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 ②②

妻が限界に達したのは圭介が小学5年生の時だった。

季節は秋で街の緑葉樹は陽の光を浴びて穏やかな色彩を街中に放っていた。


鼻をつく銀杏の香り漂う中、妻は憔悴しきって家に帰って来た。


ここ1年、妻は室浜家の奥さんに誘われるままお菓子教室に通っていた。


妻は最初嫌がっていたが、圭介の事を考え仕方なしに通う事にしたようだった。


だが結果的に事件はその教室で起きてしまったようだった。


妻は自分が思っていた以上にお菓子作りにハマっていった。才能があったのだろう。様々なアイディアを持ち込んでは色鮮やかで美味しいお菓子を作っていた。


いつしか教室内で人気者となっていった。それが室浜の奥さんの鼻につき妻が彼女の反感を買うのに時間はかからなかった。


陰口から始まり教室に持っていったお菓子の材料の紛失や、見つかったとしても、生ゴミと一緒に捨てられていたというような事が頻繁に起こるようになっていた。


その間、室浜の奥さんは何食わぬ顔をして妻との友達をアピールし続けていた。教室に行く時も必ず、自ら妻を誘いに来ていた。


そして自分から疑いの目を背ける為に彼女は他の人が怪しいと妻に仄めかした。唯一の救いとしては、妻は彼女の言う事を一切信じていなかった点に尽きる。


これがあったおかげで妻はお菓子教室の誰をも憎みはせず、そして疑わなかった。


そんなある日、平然とした顔で妻を迎えに来た室浜の奥さんを私が出迎えた。その頃の妻は明らかに精神的に参っていたし、見た目からでもその様子がわかる程だった。


だから私はこれ以上、妻を室浜の奥さんと関わらせる訳にはいかないと考え、妻を迎えに来る前に教室に連絡を入れ辞めさせていた。その事を奥さんに告げると彼女の顔は一変した。


頬が紅潮し僅かに見開かれた瞳は煌々と煌めいていた。明らかに興奮状態にあった。私の言葉に奥さんは俯き加減で残念だと口にした。


肩を震わせその声はか細く震えていた。恐らく笑い出しそうになるのを必死に堪えていたのかもしれない。


再び顔を上げだ時、奥さんはまるで憑き物が落ちたかのように恍惚とした表情を私に向けた。私はその目をジッと見返した。この時、奥さんの腹の中では私の妻の事を嘲笑っていたのであろう。


「本当残念だわ。けれど体調を崩されたのなら仕方ないわね。お大事にしてねって伝えて、いえ、私が言っていたとお伝えくださいね」


奥さんはいい立ち去ろうとした。


「ありがとうございます。伝えておきます」


私が返すと奥さんは踏み出した足を止めた。


「教室では会えなくなってしまいますけれど、

子供同士仲が良いから、奥さんも体調が良くなれば、また家に遊びに来るように話しておいてください。だって圭介君たら、毎日、学校帰りに家に寄って遊んで行かれるから」


「そうだったんですか。それはご迷惑をお掛けして申し訳ない」


「いえいえ構いませんのよ。だって圭介君、自分の家より、家のほうがよほど好きみたいですしから、しょっちゅう帰りたくないよって言っていますもの」


奥さんが私に向かって高笑いした。


「だから、ダメでしょって。幾ら家の方が居心地が良いからって、圭介君の本当の家やご両親は別にいるのよ?と叱った事もありますの」


室浜の奥さんはその言葉を捨て台詞にしたかったのか、私に向けて一応の礼儀として頭を下げてから帰っていった。


私は姿が見えなくなるまで彼女を見送った後、部屋に戻りラピッドに連絡を入れた。処理する必要のある人間が1人現れたと。


その後、私は室浜の奥さんの情報を書類にまとめあげた。ラピッドから折り返しの連絡が来たのは夜遅くだった。


そこで今回、室浜の奥さんを殺害するシェフの名前と連絡先を聞いた。私は翌日、その者と連絡を取り、現時点で分かっている情報をメールで送信した。


奥さんのルーティンなど、細かいところまではまだわかっていない為、調査は数ヶ月はかかるという見込みだった。


本来であれば調査も別な人間に任せた方が良いのではあるが、生憎、私の地域や近場には私の仲間はいなかった。だから監視は私がする事になった。既に顔バレや身バレしているがこの際仕方がない。


