レイ⑪ 変な夢
夜の静けさが、やけに重たく感じる日だった。
儀式を終えて、ようやくひと息つけるはずの時間。
ローブの襟元を緩め、礼拝堂の奥でひっそりと呼吸を整える。
「……やれやれ、今日も仮面がよく似合ってたな、セフィリアさん」
ぽつりと呟いた声は、自分でも驚くほど疲れていた。
やっと"聖女セフィリア"から“レイ”に戻れる時間になった。
「……今日は、眠れるといいな」
最近、何度も――
やけにリアルな夢を見る。
*
空が、赤い。
燃えるように、血のように、空全体が焼け落ちていく。
城壁が崩れる音。教会が爆ぜる音。
人の悲鳴。誰かの泣き声。
全部が、遠くで、でもはっきりと聞こえる。
「ここは……どこだ?」
そう呟いた俺の頭上を、何かが――飛んだ。
轟音が耳をつんざく。
空を覆うほど巨大な、黒い翼。
翼は影のような漆黒で、羽毛一つひとつが鋭利な刃のように煌めいていた。
それはまるで夜を引き裂いて飛ぶ、災厄そのものだった。
息が止まる。鼓動だけが耳を打つ。
「なんだ……あれ……」
言葉が出ない。
ただ、喉の奥が焼けるような息苦しさだけが残る。
逃げる人々の中に、見覚えのある背中があった。
教会の子どもたち。療養院の人々。エリス。
「待てっ……!」
走ろうとした、でも足が動かない。
視界の隅に、何かが見えた。
――白いローブ。血まみれの。
「……っ、誰だ、お前……」
崩れた祭壇の前に立っていたのは、“俺”だった。
いや、あれは……セフィリアの顔をした、“もう一人の俺”。
片翼だけを引きずって、笑っていた。
その笑顔は――どこか、狂っていた。
黒い翼が、上空から振り下ろされる。
世界が闇に沈む。
*
「――ッ!」
「っは……っ……!」
跳ね起きた俺は、冷や汗で寝間着を濡らし、胸を抑えて荒く呼吸していた。
口の中がカラカラだ。
全身が、焼け焦げた空気の残滓に包まれている気がした。
「はぁ、またか……寝れねぇ……」
ただの“悪い夢”で済ませていい感覚じゃなかった。
「黒い……翼……」
呟いた瞬間、全身の毛が逆立つ。
焼けた王都。崩れた塔。笑っていた“もう一人の俺”。
目に焼きついた黒い翼の姿が頭から離れない。
――美しく禍々しい。
ベッドの上、俺は身を起こすと、壁の聖印を見上げた。
金の枠に囲まれた、完璧な象徴。
それが、予知夢だと気づくのは――もう少し先のことだった。