【番外編】孤児院訪問
町に魔獣が現れる少し前――
「明日は九時からサン・アルモニア孤児院へ慰問、そのあと十七時から夕祈祷です」
エリスが淡々とスケジュールを告げる。
「……え? どこって?」
「サン・アルモニア孤児院です」
「は?」
「レイ様どうされましたか?」
(その孤児院は俺が育った場所だ……)
「やだ。行かない」
「えっ?!そんなっ、なぜっ?!予定が大幅に崩れてしまいます!そうなったら私どうすれば……」
エリスが半泣きで狼狽える。その様子を見ていると罪悪感を感じる。だがその孤児院だけは行きたくない。
「そこは俺がいた孤児院だ。男だと思われてた俺が、今さらセフィリアで行ったら……女装してるみたいでおかしいだろ」
「そんな理由で?!」
「……」
「お願いします!行ってください!八時間も予定が変わってしまったら、私……私……死んでしまいます!」
「なんで!?」
次の瞬間、エリスが胸ぐらにしがみついてきた。
「私、スケジュールが狂ったら……寿命が縮みます!いや今もう縮んでます!」
「えぇ……」
「うっ、ぐぇっ……終わる、私の秩序で保たれた世界が……」
「えっ、エリス、泣きやめ、なっ?」
服を引っ張られ、揺さぶられ、膝から崩れ落ちられ……
完全に『断れない空気』ができあがった。
(あー……)
そして俺は慰問に行くことになった。
*
(あぁ……なぜ俺は今、フリフリのスカートを履いているんだ)
教会の廊下を歩きながら金髪が揺れる。これから向かうのは、かつて少年レイとして走り回っていた孤児院――。
……不安を胸に馬車に乗る。
(あの日もこんな天気だった……)
かつての俺は「レイ兄ちゃん」と呼ばれ、年下に慕われ――時々、ジョンに突っかかられ――。
(アイツが残ってたら終わりだ。バレたら一生ネタにされる)
「到着しました」
御者の声に現実へ引き戻される。目の前には懐かしすぎる木造の建物。
(うわ、変わってない)
*
「ようこそいらっしゃいました、セフィリア様」
出迎えたのは世話になったシスター。目で「おかえり」と言っていた。思わず涙腺が緩みそうになる。
すぐに気づいて取り繕う。今は聖女セフィリアを演じなければならない。
孤児院の外からは子どもたちの賑やかな声が聞こえてくる。
「さあ皆さん!聖女様ですよ!」
シスターの掛け声とともに扉が開かれた
――そこには懐かしい顔ぶれが勢ぞろいしていた。
「こんにちは」
一番前に立っていたのは10歳くらいの少女――リサだった。
くりくりした瞳が不思議そうに見開かれている。
「聖女さまキレイ!でも、なんか声がレイ兄ちゃんに似てるね!」
シスターが即座に口を塞ぐが、リサはするっと逃げた。
「そうなの?」
(やべっ、声の高さ保て)
必死に笑顔を保つ俺。
「うーん……でもレイ兄ちゃんならもっとガラ悪かったな」
(刺すな、その言葉は刺さる)
そして――目に飛び込んできたのは、見たくなかった男。
ジョン。背が伸び、顔は鋭さを増している。
(なんでお前まだいるんだ……!?)
視線がゆっくりとこちらに向けられた瞬間――鼓動が跳ね上がった。
「……?」
ジョンは首を傾げている。
「見覚えある顔だな」
(やばい、背中が冷える)
「初めまして、セフィリアです」
渾身の“初対面ふり”を発動。
「……ふぅん」
ジョンの眼差しには探るような色が宿っている。視線が上下に一度だけ往復し、わざと間を置いてから逸らされた。
(探ってるな……でもなんか目が優しい? いやいや罠か)
そのとき厨房の方からシスターが呼ぶ声がした。
「皆さん、セフィリア様と一緒に昼食ですよ!」
ほっと胸を撫でおろす。これ以上ジョンと一対一で向き合うのは危険すぎる。
*
昼食のため食堂へ向かう途中――ジョンが自然な顔で隣に並ぶ。
(なんで横に来るんだよ……!)
内心文句を垂れるが、表向きは微笑み続けるしかない。
テーブルについてもジョンは離れないどころか斜め向かいに座ってじっと観察してくる。
「聖女様ってさ……本当に綺麗な金髪してるよな」
(ど、どういう意味だ?)
