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レイ⑳ 次の聖女



教会の中庭。

白い石畳に沿って花壇が並び、色鮮やかな花々が昼下がりの陽を浴びて揺れている。

その中央に、小柄な少女が立っていた。


淡いピンクを帯びたブラウンの髪は、光を受けて金糸のように輝き、肩口でふんわり揺れる。

大きな緑の瞳がこちらをとらえ、はにかむように笑った。


「……はじめまして。聖女候補のミリアです」


澄んだ声が耳に柔らかく届く。


背後の神官が言葉を継いだ。

「セフィリア様の後任候補として、王宮と教会が推薦した逸材です」


――逸材、ね。

笑みを崩さぬまま、わずかに瞼を伏せる。


俺が魔王討伐で王都を離れれば、この町には回復魔法も結界魔法も使える聖女がいなくなる。

その穴を埋めるために用意されたのが、この少女だ。


(……じゃあ、最初から彼女を聖女にしておけばよかったんじゃないのか)


胸の奥で、ゆっくりと澱が沈んでいく。


ミリアは裾をつまみ、小さく礼をした。

その仕草は洗練されていて、見ている者の心を自然と和らげる。

近くの修道女たちが「まあ、可愛らしい…」と囁き、ユリウスの表情もわずかにほころぶ。

俺はそれを見逃さなかった。


(……ああ、これが“本物の聖女”ってやつか)


「あなたがユリウス様ですね?」


ミリアが一歩踏み出し、緑の瞳で見上げる。


「ああ、そうだ。初めまして、ミリア。これからよろしく頼む」


ユリウスは軽く腰を落とし、目線を合わせて穏やかに笑った。


「はいっ! わたし、頑張ります!」


その声は、まるで花が咲く瞬間のように場を明るく染めた。


(……似合ってるな)


そう思った自分に、わずかな戸惑いが走る。


「セフィリア様、これからご指導をお願いします!」


振り返ったミリアの真っ直ぐな眼差しを受け止め、


「ええ、もちろん」


と聖女の仮面を崩さず微笑む。


(俺みたいな偽物とは違う。この子なら周囲からすぐに受け入れられるだろう)


彼女がいれば、セフィリアはもう必要ない――。



*



王都・教会の訓練場。

午後の陽が傾きかけた頃、俺とミリアは結界魔法の訓練をしていた。


「魔力をもう少し均一に……そう、そこで止めて」


穏やかに声をかけ、ミリアの手を支える。


「……できました!」


淡い髪が陽に透け、緑の瞳が喜びで輝く。

張られた防御結界は揺らぎもなく、淡く輝いていた。


「持続時間、もう一刻は持ちそうだな」


いつの間にか見学していたユリウスが結界を眺め、満足げに頷く。


「この調子だと、セフィリアより長く張っていられるかも」


「えっ、そんな……」ミリアは頬を染め、照れ笑いを浮かべた。


(……俺より長く?)胸の奥がざらつく。


その時、王宮魔術師団の視察員らしき男が歩み寄った。

藍色の髪に整った顔立ち、感情を削ぎ落とした鋭い眼差し。


「あなたは魔力量が多い。しかし制御が粗い。そのせいで消費が嵩み、持続力が落ちている」


一切視線を逸らさず、冷静に告げる。


「白い青年との戦闘後に倒れたのも、それが原因です。魔力切れ。制御ができていれば、あの状況で倒れることはなかった」


奥歯を噛む。


「改善は可能です。魔力の流れを精密に管理する訓練をすれば、持続時間は飛躍的に延びます」


ただ事実と処方箋だけを置いていく声。


「あの……あなたは?」


「ノア。王宮魔術師です。本日は訓練視察で来ています」


「……悔しいですが、的確なご指摘です。人々を守るためにも修練を積みます」


「ええ、そうしてください」


ノアはそれだけ告げると、迷いなく背を向けて歩き去った。



*



夜。

静まり返った教会の中庭に、月光が銀の筋を描く。

俺はひとり立ち、掌に魔力を集めた。


(制御が粗い……消費が多い……)


ノアの声が頭から離れない。

呼吸を整え、魔力を細く、均一に――

だが一瞬の意識の揺らぎで光が脈動し、指先で弾けた。


「……クソ」


拳を握り直し、再び結界を張る。

解除、再構築、また解除――。

繰り返すほどに腕は鉛のように重く、ふくらはぎがじわじわ悲鳴を上げる。

それでも月が高く昇るまで、足を止めなかった。


(聖女として必要とされないなら……せめて魔術で、人の役に立つ存在でいたい)


