ユリウスの暴走
あのとき、レイは何も言わなかった。
ただ「見ておきたかっただけだ」ってそう呟いて、ほんの一瞬だけ迷い、別の通りを選んだ。それだけのこと。
――のはずなのに。
あの横顔が、なぜかずっと引っかかっている。
「お、ユリウス。焼き栗屋、まだ開いてるぞ」
人混みの向こうを指差して、レイがぱっと目を輝かせた。
仮面を脱いだ聖女は、まるで子どもみたいに自由で。
その無防備さが、どうしようもなく愛おしくて、俺は思わず笑みをこぼす。
「買ってこようか?」
「いや、俺が行く。……ていうか、俺が食いたいんだけど」
「正直でよろしい」
はは、と笑い合った、そのとき。
一瞬だけ。
レイの笑顔が、ほんのわずかに陰った。
ごくごく小さな違和感。
たぶん誰も気づかない。けれど、俺の目はそれを見逃さなかった。
(……やっぱ、何か抱えてる)
レイは多くを語らない。
でもその沈黙の中に、確かな“意志”がある。
誰にも言えない何かを抱えて、涼しい顔で日常を守っている――
……俺、そういう人に弱いんだよな。
買ってきた焼き栗を手に取ったレイは、「あっつ……!」と指を振って笑った。
どうやら手袋を忘れていたらしい。
「ユリウス」
「ん?」
「……ありがとな」
「え、何が?」
「なんとなく……お前といると、変な未来も遠のく気がするんだよ」
心臓が、どくんと跳ねた。
何気ない一言。
けどそれは、まっすぐ胸に突き刺さる言葉だった。
(え……今のって、告白か……!?)
脳内が一瞬でフル回転する。
いや落ち着け、ユリウス。まだ断定するのは早い。
……でも最近やたら優しいし、距離も近いし、もしかして――
「なあレイ。その『遠のく』って……つまり俺のこと好きってこと?」
ごくり、と喉が鳴った。
自分で言っておきながら、心臓が爆発しそうだ。
しかし――返ってきたのは、あっけないほど普通の声。
「いや、ただ落ち着くってだけだろ」
「…………は?」
ぺしゃん、と何かが音を立ててしぼんだ気がした。
でも、もう期待は止まらない。
一度火がついたら、どうにもならないんだ。
「でもさ、もしかして、ほんのちょっとでも俺に――」
「ない! ないないない! ねぇから!!」
レイが勢いよく手を振る。
……それでも俺は諦めず、肩をぐいっとつかんで詰め寄った。
「本当に? なんか隠してない? 実はけっこう――」
「ないって言ってんだろ、バカ!!」
ばしっ、と肩を払われる。
通行人がこちらをチラ見するけど、もはやどうでもいい。
やがて、日が傾く頃には俺もようやく冷静になっていた。
レイはベンチにぐったり座り込み、見るからに疲れ切った顔をしている。
「……悪かった。ちょっと勘違いしてた」
「まったく……どこまで単純なんだよ、お前は」
そのときだった。
レイが、ぽつりとつぶやいた。
「……でもさ。仮に本当にそうだったら……お前、どうするつもりだったんだ?」
「……え?」
言葉が、不意に胸に引っかかる。
もし、レイが本当に俺のことを――
(……たぶん俺、すごく嬉しい)
気づけば、さっきよりもずっと真剣に、レイの横顔を見つめていた。