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志望校から合格通知が届いた時、心の底からホッとした。
そもそも僕の気持ちは既に後を継ぐという形でかなり固まって来ていた。
最初は鰐見たさの好奇心から後を継ぐという嘘をついたけど、今ではその嘘が現実になるものだと考えるようになって来ていた。
正直、自分の中でそのような心変わりがあったが、両親には中学3年の時に体裁は整っていると考えていたから、特別、高校に行かなくても良いくらいの気持ちが少なからずあった。
けれどお父さんがそれを許してくれなかった。
理由は人には向き不向きがあるからだと。
つまりお父さんの仕事は、お父さんには向いていても僕には向いていない可能性があり、もしそうなった場合、中卒や高卒では職業が限られててくる、
そうなると僕が苦労を背負った人生を送る可能性が高くなるからといい、大学まで行くという約束をさせられ、その上で志望校への入学が決まったら、1年の夏休みから手伝わせてやるという半ば縛りありの約束を無理矢理にさせられてしまった。
大袈裟にもお父さんはそれを書面にし僕にサインまでさせる程だった。
約束を反故にするつもりは毛頭なかったけれど、お父さんの言うように自分には合わなかった場合の保険という意味ではこのサインも悪いものではない気はした。
それに確かにお父さんの言うように、もし自分が親の立場なら僕もきっとそういうだろうから、そこは約束通りに受験勉強を頑張り不安もあったが志望校へと入学する事が出来たのはラッキーだった。
それだけに合格通知を貰った時は、飛び跳ねるくらい喜んだ。だってこれで第一の条件を突破だったったから。
入学式にはお父さんとお母さんが一緒に出てくれた。
こんな事は初めてで、幼稚園、小学校、中学校の入学式は全てお母さん1人だったのだ。
それが今回はお父さんも一緒だという事に僕は少しばかりテンションが上がった。
詮索するなら僕が条件を突破した事の褒美と約3か月後に訪れる夏休みに向かって僕の気持ちを引き締めさせる為だろうかと勝手に解釈した。
入学式を終え高校の正門で家族3人で記念撮影した後、お父さんとはそこで別れた。
3人で昼食を食べる予定は急な仕事により、叶わなくなってしまったのだ。お母さんと2人で食べるのは何となく気が引け、僕とお母さんは帰宅してから昼食を取る事にした。
「スーツのままで平気なのかな?」
「家に帰って着替える時間が勿体ないと思ったんじゃない?」
バスの吊革にもたれながらお母さんはそう話した。
「作業着ならどっかで調達出来るだろうし」
「まぁそれもそうだね」
「でも3人だけで食事する機会なんて中々ないから残念だわ」
そうだねと言った後、バスが停留所に泊まった。
数名が乗り込み、1人が降りた。ふと後ろを振り返ると新品の学生服を来た生徒と保護者が何組か乗っている。この中の誰かと同じクラスになるのかもな。そんな事を考えながら視線を元に戻した。
学校から駅まではバスで15分程度だった。歩いたら30分くらいかかるだろうか。通学の朝のバスの混み具合では歩いた方が良いという時もあるかもしれない。
誰もが思う事だけど、満員電車と同じで満員のバスも嫌なものだ。だからもし朝のバス内がそうなるとわかった時点で少し早めに家を出るようにしないといけなくなる。
正直、それは面倒くさい。けど満員のバスを堪えるよりは10分か20分かわからないけど、早めに登校するしかないなと思った。
高校に入ってまで部活はするつもりはなかった。中学生時代は一応、軟式テニス部だったけど、入ったのは2年生からだったから、大会は愚か試合になんて一度も出た事もなかった。
1年生に混ざって玉拾いや素振りをした1年間。3年生になったら夏の大会で引退だから、部内で練習試合を5試合程度やったくらいなものだ。そんなだから高校で部活はしないと決めていた。
中学1年の時に入っていた美術部も、退屈で辞めたわけだし、おまけに絵を描きたくて仕方がなかったなんて情熱は微塵もなかったから高校でやるわけがない。
帰宅部が1番だ。それに家業を継ぐと言う言い訳もあるから入らなくても平気そうだった。
