夕暮れ
勇者パーティは、次の目的地まで数日かかることから、それぞれ役割を分担して動くことになった。
「レイ! 俺と食料調達に行こう!」
「おう」
「じゃあ俺は野営用の物資を見てくるか」
「……では、私は情報収集を」
ユリウスとレイは市場へ、ディランは道具屋へ、ノアはギルドや書庫で町周辺の状況を調べに向かった。
小さな町だが、人々は旅人や冒険者の行き来に慣れており、パーティはすぐに散っていった。
――夕暮れ。
買い出しを終えて宿へ戻ったディランは、窓辺に立つノアの姿を見つけた。
橙に染まる光が彼の横顔を照らしている。だが、その佇まいはどこか影を落としていた。
「……どうした。元気ねぇな」
声をかけると、ノアは振り返らずに答える。
「……なんでもありません」
短い返答。突き放すようでいて、どこか弱さがにじんでいる。
ディランは小さく息を吐き、夕陽に染まる壁に背を預け、穏やかに口元を緩めた。
「そうか……。じゃあ、俺の昔話でも聞いてくれ」
橙の光が差し込む中、彼はゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
かつて魔獣災害――人々が「黒霧の夜」と呼ぶ惨禍で仲間を失ったこと。
その時、王国の騎士たちは魔獣討伐を優先し、救いを求める仲間には手を差し伸べなかったこと。
あの頃は剣士を志していたが、その夜を境に「剣を振るう者ではなく、仲間を守る盾になりたい」と思うようになったこと。
命が炎のようにあっけなく消えるのを見たからこそ、せめて自分にできる限りのことを誓ったこと。
窓の外で沈みゆく光は、彼の声に重なるように陰を深めていく。
「命は簡単に消える。だから俺は仲間を守るために立ってる。……ノア、お前も、大事な仲間のひとりだ」
部屋に静寂が降りた。夕暮れの光が細く差し込む中、ノアはしばし視線を伏せ、やがて低く、それでも揺るがぬ声で答えた。
「……あなたの仲間を守るという行動原理は、価値あるものだと思います」
「……私も、あの日、家族を失いました。多くを守るために……犠牲となったのです」
橙の光が窓から消え、部屋に夜の気配が忍び寄る。
窓の外を見つめたまま、続ける。
「だから……犠牲はゼロにしたい。ですが、白い青年や文献に記される魔王は強大です。今のままでは勝てない。また犠牲者がでるかもしれない。それが……不安で……」
ディランは腕を組み、力強く頷いた。
「不安でいい。だがな、ノア。お前が来てから、俺たちの目の前で死人は出なくなった」
「俺はお前の訓練のおかげで、白いやつの攻撃を防げるようになった」
「レイだって、お前のおかげで魔力制御が上達したって言ってたぞ」
にやりと笑い、言葉を重ねる。
「魔王が強かろうが、これから俺たちが強くなればいい。ノア、お前の助言があるからこのパーティは強くなってる。……これからも頼むぜ!」
ノアはほんのわずかに視線を合わせ、低く答える。
「……はい。……ありがとうございます」
夕暮れの橙に照らされた口元が、ほんの一瞬だけ緩んだ。
その珍しい変化にディランは驚いたが、あえて触れなかった。
「よし、飯にしようぜ!」
ディランは場を切り替えるように笑い、部屋を出ていく。
ノアもわずかに頷き、その背を静かに見送った。
――その夜。
宿は深い眠りに包まれていた。
窓の外は闇に沈み、夕暮れの橙はとうに失われている。
ノアは机に小さなランプを灯し、懐から封書を取り出した。
赤い封蝋には、冷ややかな教会の紋章。
封を切ると、淡い光の文字が宙に浮かび上がる。
――聖剣の進捗を報告せよ。
――背けば、杖は灰に帰す。
ノアの指先がわずかに震えた。だが、表情は変わらない。
杖は亡き家族の形見だった。
封印の施された部屋に閉ざされ、周囲では魔術さえ使えず、兵士の警戒も厚い。
ノアひとりの力で取り戻すことなど、到底かなわない。
「逆らう事はできない……」
――だが、聖剣がなければ魔王には勝てない。
勝てなければ、また仲間が、民が犠牲になる。
犠牲を出さぬためには……教会を裏切るべきだ。
心は答えを知っている。
それでもノアは、決断することができずにいた。
抑え込んだ声が、夜に溶けて消えた。
手紙は炎に包まれるように燃え、灰も残さず消滅する。
窓の外、星々が瞬いていた。
だがノアの瞳には、その光は映らなかった。




