廃棄病棟の灯
魔法は、人を救うものだと思っていた。
けれど、救い続けた先にあるのが“幸福”とは限らない。
旅の途中で立ち寄った小さな診療所。
そこで、くりもとちゃんは“魔女の終わり”を目にします。
静かで、少し痛いお話です。
でも、誰かの生き方がほんの少しでも届いたなら――
それもまた、魔法のかたちなのかもしれません。
第一章 幸福の残響
人は、魔法を使うたびに少しだけ幸せになる。
それが問題の始まりだった。
魔力を流すと、体の奥で光が走り、脳が微かに痺れる。
それは恋人に触れられるような安堵であり、深呼吸よりも確かな幸福だった。
だが、使えば使うほど――その幸福を得るために、もう一度、もう一度と願うようになる。
それを「魔女病」と呼んだ。
魔法の行使によって神経が侵され、快楽物質が自発的に分泌されなくなる。
末期になると、感情も意思も消え、ただ光を追い求めて魔力を放ち続ける。
人間であることをやめた“魔法の亡者”――それが、魔女病の末路。
くりもとはその話を、旅先の山道でふと思い出した。
この国に入ってから、魔法の痕跡が妙に濃い気がする。
夜道でふと手をかざすと、空気がわずかに光るのだ。
風ではなく、魔力の粒子が流れている。
そして、そんな土地の片隅に、古びた診療所があった。
「トイレ、借りられますか?」
建物の奥から出てきたのは、白衣を着た中年の女性だった。
眼鏡の奥の目は静かで、疲れたように笑っている。
「どうぞ。……でも、あまり奥には行かないでね。」
くりもとは礼を言い、しかし何かに導かれるように、廊下を進んだ。
静まり返った建物の中。
ドアの隙間から、かすかな光と呻き声が漏れている。
その光は、祈りのようでもあり、泣き声のようでもあった。
第二章 焼けた手の魔女
カーテンの奥にいたのは、やせ細った女性だった。
両手は包帯に覆われ、膝の上でわずかに動いている。
まるで、今も誰かの傷を縫おうとしているように。
「彼女は前線の医療班だったの。」
背後で女医が静かに語る。
「負傷者を癒すために、昼も夜も魔法を使い続けて……それで、壊れたの。」
くりもとは息をのんだ。
手の甲の包帯の隙間から、淡い光が滲み出している。
それは小さな癒しの魔法。
自分が誰かを助けようとした記憶だけが、いまだに彼女を動かしている。
「もう言葉も記憶もありません。
食事も、排泄も、自力ではできない。
でも、“治癒”だけは止められないのです。」
その光景は、静かな地獄だった。
助けることにすべてを費やした結果、自分自身が壊れていく。
くりもとは、目をそらせなかった。
間章 魔女の行く末
廊下を歩きながら、くりもとは女医に尋ねた。
「旅先で魔女をよく見ます。
ギルドで働いていたり、修行中だったり。
でも、“その後”を見たことはない気がして。」
女医は小さく笑った。
「そうでしょうね。
魔女の最後を見る人は、ほとんどいません。
けれど、私たちは毎日のように見ています。」
「……どうなるんですか。」
「ほどよく使えば、老衰まで生きられます。
けれど、ほとんどは中毒になる。
やがて倒れて、保健所やギルドが回収する。
それから、こういう施設に運ばれてきて――静かに、終わる。」
その声は淡々としていたが、深い疲れが滲んでいた。
「魔法の才能は祝福だと思われています。
でも、私たちから見れば、毒でもあるのです。」
第三章 白い部屋の少女
「レントゲン室」と書かれた白い扉の向こう。
若い少女が、金属の輪を頭に嵌められて横たわっていた。
肌は透けるほど白く、額の奥で青い光が瞬いている。
「彼女の脳は、魔法鉱石になりはじめています。」
女医の声が静かに響く。
「脳が石に変わる――それが魔女病の最終段階です。」
「……治療法は?」
「昔はあったんです。
“ロボトミー”と呼ばれていました。
脳を割って、暴走を止める。
