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 ②⓪

転んで頭をぶつけようが遊具から落ちようが圭介は全く泣く事がなかった。最初はとても我慢強い子なのだと笑ってみていたが、流石に心配になった。


圭介には痛覚というものが損なわれているのかも知れないと少しばかり色々と調べてみる事にした。


すると行き着いたのは先天性無痛無汗症(せんてんせいむつうむかんしょう)という難病指定の病気がある事を知った。特徴としては全身の温度覚、(熱かったり冷たかったりを感じる感覚)と痛覚(痛みの感覚)が消失している病気らしかった。


タイプが2種あるらしくそれぞれ4型と5型というものに分類されていた。これらは遺伝性感覚や自律神経の疾患が引き起こす病気らしいが、このような説明は私には少しばかり難解過ぎた。


それでもとにかくこの病気の特徴でもある4型というタイプは全身の発汗が著しく低下し、知的障害や発達障害を合併する事もあると言う。


この文を読んだ時、私は自分の息子が知的障害を持って産まれたのかも知れないと一瞬、怖くなった。けれど圭介は泣きはしないが、汗だけはとてもよくかいた。


汗っかきな子だった。となれば運良く息子は知的障害からは逃れられたかも知れない。私は転んでから立ちあがろうとする圭介を眺めながら胸を撫で下ろした。


残るは問題は痛覚だった。私は息子を呼び寄せ尋ねた。


「圭介?また転んじゃったけど痛くはないのかい?」


「痛い」


と圭介はいい、改めてホッとした私を他所に圭介は言葉を続けた。


「痛いよりも、楽しいの」


圭介はそう言いながらまた駆け出して行った。


私はなるほどと思った。泣かない理由は痛覚が損なわれている為ではなく、痛みで涙が出る以上に喜びが優っていて、それも最大に優っているせいで圭介が泣く事はないのかも知れない。


医者でもない私が幼い子供の体について勝手に決めつけ解釈するのはとても危険な事ではあった。


1度、ちゃんと病院で調べてもらった方が良いのかも知れないが、当の圭介は痛みは感じているというのだから、私はもうしばらく様子を見る事にした。


泣かないと言うのが子供の成長にどのような影響を与えるのか想像もつかないが、それでもまぁ圭介は男の子だから、泣かないというのは良い事でもある気がした。


この世界は泣いた所で何もならないのを私は身を持ってもってわかっている。


ただ不安な面がないといえば嘘だ。人間としての感情というものに欠落があるのではないか、という部分に私は不安を覚えたのだった。


だが圭介は泣かない以外は、普通の子供と何ら変わらない。笑うし怒りもした。不機嫌になりお爺ちゃんやお婆ちゃんを困らせる事もあった。


ただ絶対に泣きはしないという事だけ、普通の子供と違う所だった。違うというのは何も悪いことじゃない。


確かに子供が泣かないという事に私や妻は異常に感じていた。だが言ってしまえばそれだけだ。そう。たったそれだけの違いの事なのだ。


だから私は心配する妻を時間をかけてなだめたりもした。


私が仕事で家を開けている時に妻が圭介を病院に連れて行こうとしたのも1度や2度じゃなかった。


けどそんな時、私の父、つまりお爺ちゃんが私の代わりに妻を説得してくれたようだ。私はそうお婆ちゃんに聞いた憶えがある。


息子は私が思っている以上にシャイな性格だった。幼稚園に入るまではそのように感じることはなかったのだが、先生の話によれば人見知りも激しいようだった。


友達もなかなか出来ずいつも1人で遊んでいる事の方が多かった。


そんな圭介を見かねた先生が他の子供の輪の中に誘い一緒に遊ばせたりもした。一見、外野から見れば仲良く遊んでいるように見えるのだが、実際は1人遊びをしている場所が変わっただけで輪の中にあっても圭介は1人遊びに没頭していたようだ。


つまり圭介には周りの子供達が見えていない、いや見ないと決めているようだと先生は話をしてくれた。


周りを見ないという事を言われても私も妻も思い当たる節は全くなかった。圭介は1人っ子なわけだし私や妻、そしてお爺ちゃんやお婆ちゃんの誰とも遊んで貰えない時だってある。


仕事や用事などで、側にいてやれない時や、近くにはいてもそれはあくまで圭介が怪我をしないように監視しているだけで遊んではやれない時だってある。


そのような時はどの家庭にも起こり得る事の筈だ。だから圭介が他人の存在を認めようとしていない、そんな傾向があるなんて言われても私達に心当たりなどある筈もなかった。


幼い子供なのだから、大概は自分1人で遊んでいるものではないだろうか。その時間が長いからといって他者の存在をいないようになるとは私には考えられなかった。


そんなある日、町内に室浜という人が越してきた。旦那の室浜功夫は〇〇信用金庫で働いていて今度この街に新たな支店が開店するらしく、その支店の副支店長を命じられこの街に引っ越して来たらしかった。


