②⑤
田辺切削工業所に着くと泡沢は再度、チッチに連絡を入れた。同じように留守電だった。
軽く舌打ちをして入り口を探す。廃業しているのであれば、当然、施錠はされてあるのが定石だ。
それが何年、何十年も前から放置さるたままとなれば、ガラスが破られたり落書きだらけになるのが関の山だが、ここはまだ潰れて間もなかった。
だから本来であれば中には侵入出来ない筈だ。だが、思いもよらず工場横の従業員専用入り口は違っていた。
泡沢がドアノブに手をかけ慎重に回すと簡単に開いた。ドアをゆっくりと引き開ける。
「チッチ!」 大声で呼ぶが返事はなかった。
ドアは開けっ放しにしたまま、一歩、二歩と中に進んでいく。工業内は、昼間というのに、光を取り込む窓が殆どないせいか、薄暗かった。
明るい外から来た為に未だ目が慣れていない為に、泡沢の目にはより暗く映っていた。
こまめに辺りに気を配りながら明かりの電源を探すが、見当たらなかった。
せめて正面のシャッターを開けたかった。
そうすれば建物内の全体像が把握出来る。泡沢は壁伝いにそちらへ移動した。
シャッターという物は決まって側に開閉ボタンがあるものだ。少なくともこの工場は個人事業主だろうから、
恐らくリモコンで開けるようなタイプのシャッターではないだろう。
そう思い、更に歩を進めた瞬間、鉄錆とすえた匂いが鼻をついた。その異臭が泡沢の吐き気を催す。
この臭いは汚物や吐瀉物、そして人体などが腐った時に放つ臭いに近かった。
シャッターへ近づくにつれ、臭いは強くなる。泡沢はハンカチを取り出しマスクの上から押さえた。気持ち程度だが、多少楽になった気がした。
摺り足で進みながらチッチの名を呼ぶが、反応はなかった。
「くそっ」
泡沢はスマホを取り出して、三田に連絡を入れようとしたその瞬間、工場内の明かりがついた。
「本当、貴方って、どういうアンテナを持ってるのかしら」
声がした方へ向き直ると、そこには車椅子に乗せられ手足を縛られているチッチがいた。口には猿ぐつわをされ、上半身のシャツはあちこちが汚れている。
胸元と袖口が切り裂かれ血が出ているようだった。
どうやらチッチは、ここで声の主と鉢合わせ、格闘したらしい。
だが最悪にも捕らえられたのだ。
「んがんげ!」
チッチが叫ぶ。先輩と言ったのだろう。
「今、助けてやるからな!」
泡沢は気取られないよう手に持ったスマホを消音にし、三田に電話をかけた。スピーカーにする。そのまま側の作業台に置いた。起点の聞く三田の事だ。
やりとりを聞かせれば、駆けつけてくれる筈だ。
泡沢はそう思って、スマホを置いたのだ。
「お兄さん、久しぶりだね」
明かりに目が慣れ始めた泡沢は、の主をじっくりと見据えた。顔を見た瞬間、不覚を取った忌々しい記憶が鮮明に蘇った。同時に激しく勃起した。今、目の前にはあの桜井真緒子がいる。自分が取り逃がした殺人犯だ。
あの時より少し太ったようだが、声からして桜井真緒子で間違いない。だが少し太っただけでこうも印象がかわるものだろうか。化粧の仕方によるものも大きいのかも知れない。
「桜井!そいつを解放しろ!」
「馬鹿じゃないの。はい。わかりましたなんて言うわけないじゃん?それとも、チンポ舐めてあげたらまた、見逃してくれる?」
桜井はいい高らかに笑った。その下卑た笑い声に泡沢はイラついた。
「私を逃してくれた時と同じく、また、チンポおっ立てているのかしら?ね?」
といい、チッチに同意を求める。チッチは頷いた。いや、その説明はいらないだろ!と泡沢は思った。
「今回は逃がさない」
「無理よ。だってこっちには可愛い子がいるもの」
桜井真緒子はチッチのクビにナイフを押し当てた。
「とりあえずこの子は私が逃げる為のアイテムだから、しばらくは預からせていただきますね」
桜井真緒子は車椅子を引きながら下がって行く。
「待てっ!」
「え?馬鹿なの?待つわけないじゃない」
「まさかお前がラーメン屋の店主とその彼女を殺したのか?」
「あぁ。最近あった事件ね。どうでしょう?私が殺ったと思いますか?」
クックと笑い出しながら、桜井真緒子は更に下がっていく。
「何故殺した?」
「私、殺したとは言ってませんが?ま、どちらでもいいけど。でもあいつはろくな奴じゃなかったわよ。あの女もね。正直なところ、私も何度か食べに行った事はあるわ。けどさー。あの2人、客がいるのに、バイトばかりに作らせて、自分は厨房の中で、いちゃいちゃしてやがんの。抱き合うなんて日常茶飯事だったし、キスもしてた事もあったわ。そんな奴の店が人気店だなんて馬鹿げてるし、そいつが作ったラーメンなんて、世の中に出しちゃダメでしょ?そう思わない?」
泡沢は黙って聞いていた。
「だから死んだ方が良かったのよ」
「それは自白ととって良いんだな?」
「お好きにどうぞ。最低、1人は殺して、あ、違うや」
桜井真緒子はいい、シャッターの方を指差して笑った。
「プラス2人で3人だね」
泡沢は桜井が指差した方に目をやった。透明なゴミ袋のあちこちが黒ずんでいる。そこからこちらを見つめる目が1つあった。頭は禿げて面長の男だ。恐らくここの工場の持ち主だろう。
「なんかね。あの親父は私に言い寄って来てたんだけどさ。適当にあしらってたら、嫁が私の事に気づいたみたいでさ。ヤケクソになって力づくで私の身体を求めて来たからフェラしてやりながら、これ以上は許して下さいと懇願したフリして、チンポ噛み切ってやったらさ。気絶したの。だから、頭を鉄板で潰してあげたわ。あっさり死んじゃったけどね。あはは。人って簡単に死ぬのね。でも1人で死ぬのは可愛いそうだから、奥さんもついでにってわけ」
泡沢は拳銃を持って来なかった事を後悔した。
ジリジリと詰め寄るが、桜井は笑いながら下がっていく。
「今回は、チンポを舐めてあげられないけど、我慢してね」
投げキッスを送って来たと同時に、工場内の明かりが消えた。
「待てっ!」
泡沢は2人がいた方へ駆け出した。
瞬間。
「うりゃー!」
背後から雄叫びが聞こえた。
「手柄は俺の物だ!」
と、どこかで聞いた事のある声がしたかと思った瞬間、頭部を激しく打ち抜かれ、泡沢は前のめりに倒れて行った。
「き、きのし、た、お、まえ、馬鹿だ、ろ」
精一杯に振り絞って出した声は泡沢を殴り倒した木下には届きそうになかった。