頭を治すために、頭を壊す。」
くりもとは息を呑む。
「そんな……。」
「治りはしません。けれど静かにはなります。
そして、副産物として魔法鉱石が採れる。
かつては、それを売って資金を得る医者もいた。
――この病院の前任者も、そうでした。」
くりもとは言葉を失った。
少女の瞼が微かに動き、唇から光が零れる。
泣いているようにも、笑っているようにも見えた。
第四章 院長との対話
さらに奥の部屋で、白髪交じりの男が机に向かっていた。
白衣の袖は擦り切れ、机の上には錆びた器具と魔導機械が並んでいる。
彼がこの病院の院長だった。
「見ない顔だね。旅の人かい?」
「はい。ちょっと、トイレを借りに……。」
「はは、そういうのも久しぶりだ。
ここは死にかけの魔女しか来ない。
人と話す機会なんて滅多にない。
……どうだ、暇つぶしに健康診断でも受けてみるかね?」
くりもとは戸惑いながらも頷いた。
機械の低い音が響き、結果が表示される。
「ふむ……珍しい。君、魔力の消費がほとんどない。」
「え?」
「黒魔法も攻撃魔法も、まるで使ってないだろう。
依存も毒化もなし。身体も心も健康そのものだ。」
「……そうかもしれません。
私の魔法、地面を掘るとおにぎりが出てくるとか……そんなのばかりで。」
「おにぎり、か。」
院長は笑い、椅子を軋ませた。
「いい魔法じゃないか。平和で、誰も傷つけない。
そんな魔法なら、いくら使っても中毒にはならんよ。」
しばらく沈黙が続いた後、院長は窓の外を見た。
夕陽の光が彼の頬に線を描いている。
「私も昔は大魔法使いだった。」
その言葉に、くりもとは息をのむ。
「妻も魔女だったが、魔女病で死んだ。
娘は魔法を使えない体で生まれた。
そして、私自身も脳が焼けて……手術で割ったんだ。
昔のやり方でね。」
院長は額を指で叩いた。そこには細い縫い跡がある。
胸の奥で小さな機械音が鳴っていた。
「魔法を絶って、機械で生かされている。
ペースメーカーのようなものさ。
魔法を失った代わりに、機械が心臓を動かしている。」
くりもとは言った。
「それでも、生きているじゃないですか。」
「そうだ。」
院長は微笑む。
「それだけで十分だ。生きている限り、魔法は終わらない。
魔法ってやつは、案外しぶとい。」
第五章 機械仕掛けの幸福
数日後。
くりもとは街の広場で新聞を手に取った。
「新魔力増幅機 ― 快楽成分の永続分泌を可能に」
「“救えぬ者”を幸福の中に留めるための最後の選択」
記事には、魔女病の患者を“幸福の夢”の中に永遠に閉じ込める装置の開発が進んでいると書かれていた。
ある学者は「どうせ戻らないなら、せめて幸せな夢を」と語り、
反対派は「それは人権の剥奪だ」と非難した。
くりもとは新聞を握りつぶした。
頭の中に、病棟の光景が浮かぶ。
ノアの笑顔。焼けた手の女。青く光る少女の額。
そして、寂しげに笑った院長の顔。
「死にかけの魔女ばかりを見ているとね、
“生きている魔女”が一番の薬になるんだ。」
――もし、幸福の形を選べるのなら。
魔法ではなく、風の匂いを選びたい。
くりもとは杖を握りしめ、空を仰いだ。
山の風が頬を撫で、夕陽が金色に差し込む。
杖の先で地面を突くと、小さな火花が散った。
その光はノアの瞳のように輝き、そして風に消えた。
このお話は、魔法文明の影――“魔法に溺れた人たち”を描いたくりもとちゃんシリーズの一編です。
これまで「旅」や「風景」を描くことが多かったくりもとちゃんですが、
今回はあえて“誰も見たがらない場所”に足を踏み入れてもらいました。
院長の言葉、「生きている魔女が一番の薬になる」という台詞は、
作者自身がこの作品を書く中で、最も心に残った一文です。
どれだけ魔法が失われても、人が生きている限り――
その息づかいそのものが、光であり、救いなのだと思います。




