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三者面談にお父さんが来る事はなかった。
急な仕事が入ったとかで、早朝の魚釣りに出かけて行ったその足で、何処かへと出かけたらしかった。
意外にもお父さんは三者面談には乗り気だった。
僕の進路というより担任や学校に興味があったらしい。お父さんは小中と学校の行事に参加した事は一度もなかった人なのに何故か今回は来たがっていた。
けど、お父さんの気持ちに反するように急な仕事が入って来れなくなってしまった。
残念だと思っているかは聞いてみなくてはわからないけど、多分、それほどでもないだろうと思う。
自分の行きたい高校は内申書を含めて、かなり余裕で入学出来るでしょうとの担任の言葉に、お母さんはホッと胸を撫で下ろした。
「だからって油断は禁物です。風邪などひいて受験出来ない生徒だって出たりしますからね」
お母さんは充分気をつけますと言葉を返した。
僕は僕で担任に気をつけるんだぞ?なんて言われたから、あ、はぁ。とだけ答えた。
いつもの夕食時になってもお父さんは帰宅して来なかった。
仕方なくお父さん抜きで夕飯を食べている最中、凄く疲れた表情を浮かべお父さんが帰って来た。
「ご飯どうする?」
お母さんの問いかけにお父さんはいらないと首を横に振った。
「疲れたから、風呂に入って寝る」
そう言い、リビングから出て行こうとした。
僕は箸を置いて立ち上がりお父さんに近寄った。
「ねぇ。お父さん、今日三者面談だったじゃない?」
「あぁ。そうだな。行けなくてすまなかった」
「ううん。仕事だったのだから仕方ないよ。気にしないで」
僕がいうとお父さんは軽く僕の頭を撫でた。
「で、三者面談をしながら思ったんだ。お母さんにはまだ話してないけど、僕、高校を卒業したら、お父さんの仕事、手伝いたいと思ってる」
「俺の後を継ぎたいって事か?」
「うん」
「朝早いぞ」
「うん。知ってる」
「重労働だし、命に関わるほどの危険な仕事だぞ?」
「鰐の飼育だもんね」
「あぁ。お前の人生を棒に振るような事にもなりかねないから、俺は辞めた方がいいと思う」
「やってみて自分じゃ出来ないと思ったら辞めるから。だからとりあえずやらせてくれない?」
本音を言えば後継ぎになりたいなんて微塵も思っていなかった。
ただ余りにもお父さんの仕事が謎過ぎて、それを知りたいだけだ。
聞いても教えてくれないのだから、こうするしか今の自分には思いつかなかったのだ。
「とにかく今日は疲れたから、明日以降、お前をいつから手伝わすか考える」
「うん。わかった」
「お前が高校卒業してからにするか、それとも夏休みなどを使って経験させるか、その辺りもちゃんと考えておく」
「ありがとう」
僕はお父さんの顔を見上げた。疲れ切った表情の中央にどんよりとした2つの眼差しが僕を見据えた。
けれどそのどんよりとした眼の中に、微かに震えている鋭い光のような強さが見えた気がした。
その眼はまるで覚悟を決めろと言わんばかりの強く鋭利な眼差しだった。
「おやすみ」
お父さんはいい僕の肩を叩いた。
僕もおやすみと返した。
夕飯を食べ終えると何故か興奮している自分がいる事に気がついた。
身体を動かしたくて仕方ないというような興奮だった。
何処となく全身が熱っぽい。
だから、今夜の夕飯の後片付けはお母さんに言って僕がやる事にした。
小学生まではリトルリーグで野球をやっていたから運動は嫌いじゃない。
けど中学に入ってからはクラブチームか部活で野球を続ける事も考えたけど、どちらもやめる事にした。
特別、才能があったわけでもないし、坊主頭と上下関係、監督は神のように絶対的な存在だと信じたがる父兄達の姿を見て、急にやりたくなくなった。
監督に僕が辞めると話すと引き止める事なくあっさりと認めてくれた。その程度の選手だって突きつけられた事に、意外にも悔しくはなかった。メンバーも誰一人止めなかった。それはそうだ。
一人いなくなれば他の子にそれだけチャンスが広がる。
準レギュラーだった僕の位置を狙っている子供は沢山いたのだ。だから僕は悔いなく辞める事が出来た。
でもこの身体の感覚は初めてスタメンに選ばれた日の時のようだった。早く試合がしたい。試合に出て活躍したい、その気持ちが最高潮に昂りその日の夜は中々寝付けなかった。そんな感覚が今の僕にはあった。
だから後片付けをするよと言った僕に対してお母さんはこんな事信じられないと笑いながらいい、お婆ちゃんはお父さんから仕事の手伝いの許可を貰えた事がよっぽど嬉しかったのね、とお爺ちゃんに話す程だった。
僕は震える手で洗い物をしながら何度も自分に言い聞かせた。
お婆ちゃんの言うように、この震えはお父さんに手伝いの許可を貰えた嬉しさから出た武者振るいだった。
落ち着け、落ち着けと何度も繰り返し言い聞かせる。
でなければ、簡単に茶碗や皿を落とし割ってしまいそうだったからだ。




