①③
1人息子を初めて公園に連れて行った時、息子が1番興味を示したのは他人や、その子供、自然、遊具などではなかった。
息子は虫の死骸を見つけそれを指差し私に何かを伝えようとして来た。
私は抱きかかえていた息子を地面に下ろした。息子は虫の死骸の前でうずくまりジッと死骸を見つめていた。
数分、数十分微動だにせず、ひたすらに死骸を見つめていた。
さすがに長過ぎると思った私は、あっちにブランコもあるよ?と話しかけてみたが、息子は無反応だった。
そんな無反応な息子の事が少し心配になり私は息子の隣にしゃがみ込み、息子の表情を覗き見た。
息子は喜ぶでもなく悲しむでもなく、全くの無表情で虫の死骸を見下ろしていた。
その無表情が私の心のヒダを引っ掻いた。
恍惚な表情であれば私は近い将来息子を殺してもらわなくてはならないと決断しなければならなかった。
そしてその手筈を整える為の、時間も充分あり、心の整理をつけ易い筈だった。
逆に悲しそうな表情であればまだ何も心配はいらない。だが私の息子は無表情だった。
全く感情を読み取れない程の、余程、子供とは思えない表情だった。まだ言葉もまともに話せはしないし、大人の話を理解出来る程の知能もまだまだ発達していなかった。
そんな息子の無表情というのは私にとっては理解すること、しようとする事はほぼ不可能に近いのではないかと感じられた。
このまま放っておけば息子は何時間も虫の死骸を眺めているのではないか?と私は考え、この状況から脱する為の作戦として敢えて息子の大好きなカップアイスを食べようか?と話しかけてみた。
普段であれば何をしていてもカップアイスを食べようと言えば満面な笑みを浮かべ何をしててもそれを放り出し必ず私に駆け寄って来た。
だがこの時ばかりは一回だけ私を見上げて見つめただけで、その後すぐに虫の死骸に目を移し、首を振った。
つまりこの時こそ、息子がカップアイス以上の物を見つけてしまった瞬間だった。
私はすかさず息子を抱き抱えようと身体に手を回した。
息子は嫌がるかなと思ったが、予想外に無抵抗だった。
そして私の帰ろうかという言葉の直ぐ後に息子は、虫の死骸を踏みつけた。
数回踏みつけた後に私を見上げ笑った。この行為を褒めるわけにはいかないのはわかっていた私だったが、怒る事は出来なかった。
何故なら虫は既に死んでいてただの死骸に過ぎなかったからだ。
私が殺害し、仲間に殺害されたろくでなしの肉体をノコギリで切断するのと何ら大差ない。
むしろ何の迷いもなく踏み潰す事が出来るのは、これから先の未来に良い方向に向かう可能性を秘めていると思った。
つまりは今の私の立場と同じようになれるかも知れないと少し、ほんの少しばかり嬉しく感じられたのだ。
だが反面、少しでも狂えば私の仲間が息子を殺す事になるだろう。
そんな息子は私の首にその小さく細い腕を回し顔を私の頬に押し付けて来た。
今さっき虫の死骸を踏みつけていたと思えない程、その仕草は愛らしくそして微笑ましかった。
体温が高いのか息子のその頬はとても暖かく揺れ動いていた私の心を穏やかにさせた。
私は息子の身体を持ち上げ肩車した。息子は私の肩の上で嬉しそうにはしゃぎ出した。
「帰りにカップアイス買って帰ろうな?」
「うんっ」
僅かばかり甲高い息子のその声は、私達親子の周りに広がり、渦を巻くよう空へと消えていった。
私は自分の両親と妻、そして息子との5人家族だ。
妻とは前の職場で知り合った。結婚を機に妻は会社を辞めて専業主婦になるという。
私は私の両親との同居は構わないか?と尋ねた。何故なら家はあるし、車もある。
だが別居となれば新たな新居も必要だし、そうなれば家賃だってかかる。専業主婦になるのであれば稼ぎは私だけとなる為、生活が苦しくなるとまでは言わないまでも、決して楽をさせてあげる事は出来なかった。
だから私の両親との同居を求めてみたのだが、妻はそれに関してびっくりするほど嫌がらなかった。
その理由を尋ねると自分は、小さい頃からお爺ちゃんとお婆ちゃんがいた事がない、だから1度で良いからお爺ちゃんとお婆ちゃんが欲しかった。
これは小さい頃からの夢でもあったの。だから同居は全然良いの。むしろお願いしたいくらいだわ。
世の中に夫の両親と同居したいという女性がいるなんて、正直驚いた。
が、そんな妻の言葉は経済的な面で私を楽にしてくれた。勿論、精神面でもだ。
それに私の両親は中々子宝に恵まれなかったようで、かなりの高齢になってからようやく私を授かった。
高齢出産は女性側の命の危険性が高まる為、私の父以外からかなり反対されたりもしたらしい。
けれど母はそれを押し切り私を産んだ。そんな両親なので妻から見れば2人はかなりの老人に見えたのだろう。
私は高齢出産により産まれた子供だから、小さい頃はよくからかわれた。1番嫌だったのは授業参観だった。
クラスの誰かが、あのおじさん誰?とかまさかあのおばさんがママなわけないよな?なんて言われるのが嫌で、2人には来ないで!と怒った事も幾度とあった。
だが2人は嫌がる私を他所に堂々と授業参観に参加して来た。
今となっては良い思い出でもあるが、当時は2人の事を、心からいなくなって欲しいと願った事もあったが、それが現実にならなくて良かったと今は思っている。
その事もあってか私は30歳で結婚した。願望として25歳まで結婚したかったのだが、こればかりは出会いという運命が大きく左右している所によるので、結果的に30歳まで伸びてしまったが、
まぁ。それは仕方ない事だ。そして授かった息子は妻や両親などと相談し圭介と名付けた。
それが私の1人息子、全く泣かない息子だった。




