③
案の定というか、まだまだお子ちゃまなのかやっぱり昨日の夜は中々、寝付けなかった。だから朝寝坊した。
その事について文句を言う人は担任の先生くらいだった。一瞬、学校を休もうかという言葉が頭を掠めたけれど、今日休んでしまうとお父さんの気が変わってしまうかも知れないと思い、朝食も食べずに学校へ行く事にした。
昨日の急な仕事がよほど大変だったのか、お父さんはまだ寝ているようだった。その事で少し安堵した僕は遅刻は免れないのでのんびりと支度を済ませ家を出た。
学校につくと10時を少し過ぎていた。
真っ直ぐに購買に向かいパンと野菜ジュースを買う。
朝ご飯を食べなかったツケが今、出て来たようだ。
もう少しで二時限目も終わるけれど、今、教室に入るのは嫌だし良くない。だから終わるまでの時間、屋上でパンを食べながら時間を潰そうと思った。
屋上に出ると太陽の陽射しが気持ちよくて思わず全身で伸びをした。あくびを堪えきれず片方の目から涙が出た。
「気持ち良いよね」
いきなりの声に驚いた僕は買ってきたパンが入っている紙袋を思わず落としてしまった。
声のした方を振り向くと1人の女生徒が微笑みながらこちらを見つめていた。
屋上のコンクリートに陽の光が反射して、フェンスにもたれている女生徒の周りにオーブのような煌めきを放っている。
「うん。気持ちいいね」
「ここにはよく来るの?」
「僕?」
「そう。君」
「滅多に来ないかな。今日はたまたま寝坊して遅刻したから、二時限目が終わるまで待ってようと思って」
「それを食べながら、ね?」
女生徒が地面に落ちている紙袋を指差した。
「あ、うん」
拾い上げて中身を取り出す。
「メロンパンだけど半分食べる?」
「んー」
女生徒はしばらく考えていた。
「いらない」
「そっか」
僕はいい、屋上出口のドアを閉めた。
そしてドアから少し離れた場所に腰掛けた。
本音を言えば女生徒の側に行き、メロンパンを半分千切って、「はい」と渡したいという妄想が頭の中を駆け抜けたけど、僕のスペックにはそんな勇気はそもそも備わっていなかった。
クラスメイトの中には彼女がいて初体験も済ませている奴らが数名はいた。
それが本当の事なのかはわからないけど、男子の中では経験済みの奴は羨望の眼差しを向けられていた。
残念な事に、いや本当残念ながら僕には彼女はいない。勿論、モテる事もなかった。
話が面白いわけでもイケメンでもない。
特別、お調子者で明るいわけでもない。
かといってずば抜けて頭が良いわけじゃない。
全てが中途半端というか、何というか残念な奴に分類されていると思う。そんな僕が妄想を現実にする事など出来る筈がなかった。
今でさえ、女生徒に話しかけられた事で心臓はバクバク鳴っているは、勃起をしてるわで目もあてられない。
手でも握られたら射精してしまいそうな勢いが下半身にはあった。
それを悟られないよう、僕は膝を立てた格好で地面に座り背中を壁にもたせていた。
「君、3年生?」
女生徒はこちらを向かずにそう言った。
屋上のフェンスに両腕を預け、重ねた手の甲の上に横顔を乗せている。視線は僕じゃなく学校のグラウンドに向けられているようだった。
「そうだよ」
「なら私と同じ受験生ってわけだ」
「君も3年なんだね」
タメかぁと思ったが、正直、この子がどこのクラスかはわからなかった。見覚えのある顔でもない。正直、見たことはなかった。
実は下級生で、僕をからかう為にそう言ったのかも知れない。
「でも、学校で君を見たことはないけど」
と、カマをかけてみた。下級生であるなら恐らく僕のこの言葉で「バレました?だって私まだ2年生だし」と笑いながらそんな返事が返って来る筈だ。
「学校で?」
「そうだね」
「そりゃ見かけた事あったら怖いよ」
女生徒は身体の向きを変えこちらを見た。フェンスに背中をもたれ掛け、片足を前後に揺すり出す。
「どうしてさ」
「だって私、2年の夏から今日まで学校には来てなかったから」
「病気でもしてたの?」
引きこもりかなと思ったけれど、そうは言わなかった。引きこもりだって恐らくは病気の一種だと思うからだ。
「病気って言えば病気なのかなぁ。ずっと引きこもってたんだもん」
女生徒が言うには部屋から一歩も出ない引きこもりではなかったらしい。
普通に生活をして外出もしていた。数少ない友達とショッピングしたり、プリクラを撮ったりディズニーシーに行ったりはしていたらしい。
けどそれは2年生までの話だった。3年になると友達は皆、受験モードに入り遊ぶ事もLINEでくだらない話をする事もなくなった。
むしろ、引きこもりを馬鹿にされ、受験生らしく勉強しなよなどと揶揄され、勉強で忙しいからと、遠回しに友達付き合いを拒否され始めたらしかった。
それが3年の春で、今ではLINEもブロックされ友達だったクラスメイトと話す事はないらしい。
「別に寂しかったから学校に来たつもりじゃなかったのね。けど、一応、立場的には受験生じゃない?今更だけど学校に来るようにすれば、高校にも行きたくなるかなぁと思ってみたりしたの。けど実際に学校に来てみるとさ。近い未来な事より友達に会うのが怖くなって屋上に逃げて来たってわけ。それがついさっきの出来事。んで、帰ろうかなぁと思ってたら、君が現れた」
そのタイミングとしては、良かったのか悪かったのかはわからない。けど僕自身、屋上に来ていきなり話しかけられた時よりもかなり落ち着いて来ていた。勃起も治って来ている今なら、このまま普通に会話が出来そうな気がした。
「で、どうするつもりなの?」
「何が?」
「何がって…」
僕は思わず苦笑いした。
「このまま帰ってしまうか、クラスに行って勉強するか。まぁ多分、行ってもびっくりはされるだろうけど、誰も話してはくれなさそうだよね」
「だろうね」
「もし、残り1年もない3年生の時間を君が我慢しながらでも通うようになったりしたら、ひょっとしたらイジメに遭うかも知れない」
「きっとやられるよねー。ずっと引きこもりだった奴が3年になっていきなり出て来て高校受験したいから、頑張るっ!なんて言ったら、はぁ?お前何寝ぼけた事言ってんの?ってなるよね。うん。なるなる。私がクラスメイトだったら言いはしないだろうけど。やっぱりそう言う気持ちになるもん」
「そんな中にいるのは嫌だよね」
「ガチでヤダ」
「なら来なくても良いんじゃない?」
「そうかなぁ」
「高校行かなくても大検あるし、定時制高校もあるじゃん?今なら通信教育でも高校入学から卒業まで、出来るんじゃなかったっけ?」
「そうなんだ?君、詳しいね」
「多分だよ。多分」
「多分かよ」
女生徒はいい、こちらに向かって歩き出した。
目の前に来るとしゃがみ込み僕が買ったメロンパンの入った紙袋を引っ掴んだ。取り出して開封すると半分に千切る。いや、半分じゃなかった。
7対3の割合だ。3の方を僕に突き出し女生徒は笑った。
首辺りまで伸びた黒髪の片方だけ耳にかける。メロンパンを口に運び一口食べた。その瞬間、僕は目の前の少女に恋をした。
落ちた、と言っても良かった。けれどそれが僕の初恋だと知るのはまだまだ先の事だった。




