レイ③ 出会い
月日が経ち、気づけば髪は肩を越え、胸元まで伸びていた。
かつては「邪魔」と短く切っていたが、師匠の「魔力制御に効果あり」という言葉に従い、しぶしぶ伸ばすことにした。
そんなある朝のこと――
「セフィリア様! お召し替えのお時間です!」
侍女の甲高い声が部屋中に響いた。いつも通りの朝。けれど今日は少し様子が違った。
「これは何だ?」
差し出されたのはフリルがふんだんにあしらわれた純白のドレス。明らかに特別製で高価な生地で作られている。
「神殿からの贈り物でございます。セフィリア様にふさわしい最高級品とのこと」
「着ない」
即答すると侍女が困惑した表情を浮かべた。
「しかし……本日は教皇猊下との謁見の予定が……」
「謁見だろうが何だろうが関係ない。俺はこんなもの絶対に着ない!」
部屋を出て行こうとすると侍女たちが慌てて駆け寄ってきた。
「どうかお考え直しください! セフィリア様!」
「ちょっ、離せっ」
数人の侍女に抑えられ無理やりドレスを着せられた。
「限界だ……。こんな名前も、こんな格好も、もう……うんざりだ!」
思い切り扉を開けて廊下へ飛び出した。
背後で侍女たちが叫んでいるが無視した。
そのまま庭園を抜け、普段出入り禁止となっている古い納屋の方へ向かった。そこには昔から大きな木があり、枝を伝えば教会の外壁に届くはずだった。
「これで……決まりだな」
木によじ登り、枝から枝へ移動していく。壁際の大枝に到達する頃には全身汗だくになっていた。
「さてと……飛び移るか」
深呼吸して身構えた瞬間だった。
「――っ!」
枝の向こうに、ふいに人影。
黄金の髪が風に揺れ、青い瞳がこちらを見開いた。
とっさに足を止めようとしたが、遅かった。
「え?」
体勢を崩した瞬間、視界が回転し、次の瞬間には青年の上に倒れ込んでいた。
硬い地面に二人して転がる音が辺りに響いた。
「痛ぇ……」
澄んだ空を背に、青年の端正な顔が浮かんでいた。まるで絵画の中から抜け出してきたようだった――が、今はそれどころじゃない。
「わるい!」
起き上がると彼もすぐさま体を起こした。
「いいよ。君は大丈夫?」
「ああ。大丈夫だ」
「セフィリア様! どちらにいらっしゃいますか?」
侍女たちの焦った声が庭に響いた。
「くそっ!」
咄嗟に青年の腕を引っ張り近くの茂みに身を潜めた。
「うわっ!」
青年を無視し、できる限り息を殺した。
「こっちにはいませんでした!」「どこへ行かれたのでしょう……」
侍女たちの足音が遠ざかっていく。完全に気配が消えたことを確認してから安堵の息を吐いた。
「ふぅ……行ったみたいだな」
茂みから這い出しながら青年が問いかける。
「君はなぜ追われていたの?」
当然の問いに一瞬言葉に詰まる。本当のことを言うわけにはいかない。自分がセフィリアだなんて言いたくない。
「いろいろ事情があるんだ」
適当にはぐらかすと青年はそれ以上追求しなかった。
「私はユリ――、ユリスとでも呼んでくれ」
「それで? なんでユリスは教会に来たんだ?」
「……たまたま通りがかっただけさ」
淡々とした答えだったが、言葉の裏に何かを隠している気がした。
「へぇ。でも俺を見つけた時驚いてたじゃねぇか」
指摘するとユリス――おそらく本当の名は違うだろうが――は僅かに眉を上げた。
「ああ。まさか壁を飛び越えようとする少女がいるとは思わなかったからね」
「は?少女?」
その時ドレスを着ていることを思い出した。
「ふふっ」
「?」
「すまない。綺麗なのに木から降ってきたから面白くて」
ユリスは軽く謝った。その口ぶりからは悪意は感じられなかった。
「ところで君の名は?」
今更な質問だと思ったが仕方なく答える。
「レイだ」
その名を聞いた瞬間、ユリスの瞳が微かに揺らいだように見えた。しかしそれはほんの一瞬のことだった。
「レイか……覚えておくよ」
「勝手にしろ」
素っ気なく返すと、ユリスは小さく笑った。
その笑顔は不思議と心が落ち着くような温かみがあった。
「もしまた会うことがあったら……」
続きを待っていたが彼はそこで言葉を切った。
「いや、なんでもない」
そう言い残すと踵を返し立ち去っていった。
その後ろ姿を見送りながら小さく呟いた。
「変な奴」
とはいえ悪い印象ではなかった。むしろ今まで出会った誰よりも真摯に自分の言葉を受け止めてくれた気がする。
「セフィリアじゃなくてレイとして扱ってくれた……」
ユリスには、侍女の声も聞こえていたはずだ。
それでも彼は、『レイ』と呼んだ。
……心のどこかが、温かくなった。
小さく微笑むと気持ちを切り替え再び歩き出した。聖女として生きることへの抵抗感は変わらない。けれど今日少しだけ救われたような気がした。