最初の1限目はホームルームで1人1人自己紹介をする事になった。名前、出身中学、人によっては趣味や中学時代にやっていた部活を高校でも続けたいというスポーツマンもいた。
明らかにお調子者や、オタクっぽい女子や、俺に近寄るなオーラを必死に振りまこうとイキった奴もいた。
そんな中に同じ中学校出身の人間は僕を除いて僅かに2人だった。その2人ともが女子で、中学時代同じクラスになった事のない2人だった。見覚えがあるといえばあるし、無いと言えばなかった。それは恐らく向こうも同じ筈だ。
僕は特別お調子者でもなければ運動や芸術に秀でた人間でもないから目立つような存在ではなかった。
おまけに彼女もいなかったし、中学三年間で一つもチョコを貰った事がないような男だ。
どちらかといえばインキャよりの部類に入っていたであろう、中学生時代の僕はクラス内のカースト制度の中でも下位に位置されていた筈だ。だから別のクラスの女子が僕の事を知るわけがなかった。
1人の女子はボブヘアの小野夢子といい、もう1人は少し茶色ががったポニーテールで、この女子は斉藤こだま(さいとうこだま)と名乗った。2人は中学生時代から仲が良かったのか、自分の番になった時、お互いを見合っていた。声は出さなかったが、頑張ってと斉藤こだまの口はそう言っていた。
僕の番が来るとゆっくりと席を立ち、名前を名乗った。
「仲野部 圭介です(なかのべ けいすけ) 出身中学は北の丘です」
僕がいうと小野夢子と斉藤こだまが互いを見合い、首を振った。僕の事は知らないというジェスチャーだ。そんな2人を横目で見ながら続けた。
「これといった趣味はないです。テレビもそんな見ないです。中学時代はテニス部でしたが、高校で部活をやるつもりはありません」
そう言い座った。するとその時初めて僕らの担任に決まった見た目40歳過ぎの男、葉木先生が口を開いた。
「仲野部、っていったか。お前はどうして部活やらないんだ?中学時代テニスやってたならテニス部に入ったら良いだろ?」
「お父さんの仕事の手伝いをしなくちゃいけないから、早く帰りたいんです。だから部活は出来ません」
「お父さんの仕事?一体、何をなさってるんだ?」
「自営業です」
鰐の飼育などと言えなかった。恥ずかしいわけではなく、余りに珍しいと思うから、アホな奴なら、鰐見せろよと言いかねない。だから黙っていた。
「自営業かぁ」
葉木先生は言った。
普通、手伝いをしなければならないというのだから、自営業に決まっているだろう、そんな事も察せられない奴が担任かよ、と心の中で毒づいた。
「でもなぁ。せっかく高校に入ったのだから、部活をやれば将来良い思い出にもなるし、部活には高校時代にしか味わえない青春とい醍醐味があるものだぞ?」
薄い水色のポロシャツに浮かぶそこそこ筋肉質の身体をみれば何かしら運動部の顧問をやっているのかもしれない。
だから僕に絡むように部活をするよう薦めてくるのだろうか。この時、部活はやらないと言った事を少なからず後悔した。
しかし今の時代にあって青春青春と口に出すような大人は頭が空っぽなのかも知れない。将来スポーツで生活出来る人間なんてごく僅かなのに。
そもそも運動に才能がないのは自分がよくわかっている。一体、この先生はいつの時代からタイムループして来たんだよ、と顔は真面目のまま、再び心の中で毒づいた。
とにかく僕は部活はやるつもりはありませんと少し語気を強めていった。
僕の声に怯んだわけではないが、葉木先生は一瞬、悲しそうな表情を浮かべた。何事かぶつぶつ言っていたが、それが終わるとさっきまでの愚痴ぽさが嘘のように笑顔に変わり、名簿を見ながら僕の次の生徒の名前を呼んだ。ホッとした僕は窓の方を眺めた。
空は雲一つない晴天で、校庭の樹々が青々と茂り、光を反射させていた。
眩ゆい高校生活を送りたいもんだなと、少しばかりセンチな自分に恥ずかしくなった。
視線を戻すと、廊下側の1番前の席の女子と目が合った。その女子は僕と目が合っても逸らさず、じっとこちらを見つめ返していた。僕は自分の顔を指差した。そして僕?と声を出さずに尋ねた。その女子はうんと頷くとゆっくりと口を動かした。動きを確認すると、女子の口は確かにこう言っているようだった。
「後で話があるから」
僕はゆっくりと頷いた。




