レイ⑩ 料理
川の水面がきらめく穏やかな時間が流れていた。
ふと、茂みの向こうから小さな泣き声が聞こえる。
「おい、ユリウス……」
声の方向を見ると、10歳くらいの男の子が藪から出てきて震えていた。その背後で何かが動く。
「来るぞ!」
ユリウスの警告と同時に黒い影が飛び出す。
フェング――黒い毛並みに赤い眼。瘴気を纏う二頭の狼型モンスターが、地を蹴りながら低く唸った。空気が張りつめる。
ユリウスは剣を抜くと躊躇なく前方へ。
彼の動きはしなやかで隙がない。瞬時に飛び込んだフェングの一撃を受け流し、逆に剣で胴を薙ぐ。敵は悲鳴をあげて倒れるが、もう一頭は獲物目掛けて一直線——
「《回復結界》!」
地面に魔法陣が浮かび上がると、光のドームが少年を包んだ。柔らかな聖なる膜が、一瞬でその身を守る。
「連携、いいな」
「……まあ、悪くないな!」
そんな状況じゃないが俺は自然と口角が上がった。
少年に近づけないフェングはユリウスへと噛みつく——が、それを躱したユリウスが一閃。
フェングは悲鳴のような唸り声を最後に、どさりと倒れ伏した。
ユリウスは息を整える間もなく駆け寄り、震える少年の腕をそっと取る。
「怪我はないか?」
少年は怯えたまま涙目でうなずく。
「よかった……」
その時、後ろからもう一頭のフェングが現れ、襲い掛かる。
「《光槍》」
鈍い衝撃音と共に、光の槍がフェングの背を貫いた。
光の残滓の中でフェングが呻き声を上げ、崩れる。
「すまない、油断した」
「いや、大丈夫だ。子供は無事か?」
「ああ。怪我はないみたいだ」
ユリウスの安堵した笑顔を見て、小さく息を吐く。
心臓の鼓動が収まった頃合いを見計らって声をかける。
「お前大丈夫か? 名前は?」
少年はおそるおそる答える。
「……ジョン」
「ジョンか。家族はいるんだろう? 一緒に家まで送ってやる」
「本当に……?」
「もちろん」
レイの返事にジョンは少しだけ笑顔を取り戻す。
「ユリウス!」
「なんだ?」
「この子を街まで届ける」
「そうだな。俺もついて行くよ」
ユリウスは自然な流れでレイの隣に並ぶ。
「行くぞ」
三人は揃って川辺を後にした。
*
ジョン少年を母親のもとに送り届けた帰り道。
夕暮れの町外れに、川辺で倒したフェングの死骸が二体放置されていた。
「さて……これをどうするか」
俺は顎に手を当てて考える。町のギルドに報告すれば素材として引き取ってくれるが、この量となると手数料がかかりそうだ。
「なあレイ」
「ん?」
「……フェングの味って興味ない?」
「はぁ? お前正気か?」
何言ってるんだこいつは――と反射的に睨み返した俺に、
ユリウスはいたって真面目な顔で、うんうんと頷いていた。
「だって美味しいって噂なんだ。特に若い個体は脂が乗ってるらしい」
ユリウスはニヤリと笑う。その好奇心旺盛な目は完全に本気だ。
(まったく……なんてやつだ)
呆れつつも内心では確かに気になっていた。未知の食材に対する探究心が湧き上がる。
「……まあ試す価値はあるか」
「決まりだな!」
二人はさっそく川辺に戻り、解体作業を始めた。
《透視》でフェングの内臓、骨、肉の位置を視る。
そして手際よく肉を捌きだす。
「すごいな……」
「患者を診るときに使う《透視》で肉や内臓の位置が分かるんだ」
俺が肉の処理をする間に、ユリウスがどこからか調理器具を用意していた。
「レイ!鍋料理だ!」
「は?」
ユリウスが突然思いついたように骨を集め始める。
「……そういえばフェングの骨って出汁取れるんじゃないか?」
その姿はまさに実験大好きな学生さながらだ。
「おいおい勝手に決めるなよ」
「いや絶対美味いって!ほら、こうやって煮込むといいダシが出るはずだ」
ユリウスが鍋に水と骨を入れて煮込み始めると確かに濃厚な香りが立ち上る。
しかしあまりに強く煮すぎて灰汁が大量に出始める。
「これ全部取らないとマズいかも……」
「なんでこんなことになってんだ!」
慌てて灰汁取りを手伝う羽目に。王子様の天然っぷりに完全に振り回される形だ。
一通り下ごしらえを終えた鍋に肉片を投入する段階になって、俺はある問題点を指摘した。
「これ……肉が硬すぎるんじゃないか?」
「大丈夫だって!きっとじっくり煮込めば柔らかくなるから」
楽観的なユリウスに対して半信半疑だったが案の定30分後。
「全然柔らかくならないな」
「うーん……やっぱ硬いなぁ」
二人揃って鍋の中身を覗き込むが結果は散々だった。そこでユリウスが閃く。
「あ、そうだ!酢で煮ると肉が柔らかくなるって……何かで見た!」
「うまくいっても酸っぱい狼肉だぞ……誰得だよ」
呆れ果てた突っ込みに反論せず、ユリウスはそのまま酢を投入。
数分後取り出した肉片は変色していてとても食欲をそそるものではなかった。
「ダメだったか」
「当たり前だ!もうちょっと普通に作れ!」
ケラケラ笑いながら反省しない王子にため息をつく。
でも、なんだかんだで付き合ってしまう自分に苦笑する。
最終的に二人で試行錯誤した結果、バター、薄力粉、牛乳、野菜などを加え弱火で長時間煮込んでみるとようやく程よい軟らかさと甘みが出てきた。
「見てみろレイ!これ最高だぞ!」
ユリウスが得意満面で掲げた木椀にはクリームスープと共に丁寧にほぐされた肉片が盛られている。
「……これは意外といけるな」
口に入れた瞬間、滋味深い旨味が広がる。骨から溶け出した栄養豊富な成分を感じさせる濃厚な味わいだった。
喜ぶユリウスを見て自然と笑みがこぼれる。
最初こそ文句たらたらだったものの完成したものは紛れもなく絶品だった。
「こういうのも悪くないな」
「だろ? 俺は料理の才能があるのかもしれない」
「……せめて火加減くらい覚えてから言え」
ふっと笑いながら、湯気の立つ椀にもう一口、スプーンを運ぶ。
こうして二人して食卓(という名の石板)を囲みながら賑やかな晩餐を楽しむこととなった……
一部誤字修正しました。