レイ① 甘味
朝靄が街を包む。
昨夜の古龍討伐の疲労がまだ残っていたが、私は迷いなくギルドへ向かっていた。
どんなに倒しても、モンスターはまた現れ、人々の暮らしを脅かし続ける。
漆黒のフードを目深にかぶり、誰にも顔を見せないように注意しながら足を進めた。
「あれ?今日は随分と早いじゃないか」
明るい声に思わず足を止めた。そこには金髪に青い外套をまとった長身の男が立っている。ユリウスだ。かつて勇者、それに王族――なのに、どういうわけかこんな辺境で私と同じ冒険者をしている、変わった男。
「ギルドに用があるのか?」
私が無言でうなずくと、彼は思わぬ提案を投げかけてきた。
「今日は俺たちが必要な依頼はなかったよ。せっかくだから今から一緒にお茶でもどうかな?」
「冗談だろ」即座に拒否した。「それにカフェなんて柄じゃない」
「そんなこと言うなよ。君には糖分が必要だと思うんだ」
そう言って私の腕を掴む。抵抗しようとしたが、予想以上の力に引っ張られてしまう。
(こいつ……!)
周囲から好奇の視線を感じる。
特にギルド職員たちは驚愕の表情でこちらを見つめていた。おそらく「漆黒の死神」が誰かに引きずられていくという異様な光景が信じられないのだろう。
「離せ!」
「ちょっとだけだから。すぐそこだし」
結局押し切られる形でギルドを離れてしまった。この男相手だと妙に調子が狂う。
*
連れ込まれたのは最近話題になっているカフェだった。
店内には花柄のテーブルクロスと甘い香り。女性客ばかりが集まり、私たちは完全に浮いていた。
「なにあの二人……」
「怖い」
「でも片方は素敵よね」と囁く声が聞こえる。
「こんなところに来るなんて信じられない」
小声で抗議すると、ユリウスは苦笑しながら席へ案内した。
店員は目を逸らしながら、そっとメニューを差し出した。私は無言で受け取り、椅子に座る。居心地は最悪だ。
(早く出て行きたい……)
しかしそんな願いは脆くも崩れた。
「ひぃっ」
ちょうど向かい側の席に座っていた若い女性が私を見ると小さく悲鳴をあげる。その瞬間店内全体が静まり返った。
(またやってしまった)
普段なら気にしないはずなのに、この状況ではさすがに気まずい。ユリウスはすかさずフォローに入る。
「ごめんね。この人すごくカッコいいけど怖くはないから大丈夫だよ」
彼の言葉に一瞬呆然とするも、周囲から少しだけ緊張が解けていく様子が伝わってきた。悔しいが助かったのは事実だ。
(なぜここまでしてくれるんだ?)
内心疑問を感じながらも冷静さを取り戻し始める頃、ユリウスがさらなる爆弾を投下した。
「さて、何を注文しようか?」
「帰る」
短く答えて席を立とうとするも——「まぁまぁ落ち着いて」腕をつかまれ再び引き戻されてしまった。そして勝手に店員を呼ぶ。
「季節限定パンケーキと紅茶二つお願いします」
「えっ……」
驚きつつ彼を見る私に対して悠然と微笑むユリウス。
「これ食べたら君もきっと気に入るさ」
彼の自信満々な態度に困惑しながらも内心では否定できない自分がいることに気づいた。その理由を考える時間もなく注文された品々が運ばれてくる。
テーブル上には真っ白なクリームにイチゴやブルーベリーなどがふんだんに乗った存在感のあるパンケーキ。一口食べる前からその美味しさが伝わってくるような見た目だった。
(これがユリウスの狙いなのか)
内心考えつつも甘い誘惑には抗えずそっとフォークを持ち上げた。
その瞬間—「美味しい?」不敵な笑みと共に問われれば何も答えずにはいられなかった。
「…………うまい」
小声で呟くと彼は満足げに笑った。「でしょ?」
――「やっぱり甘いもの好きなんだ…」
ユリウスの何気ないひとことが、
封じ込めたはずの記憶を、容赦なく引きずり出した。
*
「……またお前が一番に食いやがった!」
薄暗い食堂に少年の怒声が響いた。
手には、ひとかじりされた焼き菓子。
「文句あるか? 労働の対価だろ」
私はふてぶてしく言い返して、立ち上がった。
ボサボサの金髪が額にかかる。
ズボンの下に隠している体型。シャツの胸元には詰め物。
あの頃の私は、“男のふり”をしていた。
女だとバカにされるから。弱いと思われるから。
「聖魔法でちょこっと病人治したくらいで偉そうに!」
別のやつが喚く。
「じゃあ、お前らは俺みたいに稼げんのかよ!」
まだ十にも満たなかったけど、私は誰より力があった。
それだけが、私の価値だった。
「レイはすごいよなあ」
「どんな怪我でもすぐ治るし!」
年下の子たちが無邪気にそう言ってくる。
私はつい、胸を張ってしまった。
「当たり前だろ」
聖魔法が使えるのは、この孤児院じゃ私だけだった。
だから密かに治療を引き受けて、報酬をもらって――
そのお金で甘い菓子を買った。
子どもたちのため、なんて言い訳をしながら。
本当は、私自身が欲しかった。
人目を気にしながら、小さな果物ケーキを口に運ぶ瞬間。
あれは、誰にも奪われたくない時間だった。
「お前が菓子好きとか、見えねー!」
不意に誰かが言った。
ムカついた。
「うるせぇ! 俺だって美味いもんは好きなんだよ!」
頬が熱くなった。
でも、否定しきれなくて、余計に恥ずかしかった。
……その日常が私とっては大切な居場所だった。
*
でも――終わりは、突然やってきた。
晩秋の午後。
私は、庭師のばあさんの膝を治していた。
聖魔法が終わったあと、ばあさんが笑ってくれた。その笑顔が好きだった。
「素晴らしい」
背後から、知らない声が聞こえた。
振り返ると、立派な法衣の男が立っていた。
教会の神官長――だったらしい。
「貴女にこそ、聖女の資格があります」
そう言って、私の手を取った。
「貴女」――女だって、バレた?
「どうか、私たちと共に来てください」
私の中で警報が鳴った。
ここを離れる? この孤児院を?
そんなの……嫌だ。
「嫌だ」
声が震えていた。情けないくらいに。
「ここにいたい」
でも、通じなかった。
神官長の背後にいた騎士たちが、言葉以上の圧を放っていた。
視線に背中が冷たくなる。
言葉にできない不安が、喉に絡みついて離れなかった。
「これは決定なのです」
その一言がすべてを終わらせた。
その夜、私は泣いた。
誰にも気づかれないように、布団の中で。
隠すように、最後の甘い菓子を口に入れて――
あの優しい味が、妙にしょっぱく感じた。
それが、孤児院での最後の夜だった。
レイ①~⑧の各話のタイトルを変更しました