いわゆる転勤組ですよとその室浜功夫は頭をかきながら恥ずかしそうに私に話した。


室浜功夫には4歳年上の姉さん女房と1人息子がいた。家族構成でいえば家と似た感じだった。


違うのは室浜家には同居している両親がいないという事くらいだ。互いの年齢も近く、1人息子の要という名前の子供は圭介の1つ上だった。


入る保育園も決まっているのかと私が尋ねた所、圭介と同じ幼稚園の名前をあげ、何故かわからないがホッとしたのを覚えている。その事が影響したのかわからないが私は室浜功夫に対し少しばかりの親近感を覚えたのは間違いなかった。


室浜家の(かなめ)という息子は何かしらの魔法でも使ったのだろうか?と思えるほど、幼稚園初日から圭介と親しくなった。


妻が圭介を迎えに行った時に先生から聞いた話によれば、要君とは会ってすぐに打ち解けたらしい。妻の話を聞いて私は驚いた。あの人見知りの激しい圭介が?と口に運ぼうとしていた煮物を箸で摘んだまま、私はそう言った。


妻は圭介に友達が出来た事が余程嬉しかったのか、終始笑顔を絶やさなかった。圭介も要君のことを好いているようだった。煮物を食べた後で、私は圭介に尋ねた。


「要君とはどうやって仲良くなったんだ?」


すると圭介は


「わかんない」


と言った。


「わかんない?」


「朝、先生に新しいお友達ですって言われてその後、直ぐ一緒に遊んだの」


それだけで?というのが本音だった。


それまでは幼稚園の生徒の誰に話しかけられても自分の世界に没入しすぎて1人も友達が出来なかった圭介なのに、ほんの少し一緒に遊んだから友達になれたと言うのか?わからない。


我が子とはいえ圭介が考えている事も、感じている事も何となく私には理解出来そうになかった。


「圭介にとってはこのタイミングだったのかも知れないね」


夕食後の圭介のお遊び相手はお爺ちゃんに任せて私はビールを飲みながら妻と話をしていた。


「タイミングって何のタイミングなんだ?」


「内向的から少し外交的になるタイミングよ」


「子供の成長過程に持って産まれた性格に変化が訪れるような事があるものなのか?」


「知らないわ。けどひょっとしたら、誰もがその道を通っているのかもね」


「どういう事だよ?」


「外交的だった子供がある日、内向的に変わってしまうとか。うちの圭介の場合はその逆で良かったけれど」


「いや、待て待て、外交的な、つまりヤンチャな子供が突然、内向的になるか?ならないだろ?」


「そんなのわからないじゃない?いくら外交的な性格にみえても、作っている場合だってあるわよ」


「子供がそんな事する筈がないだろ」


「ないとは言えなくない?人様の家庭内の事情なんて他人には絶対わからないのよ?子供ながらに両親の顔色を伺ってわざと外交的に見えるように振る舞っているかも知れないじゃない?」


確かに妻の言う事には一理あった。

親の前では活発で元気を装っていなければ、生活がしにくいという家庭があっても何ら変じゃない。


「きっと、きっかけなんて些細な事で良いのよ。要君が話しかけてくれたようにね。ただ今までは圭介にとってのその些細な事のタイミングが現れなかっただけでさ」


私は空になったグラスにビールを注いだ。一気に飲み干すが、妻に対して返す言葉がうかばなかった。


「とにかく圭介にも友達が出来たの良かったし正直、私はホッとしたのよ」


「俺も同じだ」


「室浜さん一家には感謝しないとね」


「あぁ。そうだな。けど向こうからしてみればそんなに感謝されてもって感じだろうけどな」


「そうね。今までの圭介の事は知らないですもの」


要君との出会いが圭介に与えた影響は計り知れなかった。


少なからず内向的な性格は治りはしていないが、友達を作れないほど、自分の世界に没入していくような事は少なくなって行った。


ただ先に要君が幼稚園を卒業した時は私も妻も少し圭介の事が心配だった。


それまでま幼稚園以外でいつも一緒に出かけたり遊んだりしていたものだから、そんな要君がいなくなる事でまた昔のように自分の世界に没入するようになるかも知れないと危惧していた。


が、意外と圭介は気にする風でもなかった。来年になればまた一緒に学校に行けるし、それに休みの日なんかは一緒に遊んでいるよ?と圭介は妻に向かって平然と答えた。


この言葉がどれだけ私の心を安堵させてくれた事か。

正直、最近は仕事が忙しく家を開けがちだった。


久しぶりに家に帰って来た時に、いきなり昔の圭介に戻っていたら?と考えると少し怖くもあったのだ。


だから圭介自身からそのような言葉を聞けて、私は何も心配はいらないのかも知れないなと思った。


「子供ってのは、放っておいても勝手に育って行くものだ」


私の父はそういうが、確かに圭介を見ていると一人でに成長していってる感じは受けるが、あまり勝手に育ってもらっても困る。


せっかく明るい性格になって来たのに、また他人を受け入れようとしない世界に没入されるのはさすがに親としては辛いものだからだ。


そんな私の危惧を知ってか知らずか圭介は要君がいなくとも毎日が楽しいようだった。


怪我や事故、病気も軽い風邪を引く程度ですくすくと育って行き、あっという間に1年が過ぎ春からは小学生だった。


けれど私個人はまたもや最悪な事に出張で卒園式と小学校の入学式に出る事は出来なかった。



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