妻をあんな風に追い込んだ奴を許す訳にはいかなかった。この人間だけは私の手で殺してやりたいが、それが出来ないのが腹立たしかった。だが会社のルールは絶対なのだ。だから私は奥さんの担当者に出来る限りいたぶってから殺してくれるようメールで依頼した。返信はなかった。


全てのリサーチを終え担当者に連絡したのそれから4ヶ月も過ぎた頃だった。


私は直ぐにでも殺して欲しかったが、担当者が動く出す気配はなかった。私は苛立ちを覚えたが、催促するわけにもいかず悶々とした日々を送っていた。


依頼から半年が過ぎても室浜の奥さんはピンピンとしていた。街中で見かけるたびに胸の奥が掻きむしられる思いにかられた。


一体、今回の担当者は何をしているんだ?余りに呑気すぎる為、私はラピッドに連絡を入れた。すると翌日メールが届いて、その内容を読み驚いたものだった。


どうやら奥さんの殺害を依頼していたのは私だけでは無かったようなのだ。こちらに転勤して来る前の土地でも問題を起こしていたらしく、そこにいた仲間から又、別のシェフに仕事が依頼されていたようだ。


2人のシェフとなれば情報のすり合わせに時間も取られるし、連携が大事になる。中には複数で仕事をする事を嫌う者もいた。私もその1人だ。


だからもしかするとシェフ同士が揉めている可能性もあった。その為に時間がかかっていると言う事と、プラス、旦那が浮気をしていてその相手が妊娠しているといった新たな情報も入って来ていたようだった。どうやらその事が奥さんにバレたらしい。


これは私のミスでもあった。ターゲットの情報を調べるのは当然だが、その者に家族があるならそれらの生活のルーティンも把握しておかなければならないのだ。


何故なら殺害する為に自宅に侵入した後、家族に見つかるような事があっては仕事が遂行出来なくなる可能性がグンと上がるからだ。


私は自分でも気づけないほど室浜の奥さんを憎んでいたようだった。だから旦那や要君の事をこの案件から除外してしまっていた。


下手すれば実行当日、圭介が室浜家に泊まっている可能性だってあり得たのだ。


そう考えると私のリサーチの余りのずさんさにゾッとした。これではシェフとして生きるのははそろそろ潮時かも知れないと思った。


私のミスでシェフが捕まる可能性だってあるのだから。私は連絡の内容を読み返し再びラピッドと連絡を取った。今回のミスを謝罪すると共にシェフを引退する旨を伝えた。

そして処理する側への移行を願い出て、鰐を調達してもらえるようお願いをした。


何故なら、今まで飼っていた鰐は数年前に死んでしまっていたからだ。


この鰐は私がこの仕事を始めた当初にお世話なった方から譲り受けた鰐だった。その方は当時、既にかなりご高齢な方だった。


その方から自分はもうすぐで引退するからと私に話してくれ、まだ子供の鰐を私に譲ってくれたのだ。そしてその方との最後の仕事で、私は大きな鰐の皮をプレゼントされた。


「ナイルワニって奴よ。鰐界の最凶で最悪な野朗さ。言われているよいたにこいつはとてつもなく凶暴な奴だった。餌をやるワシにも平気で遅いかかって来るような奴だった。まぁ。子供の頃から育ててた訳じゃないからある程度は仕方ないと思っておったが、流石に年寄りには手に負えなくなってな。撃ち殺してやったわ」


そういい、自慢げにワニの皮を広げて見せてくれた。その皮には銃弾の痕が、6つもあった。人間でいうこめかみ部分に2発、顎下に3発、そして腹に1発、撃ち込まれていた。


「6発も喰らったくせにこいつは3日生きやがったよ。全くしぶとい奴だったな。だからこいつの名誉の為に口下から腹を切り裂いて皮を剥いでやったのさ」


その方は広げて見せた鰐の皮の中に入って戯けて見せた。鰐の着ぐるみを着たその方は鰐の口から顔を出したりしてしばらく遊んでいた。それがやっと終わった頃、その方は私が運んで来た死体を自分の軽トラックの荷台に積み直しこういった。