そう強く思えば思うほど、焦りが膨らんでいった。



*



教会の簡素な寝室で目を覚ますと、全身に鈍い痛みが広がっていた。

特に脚と肩がひどい。


(……筋肉痛なんて、久しぶりだ)


回復魔法をかけかけて、手を止める。

昨夜の負荷は成長のための証。治してしまえば意味がない。


「……このままでいい」


痛みを抱えたまま服を整え、フード付きの外套を羽織った。



*



ギルドの扉を押し開けると、

朝の光と人々のざわめきが一気に押し寄せた。

依頼書の並ぶカウンター、笑い声を交わす冒険者たち。

奥の席でユリウスとディランが手を振る。


「あれ、今日はずいぶん慎重な歩き方だな」


「……別に」


「まさか結界張りっぱなしで朝まで?」


図星を刺され、息が詰まる。

ディランが笑いながら肘でユリウスを小突いた。


「筋肉痛の聖女なんざ初めて聞いたぜ」


「今日は荷物持ち担当か? まあ、軽い依頼だし大丈夫だろ」


「依頼って……?」


ユリウスが机の依頼書を指先で示す。


「三人で試しに受けてみないか? 軽い魔獣討伐だ。連携の確認にもなる」


俺はフードを深くかぶり、黙って腰を下ろした。


「……分かりました。さっさと片付けましょう」


ユリウスとディランが軽口を交わして笑い合う。

その光景を、俺はただ黙って見ていた。


「どうしたの? 今日は元気ないね」


ユリウスが覗き込む。軽い調子の声が、妙に耳に重く残った。


「修練で疲れているだけです。気にしないでください」


顔を逸らし、短く答える。

これ以上踏み込まれたくない――そう思ったのに。


「……もしかして、ミリアのこと?」

悪戯めいた笑みと軽い調子。心の奥で何かがざわめいた。


「ミリアって誰だ?」


「セフィリアの後任の聖女候補。性格も聖女らしいし、優秀で――しかも可愛い」


その一言が鈍く響く。


(……優秀で可愛い、本物の聖女。俺とは正反対だ)


「きっとすぐに町の人たちに慕われるだろうな」


楽しげな声。それがなぜか「お前の代わりはもういる」と言われたように聞こえた。


ディランが苦笑混じりに言う。


「ああ、いい子なのね。なるほど。でも……あんまり期待しすぎるのも良くないんじゃないか?」


ちらりと俺を見ながら、わざと軽く。


「自分がまだいるのに、後釜がいて、しかも優秀で可愛いなんて言われたら……誰だって複雑だろ」


(複雑……そんな穏やかなものじゃない)


これは、居場所を失う恐怖だ。

聖女として必要とされないなら、せめて魔術師として役に立たなければ。

そうでなければ、孤児だった自分の存在なんて誰も認めない気がする。


なのに今、その足場が静かに、確実に、あの子に侵食されていく。

土台がきしむ音が、耳の奥で鳴っているようだった。


「あー、でも君って元々聖女って柄じゃないだろ。何かの間違いだったんだよ」


ユリウスは笑いながら続ける。


「優秀なミリアがいれば、セフィリアはもういいんじゃない?」


――心臓の奥に、冷たい針が突き立つ。

冗談だと頭では分かるのに、鼓膜の奥でその言葉だけが何度も反響した。


(間違い……? 俺が聖女でいたことが? 本物が現れたら用済み……?)


呼吸が浅くなる。視界の端がじわじわと狭まっていく。

周囲の笑い声や食器の音まで、遠く霞んでいった。


「まあ、気にしないでよ」


軽く笑いながら、ユリウスの手が肩に置かれる。

何気ないその重みが、最後の一滴をこぼした。


――ぷつり


無意識に指先に力がこもり、反射的に、その手を力いっぱい弾き飛ばす。

乾いた音がギルドのざわめきを裂き、一瞬にして空気が止まった。


「……触んな」


低く押し殺した声。

フードの影で、視線は床から上がらない。


近くの冒険者たちが視線を寄越す。

「今、何があった?」と囁く声が背後から刺さるように届く。

ディランは固まったまま、呟いた。


「……大丈夫か、このパーティー」


俺は答えず、机の木目を見つめ続けた。

拳の中で、怒りと焦りとどうしようもない悔しさが渦巻いていた。




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