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エリス


朝の鐘が三度鳴る。

それはこの国において、「聖女セフィリア」が目覚める時刻。


私は寝台から起き上がると、まず鏡の前で自分の髪を確認した。

分け目の角度、整った髪筋。よし、問題なし。


時計を見る。予定通り。完璧。


私はすぐにローブを羽織り、手帳を片手に、東棟――聖女専用居館へと向かう。

白亜の回廊には、すでに清掃係の修道士たちが静かにモップをかけている。

神に仕える者は、朝のうちから場所を整えるのが務めなのだ。


居館の扉に到着。

ノックの前に、一拍。深呼吸。整える。


「……おはようございます、レイ様」


返事はない。だが、想定内。レイ様は朝、声を出すまでに数分の沈黙が必要なのだ。


私はノブを回し、そっと部屋に入る。

ふわりと、白いカーテンが揺れる。

朝の陽光に照らされて、レイ様は窓辺に立っていた。


ふわりと広がる、薄手の寝間着のシルエット。

裾まで真っ白で、縁だけに刺繍の銀糸がきらりと光っている。

教会から支給されている、聖女専用のナイトウェア。


その背中は、今日もきれいだった。神に仕える者としてふさわしい、静かな気配。


「……今日の予定を、お伝えいたします」


手帳を開きながら、私は今日のスケジュールを読み上げる。


「午前八時より療養院にて治癒活動。正午に教会本館に戻り昼食、午後は西区の貧民施し活動、十七時より礼拝堂での夕祈祷です」


完璧な時間配分。歩数も計算済み。


レイ様は振り向くと、ぼんやりしたまま「んー……了解」と小さく頷いた。


「では、着替えをご用意します」


私がクローゼットから取り出したのは、今日の儀式衣装。

純白のローブ。金糸で織られた袖と裾。

胸元には、この世に一つしかない“聖印”の刺繍が施されている。

そして、銀糸で丁寧に縫い取られた花々の模様が、神聖な気配を添える。


まさに――聖女そのもの。


私は手慣れた動作でレイ様の肩にそのローブを掛ける。


「今日も、お似合いです」


そう告げると、レイ様はちょっとだけ照れたように笑ってくれた。

……その笑顔は、私だけのものだと勝手に思っている。



*



朝の回廊を歩くと、修道士たちや巡礼の客が、次々に膝を折り、頭を下げる。


「セフィリア様……ありがたき光を」

「今日もお美しい……!」

「我らの守り手、我らの癒やし手――」


皆が、彼女を見て祈る。彼女に憧れる。

その姿は、まさに「聖女」と呼ぶにふさわしい。


でも――


「なぁ、エリス」


「はい?」


「今日の朝ごはん、バナナだけでいい?」


「……バナナ、ですか?」


「うん、なんか固いパンって今日の気分じゃないんだよな」


私は一瞬、言葉を失った。


「し、しかし、予定では“焼き野菜のポタージュと硬焼きパン”と……っ」


「でもバナナって楽だし。食物繊維も多いし。たぶん問題ないだろ?」


にこ、と笑うその顔に、私はぎゅっと手帳を握る。


「で、ですが……! 予定が、崩れてしまいますっ!」


「えっ、予定ってそこまで大事?」


「大事ですっ!! すべては順序と整合性が――っ」


「え、じゃあ……ポタージュにバナナつければいい?」


「そ、それは味覚的に終わってます!!」



*



結局、レイ様はバナナを持って療養院へ向かう。

私は手帳のページに震える手で赤字を入れる。


「※本日朝食:バナナ一本……(強く推奨せず)。要再考。」


こんな些細な崩れでも、私の中では大きなズレ。



*



昼には、貧民街へ。


予定通り配給を開始……のはずが。


「セフィリア様!? おにぎりを!? ご自分で!? 包丁もまな板もなく!? あああっ!」


「だって手で握れるよ? みんな笑ってくれるし」


(予定が……衛生管理が……あ、包丁代わりに光の槍!?)


もう突っ込むところが多すぎて目が回る。



*



夜、部屋に戻って。


「今日もいろいろ崩しちゃってごめん」


そう言ってくれるレイ様に、私はふるふると首を振った。


「レイ様が無事で、皆が喜んでくださるなら……予定がズレても、たぶん……大丈夫です……」


「ふふ、ありがとう、エリス」


「……でも、明日はできれば、予定通りに……バナナは非常食で……」


「分かった、努力するよ」


その優しい声に、私はふわりと安心する。


――明日は、予定通りに、できるといいな。

でももし崩れても、またレイ様と一緒に帳尻を合わせて歩いていこう。


そんな、穏やかで、少しだけ賑やかな、聖女と侍女の一日がまた、静かに終わっていく。



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