野営
宿を出た勇者パーティは、小さな空き地で足を止めた。
木々に囲まれてはいるが視界は開けており、比較的安全な場所だ。
「今日はここで野営にしよう」
ユリウスの言葉に、全員が頷いた。
レイにとっては、これが初めての野営だった。
ノアが地面に軽く魔法陣を描き、警戒用の結界を張る。
その様子を、レイはじっと見つめている。
「……野営用の魔法陣か。すごいな。見えないのに、魔力の流れが変わった」
「これで、接近するものや侵入者が分かります」
「へぇ……」
焚き火が起こされ、火が安定したところで、ユリウスが荷袋を漁り始めた。
「よし。今日はシチューだな!
どの肉がいいかな。ねえノア、この中でシチューに合うのはある?」
ノアがユリウスの手元をのぞき込む。
「……この中だと、ギガワームくらいでしょうか」
「……は?」
嫌な予感に、ディランが眉をひそめる。
「おいおい、なんで食材の候補に虫がいるんだ!?」
「ちゃんと下処理すれば食べられるよ!
それに、こういう場所で食べる、いつもと違う料理って美味しいんだ!」
「そんなわけねぇだろ!!」
ユリウスは楽しそうに、ずるりと袋から巨大な肉塊を取り出した。
ぬめりのある白っぽい体が焚き火の光を反射する。
半開きの顎の奥から、緑色の液体がたらりと垂れ落ちた。
「――ッ!!」
ディランは、声にならない悲鳴を上げる。
「……これ、普通は食べるのか」
レイは無意識に、自分の腕をさすった。
「辺境でしたら、まあ」
ノアが淡々と答える。
レイはギガワームの粘液を見つめたまま、眉をひそめた。
「おい。今日の調理担当は俺だが……
まさか、俺にそれを触らせる気か?」
「大丈夫だよ! ほら!」
ユリウスはレイの手を引っ張り、そのままギガワームに押し付けた。
――バシッ。
レイは反射的に、その手でユリウスの頬を叩いた。
「えっ!? ひどい!」
ユリウスは、粘液まみれの頬を押さえて嘆く。
「……ああ、ごめん。思わず……。
……あれ、俺が悪いのか?」
レイは少し混乱した。
ユリウスは、どこかしょんぼりしながら鍋を用意し始める。
「臭みはどうすればいい?」
「皮を剥いで、最初に軽く茹でこぼしてください。
香草を多めに入れるといいですね」
「なるほど!」
レイはしばらく、ギガワームの肉を見つめていたが――
やがて小さく息を吐き、覚悟を決めた。
恐る恐る、ぬめりのある体表に触れる。
「……」
ぬめりが手のひらに広がる。
そして、皮を剥いだ。
「……中は、ただの肉みたいだな」
「あ、おい」
ディランが止める間もなく、レイは刃を入れた。
ずるり、と音を立てて断面が現れる。
「っ……!」
「ほら! だから嫌なんだって言ってるだろ!!」
ディランが叫ぶ。
だがレイは、意外なほど冷静だった。
「筋の入り方が単純だ。煮込み向きだな」
「なんで前向きなんだよ!?」
レイは《透視》を使いながら、淡々と下処理を進めていく。
ノアが横から、時折助言を挟んだ。
「煮込み時間は長めがいいです。コラーゲンが多いので」
「……確かに。火を弱めたほうがいいな」
やがて、鍋から立ち上る匂いが変わった。
臭みは消え、代わりに食欲を刺激する香りが広がる。
「……匂いだけなら、普通だな」
ディランが警戒しながら言う。
「でしょ?」
ユリウスは得意げだ。
器に盛られたシチューは、とろりとしたスープに、ほろほろと崩れる肉。
ユリウスが嬉々として口に運ぶ。
「美味しいー! やっぱり正解だよ!」
それを見て、レイも口をつけた。
「……悪くない」
「嘘だろ」
ノアも少し味見をして、頷く。
「処理がきちんとできています」
全員の視線が、ディランに集まった。
「……見るな」
「ほら、冷めるぞ」
ディランは覚悟を決めたように、スプーンを口に運び――
「……っ」
沈黙。
「……」
「どう?」
ディランは顔をしかめたまま、ぼそっと吐き捨てる。
「旨いけど無理だ! 虫だぞ!
トロッとしてるのが、逆に気持ち悪い!!」
ユリウスが吹き出し、ノアが小さく笑った。
レイも少し笑って、スプーンを持った。
焚き火の明かりの中、四人で同じ鍋を囲む。
他愛のない会話が続き、空気は自然と和らいでいった。
やがて夜も更け、レイとユリウスは先にテントへ入った。
焚き火の音だけが残る。
ノアは火の前に座り込み、揺れる炎を見つめていた。
(……森には、一人で)
宿で聞いた、紫の髪の少女の声が脳裏をよぎる。
ノアは仲間たちの方を一度だけ見た。
月光に照らされ、深い藍色の髪が夜風に揺れる。
その姿を、ディランが静かに見ていた。
焚き火の揺らめきとノアの姿が重なり――
ふいに、過去の光景が脳裏に浮かぶ。
――魔獣だ! ディラン、何してる! 早く逃げろ!
当時の町長補佐官の、掠れた叫び声。
――アルがいない!
――あいつ運動音痴なんだ、俺が行かなきゃ……!
幼い頃の自分が、必死に叫び返していた。
アルは、物静かな子だった。
年中本を読み耽り、魔術陣を砂地に描いては首を傾げる。
その姿は、ノアと――どこか、よく似ている。
瓦礫と煙の隙間に、人影が見えた。
「アル!」
駆け寄った先で見たのは、魔獣に追い詰められたアルの姿だった。
近くにいた騎士は、一瞬だけアルに視線を向ける。
だが、すぐに討伐中の別の魔獣へと駆けていった。
――優先されたのは、命じゃない。
駆けつけた時には、そこにはもう、
血だまりの中に沈んだ“何か”があるだけだった。
それがアルだったのだと理解するまでに、
少し時間がかかった。
呆然と、その場に立ち尽くす。
胸の奥で燃えていた騎士への憧れは、
音もなく、砂のように崩れ落ちていった。
焚き火の爆ぜる音で、意識が現在へと戻る。
(今度は、失いたくない……)
ディランは、無意識に拳を握りしめた。