「ありがとうございます?」
ジョンが口の端を吊り上げる。
「まるで、あのレイみたいだな」
(やめろ、その名前は地雷だ)
「パンの食べ方もそっくりだし」
(パンの食べ方って何!?)
「昔な、聖女様みたいに回復魔法を使える“レイ”ってやつがいたんだ」
(聞かない! 聞きたくない!)
「……でもな、自愛の心はなくて、食い意地だけ張ったクソガキだった」
(クソガキって、お前も同い年だろ!)
「特に甘いもんに対する執着はヤバかったぜ。菓子なんか真っ先に食って、一口もくれなかったからな」
(何言ってんだ!? お前らの分も買ってきただろ!)
言い返せず、笑顔を貼り付ける俺。
……眉は完全に引きつっていた。
「あっ、聖女様。この菓子どうぞ。チビどもが好きなやつだが、今日は聖女様のために用意したんだ」
(こいつ……わざとだな)
「いえ、私はもうお腹いっぱいですから、皆さまでどうぞ」
額に青筋を浮かべながらもそう言った。
(俺の菓子がぁぁ!)
ジョンは、俺の顔を見ながら勝ち誇った笑みを深めていた。
*
食堂での地獄のような時間が終わり、なんとか午後のプログラムに移行しようとしていた。子どもたちと一緒に遊ぼうという時間だ。
「それでは皆さん!今日は特別に鬼ごっこをしましょう!」
シスターの宣言に子どもたちが歓声を上げる。俺としてもありがたい――鬼ごっこなら隠れたり逃げたりで誤魔化せるかもしれない。
「わーい!」
無邪気な声をあげるリサの横でジョンがニヤニヤしている。
(なんか企んでるな……)
……と思ったら、鬼役がジョン。しかも目が獲物を狙う肉食獣。
「待てよ、聖女様ァ!」
「こ、来ないでください!」
(なんでお前も参加してんだよ!くそ、裾が邪魔!)
曲がり角で袖をつかまれた。顔が近い。
「逃げ足は変わらないな」
(やめろ、その言い方は危険だ)
そのとき――
「トムが木から降りられなくなったー!」
遠くから声。見ると枝の上で4歳くらいの子どもが固まっている。
「今行く!」
子どもの手が滑り木から落ちる。
反射で駆け出し、飛び上がってキャッチ――昔のままの癖。
「大丈夫か?」
「うん。ありがとう」
「……あの時の、あの飛び方……やっぱりお前――」
「わああ!この子の服が泥だらけー!」
俺は強制話題転換で即退避した。
*
孤児院訪問も終盤を迎え、ついに帰る時間となった。
「また来てねー!」
子どもたちは名残惜しそうに手を振って見送る。ジョンは何も言わず、ただ目で追ってくる。
(頼む、黙っててくれ……)
その時、リサが突然叫んだ。
「あ!そうだ忘れてた!レイ兄ちゃんのことなんだけど……」
「えっ?」
驚愕する俺。ジョンも目を見開いている。
リサが続けた。「昔いつも飛び越えてた塀があったよね?」
「ああ……あったな」
ジョンが相槌を打つ。子どもたちの注目を集めていることを確認し、リサは満面の笑みで言い放った。
「今日も同じ飛び方してたね!聖女様!」
(終わった)
絶望的な沈黙が漂う中――俺は何とか笑顔を作り出した。
「へぇ……そうなんだ」
そして素早く馬車に乗り込む。一刻も早くこの場から離れなくてはならない。
閉まる扉越しにジョンの鋭い視線を感じた。
「やっぱお前……レイだろ」
ジョンの声が耳に残った。
(バレた……いや、まだ……セーフか?)
……と思ったら、シスターが追いかけてくる。
「お忘れ物です!」
手渡されたのは小さな木箱だった。
「これは……?」
「皆さんが描いた絵です。大事に持って帰ってくださいね」
丁寧に包装されたそれを開けると――金髪の女性がポーズを決めている絵が描かれていた。
裏には大きく『レイ兄ちゃんへ リサより』。
(リサ……)
こみ上げるものをこらえながら、再び封筒に戻した。
*
レイが去った後。
孤児院の物置で、ジョンは古い日記を開く。
ページをめくる手が止まり、口元が緩む。
「……変わっても、好きなもんは変わらねぇな」
淡い笑みのまま、馬車が消えた道を見つめていた。