「シェフなんて長くは続けられるもんじゃねぇ。だから今のうちからその先の事を考えておく事が、重要なんじゃよ」


「はい」


「一旦。この仕事を始めたら普通に仕事をするなんて出来やしねぇ。出来たとしても刺激が足りなくて再び戻って来るもんさ。それに秘密を守るのが出来るのもこの仕事に携わっているからさ。一旦離れたりしたら秘密を隠し通せなくなる。何故だかわかるかい?」


「さぁ」


当時の私は今よりまだ若かったから、秘密を隠すなんて簡単だと考えていた。口は割らないと自負してもいた。


「罪悪感さ。それが辞めたやつの心を蝕むのさね。そうなれば秘密を隠し通せなくなって来やがる。全て白日の下にさらして楽になりたくなるのさ。だからシェフを辞めた時には、処理する側に移行した方がいい。経験者のワシがら言うのだから間違いねぇのさ」


その方はいい、私にナイルワニの着ぐるみの様な皮とまだ産まれたばかりのような小さな鰐を私に手渡してくれた。


「人間1人くらいいとも簡単に喰らうが、出来ればバラして食わせてやった方がいい。出なければ食い損ねた肉片や骨のせいでとてつもなく臭くなるからな」


その方と話したのはそれが最後だった。今、その方が生きているのかどうか私は知らない。

ラピッドも処理する人間や担当者の情報の一切は全て秘密にするからだ。


ラピッドから私の要望に応えてくれるとの返信が来た。だが鰐の調達にはしばらく時間が欲しいとあった。


私は了解した旨を伝えると改めて久しぶりに小屋へと向かった。首にかけた鍵を外し南京錠を開けた。頂いた鰐は既に死んでいて死体も処理している為、小屋の中はさほど臭くはなかった。僅かにカビ臭い程度のものだった。


私は澱んだ水を抜き水槽を洗った。タイル張の床を掃除して水槽に水を入れた。その後に人体をバラすための様々な器具に油をさした。私がシェフから処理する側に変わるまでそう時間はかからないだろう。


室浜家の奥さんの処理依頼が片付けば、自然、処理する側に転属されるだろう。その期間中に私がシェフに選ばれる確率は殆どないと踏んでいた。


何故ならつい数日前に老婆を首吊り自殺に見せかける仕事をこなしたばかりだったからだ。この時は処理する人間は使われなかった。その方が安全だとラピッドの判断だった。


それに老婆は重度の認知症にかかっており、最近はやたらに奇行が目立っていた。


「首吊りして死んでやる!それがお前らの望みなんだろっ!」


と真っ裸で街を徘徊したばかりだったからだ。


だから私はその老婆の首を絞め殺し首吊り自殺に見せかけて来た。その仕事が終わったばかりだったので、私が担当者になる事はほぼ無かったのだ。


小屋の掃除を終えると久しぶりに清々しい気持ちになった。室浜の奥さんが処理されるのも時間の問題だ。今まで焦っていた自分が恥ずかしくなる。


しかしあの旦那が浮気をして妊娠させてしまうなんて…びっくりだった。担当者はこの辺りの事はどう見るだろうか?


要君も大人になると同じ事を繰り返すと考えられ処理されるだろうか。経験から言えば恐らく旦那は殺されるだろう。浮気相手が子供を下ろせば見逃される可能性もあるが、その女の血が混ざった子は将来的に似たような事をしでかさないとは限らない。


そうなれば、不幸に陥いる人間が出てしまうという事になる。それをラピッドが許すとは思えなかった。悪い遺伝子を継ぐ者は然るべき時、然るべき者が、然るべきやり方によってその者を処理しなければならない。


これがラピッドの基本的な方針だった。稀に、要観察という場合もあるにはあったがそれは極めて稀な事だった。私は小屋から出ると南京錠の鍵を閉めた。


久しぶりにタバコが吸いたくなった。妻に伝えると意外にも許してくれ私は歩いてタバコを買いに行く事にした。


銀杏の葉を踏みながら歩く並木道は、あまりに穏やかで、やがて起こるであろう室浜家の処理の仕方を私に夢想させた。


私の心を捉えて離さないその映像はどれもが非情で残酷なものだった。


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