【番外編】銀髪の町医者
魔王が倒れてから5年後の話です。
「師匠、久しぶり」
町医者ヘルガの前に、突然黒いローブをまとった銀髪の剣士――レイが立っていた。
「! 影から出てくるんじゃない! まったく、年寄りをびっくりさせるんじゃないよ」
「入口から入ったほうが怖いだろ。診察院に死神が来たってな。それより、今日は何の用だ?」
「今日は、回復魔術師として手伝いが欲しいのさ」
「えっ……」
レイは目を見開き、少し後ずさる。困惑が隠せない。
「知ってるだろうけど、今の私はほとんど回復魔法を使えない。光の魔力は生命維持に回してるから、使える魔力はわずかだ」
ヘルガは軽く球体を投げ、レイの手元でぴたりと止まる。
「これを使いな。光属性専用のオーブだ。握れば光魔力だけが増幅される」
レイは手に取るのをためらった。
もう回復魔法を使うつもりはなかったのに――突然「使え」と言われても、心の準備ができていない。
「魔術も使わないと腕が鈍るだろう。アタシが教えた魔術を無駄にするきかい!? さあ行くよ!」
「えっ、ちょっ……」
レイは半ば引きずられるようにして、町医者の手伝いをすることになった。
内心では、「本当に自分が役に立つのか」と不安が渦巻いていた。
*
少し前にさかのぼる。
ギルドホールに鐘の音が轟いた。
壁に貼られた巨大な討伐依頼書が掲示され、ざわめきが広がる。
「森の奥に出現した巨大な魔獣群……数十体以上か」
ギルド長は腕を組み、唸る。本来ならS級冒険者――『漆黒の死神』レイや『勇者』ユリウスを呼ぶべきだが――
「今回は彼ら抜きで行く」
周囲は息を飲んだ。新人からベテランまで困惑と不安が入り混じる。
しかしギルド長の表情は揺らがない。
「若手を育てねば、組織は成長しない。それに……」
受付カウンターを見ると、医療担当者たちが最終調整を行っていた。
特別に招集された町医者チームの中には、見覚えのある老婆の姿がある。
「あの方もいらっしゃるしな」
町医者ヘルガ――セフィリアの光魔法の師であり、表舞台に立つことは滅多にない伝説的人物だ。彼女の同行は、多くの者に安堵と驚きを与えた。
*
翌朝――
「どうして私まで」
ギルドの一室に呼ばれ、師匠と共に立つレイは不満げに呟いた。本来ならばこの大規模作戦には参加しないはずだったのだが……
「アンタも光魔法使えるだろう!」
師匠の一喝には逆らえない。確かに回復魔法は使えるとはいえ今は「使えなくもない」レベルだった。
「私は目立ちたくないんだが……」
「バカかい!アンタぐらいしか適任がいないんだよ!」
レイは問答無用で現場に連れて行かれた。
*
討伐現場到着後――
「おい見ろ! あれが例の回復班だ」
老練な医師団の中に、白いローブの怪しげな人物が一人紛れ込んでいる。
フードを深くかぶり、ビン底眼鏡で顔を隠している。
姿は頼りなさげで、どこか町医者に見えない雰囲気だ。
「大丈夫か……あいつ」
見ていた者が呟き、その医者は杖を持つような動作で手を上げる。
しかし杖は持っておらず、バランスを崩して尻もちをついた。
「……あ、失礼しました」
周囲の医師たちは目を丸くし、「えっ、あれで大丈夫か?」と困惑する。
だが次の瞬間、傷を負った冒険者の足の傷が光を帯びて治っていく。
疑念と驚きが入り混じった視線が集まる。
その頼りなさげな姿からは想像もつかない手際の良さだった。
「次の患者を運べ!」
彼はぎこちなくも器用に担架を持つふりをしながら、患者に光をあてて応急処置を行う。
途中、ビン底眼鏡がずれて顔を覆いなおす姿に、周囲の誰かが思わず吹き出しそうになる。
そのとき、一人の若い冒険者が瀕死の重傷で担架に運ばれてきた。しかもかなり重篤だ。
「まずい……このままじゃ助からない……」
周囲の医師たちが絶望的な顔色を浮かべる中――フードの町医者だけは違った。
「貸して」
短く言うと素早く駆け寄る。
「ここをこうして……こう!」
手際よく応急処置を施し、光魔法をかけると、症状はみるみる改善していった。
「すごい……まるでセフィリア様みたいだ……」
誰かがつぶやく。フードの中の銀髪が光に揺れるたび、負傷者の症状が回復していく。
しかし現場はさらに混乱する――リーダー格の魔獣が前線に迫ったのだ。
「……でるしかないか」
小さくつぶやき、彼はローブの影から剣を抜く。
もっさりした町医者の姿は、鋭い剣士の姿へ変貌した。
威圧を放つと、炎角魔獣が吠え、群れがざわめく。
一瞬で距離を詰め、魔力の刃が空を切る。
魔獣の角を断ち、背後の雑魚も瞬く間に倒された。
戦場が静まる。
「すげぇ、瞬殺だ。あんなことできるのS級クラスだけじゃないのか?」
「たしか、あの医者銀髪だったよな……。いや、まさかな。あんな細くなかったし」
冒険者たちがざわめく中、ギルド長は立ち上がると暖かい光に包まれ傷が癒えるのを感じた。
「回復魔法……」
銀髪と腰の剣を見つめ、ギルド長は小さく呟く。
「……あ、ありがとう……その剣……もしかして……」
フードの町医者は鋭い目つきで睨み、ビン底眼鏡越しに殺気を送る。
「余計なことは言うな」
ギルド長は震えながら頷き、その町医者――レイはヘルガに一言告げて戦場を去った。
*
その夜――
レイはベッドに横たわり、自分の手を見つめる。
「まさか、また回復魔法を使うことになるなんて……」
(この体になってから、もう無理だと思ってた。だからこそ犠牲者が出る前に魔獣を倒そうと躍起になっていたんだ)
「意外と使えるもんだな。死神が光魔法を使うなんて、おかしいけど」
治療した人達の顔を思い浮かべる――。
「まあ、たまには悪くないかもな……」
月明かりが優しく照らす中、レイは薄く微笑みながら眠りについた。
一部誤字修正しました。




