。勿論、逃げ出さないように高い鉄製の柵を取り付けてある」
「なら大丈夫そうね」
「あぁ。心配はいらない」
「それならちゃっちゃとしんどい事は終わらせるか」
女がライダースのジャケットを脱いだ。細身だと思っていた腕は意外とがっちりとしていて無駄な贅肉もなく筋肉質だった。
「ボサッとしない」
私は頷き女に言われるまま従った。
女の持って来た台車のおかげで載せるのは下ろすより楽だった。
「すまなかったな」
「いいえ。これも仕事の内だから」
「こんな目に遭うとは想像もしてなかったもんでな」
「でしょうね」
「あぁ」
私はいい額の汗を腕で拭った。
「だがどうしてこんなデカい鰐なんだ?」
「わからない?」
「わからないね」
「処理する人が少なくなったからよ」
「そうなのか?」
「そ。まだニュースにはなってないけど、九州の処理人がドジってさ。今、逃走中」
そう話す女はどことなく楽しそうだった。
「だから家の鰐を1匹、貴方に渡さなくちゃならなくなったってわけ」
「てことはあんたも処理する人間なのか?」
「そういう事になるわね」
女は三重県に住む処理人らしかった。
表向きは熱帯魚や爬虫類を販売する店を経営しているらしい。
「1つ聞いてもいいか?」
「良いけど、早くしてね。幾ら朝早いからって誰の目が見ているかわからないんだから」
「あぁ」
私はいい、お世話になった鰐の処理人のお爺さんの事を尋ねた。ひょっとしたら、知り合いかと思ったからだ。
「知らないなぁ」
女は言った。
「仲野部さん、これからしばらく忙しくなると思うから」
「そうなのか?」
「うん。だってうちのワニちゃんを一匹あげたのだから私が処理出来る数も自ずと減らさないと駄目じゃない?今まで2匹で処理してたのを1匹で、こなさないといけないんだから」
「まぁ、そうなるよな」
「仕事回しますからよろしく!」
女はいい台車2台をハイエースに積み込んだ。
そして運転席に乗り込む。エンジンをかけた
「仲野部さん?」
「何だ?」
「新潟のお爺ちゃんね 去年死んじゃったんだ」
女は笑いながら私に向かってそう言った。
何だ。やっぱり知っているんじゃねーか。騙しやがって。
「あ、その鰐ね。お爺ちゃんを食べた鰐だから可愛がってあげてね」
女はそういいハイエースを発車させた。あっという間にハイエースの姿は私の視界から消えて行った。
「お爺さんを食っただと?こいつがか」
私は水槽にかけられている布をめくり上げた。
鰐の目と目が合った。瞬間。鰐は水槽の中で大暴れした。
「こんな奴を相手にしてたなら、そりゃいつか食われちまうよな」
私はそう愚痴て車に乗り込んだ。走り出し名古屋を後にした。もう数時間で圭介の卒業式が始まる。間に合うわけはないが、出来る限り急いでみよう。
せめて学校から出る時までに到着したかった。正門で待ち伏せ卒業おめでとうと伝えたい。
だが、現実問題、それは叶わぬ話だ。私は鰐を運び、自宅の小屋の深く大きな水槽の中にこいつを放り込まなければならないのだ。
私は車を走らせながら少しばかり感傷的になり、叶わぬ夢かと呟いた。




