レイ⑦ セフィリアの仮面
時は流れ、俺は十五になった。
微笑み、声色、立ち居振る舞い――いまの俺は、教会が求める「理想の聖女」をほぼ完璧に演じきっている。
夕陽が差し込む礼拝堂。
ステンドグラス越しの陽光が、床に七色の光模様を落とす。
俺は祭壇の前で膝をつき、静かに祈りを捧げる――ふりをしていた。
「セフィリア様!」
振り返ると見覚えのある顔があった。
先月、家督を継いだばかりの某伯爵家の嫡男――名前はたしか、ジョシュア。
端正な顔立ち。でも自信過剰な空気が鼻につき、思わず眉をひそめた。
「ジョシュア様。お久しぶりです」
表情筋に命じて、完璧な微笑を浮かべる。
昨日の礼儀作法講座で“もっとも印象が良い”とされた角度を忠実に再現した笑顔だった。
「やっぱり、僕のこと覚えていてくださったんですね! 嬉しいなぁ」
「えぇもちろん。先日の治癒でお世話になりましたから」
適当にそれらしい嘘を返す。
(やっぱりってなんだ。うろ覚えなんだが)
「それで……今日はどんなご用件でしょうか?」
丁寧な口調を保ったまま問うと、ジョシュアは胸を張って言った。
「いやぁ、せっかく来たんですし、二人きりでお茶でもどうかと思いまして」
(……何を勘違いしてる、こいつ)
一瞬、口角がひくつく
「申し訳ございません。今日は他の方の治療がございますので」
丁寧に辞退するも青年は諦めない。
「そんな堅いこと言わずに。僕たち、特別な関係じゃないですか?」
馴れ馴れしく腕を絡めてくる。
ゾッとした。
思わず拳が動いた。
——が、寸前で止めた。叩き落としたい衝動を、歯を食いしばって堪える。
「あの……」
困惑したふりをして距離を取る。
「困ります。こういうことは……」
「大丈夫ですって。父上にも話は通してありますし」
青年は勝ち誇ったように笑った。そして腰に手を伸ばしてきた。
(……)
微笑を崩さぬまま、ローブの陰で一閃。拳が的確に腹部を捉える。
「ッ……!」
同時に、声帯を封じる簡易魔術——周囲には、ただ腹痛で蹲ったようにしか映らない。
「どうされました?」
聖女の仮面は崩さず、優雅にかがみこみ、手を差し伸べる――ふりをする。
「次、勝手に触ったら潰すぞ」
誰にも聞こえないよう囁いた。
青年は怯えた小動物のように何度も頷く。額には玉のような汗が浮かんでいる。
「まぁ大変。体調が悪いのですね」
回復魔法をかけてやる。もちろん毒抜きではなく単なる快復促進程度の力しかない。
「——行け」
声には出さず、視線で命じる。
怯え切った背中が慌てて遠ざかる。周囲の使用人たちが「お身体が急に……」「セフィリア様の回復術でよくなるといいのですが」などと口々に囁き合っている。
――今日も、“セフィリア”の仮面を守り抜いた。
「おい」
振り返ると師匠が呆れた表情で立っていた。
「アンタってやつはしょうがないねぇ」
師匠は溜息混じりに首を振る。
「何だよ」
聖女の仮面を剥ぎ取り素に戻る。
「あんだけ嫌がってたくせに……板についたもんだ、セフィリアが」
「まぁ、セフィリアでいれば教会のやつらが静かだし、患者も喜ぶからな」
「見てるほうは鳥肌もんだよ!」
「ははっ」
肩の力を抜いた俺の笑い声が、礼拝堂に小さく響いた。
そのとき、遠くからドタドタと足音が近づいてきた。
「セ、セフィリア様――っ!」
駆け寄ってきたのは、侍女のエリス。
(走るたびにつまずきそうになってるけど、大丈夫か……?)
「エリス、どうしたんだ?」
「ど、どうしたじゃないですっ! 今日は国王様とのお食事会です! もう準備しないと……ああ、遅れたら私、処刑……!」
「落ち着け、処刑されるわけないだろ」
そう声をかけると、彼女は深呼吸を繰り返し、なんとか落ち着きを取り戻した。
「と、とにかく! 急ぎましょう、セフィリア様!」
「分かった」
俺たちは礼拝堂を後にし、夕暮れの道を王宮へと急ぐ。
遠くで鐘の音が響く。
ステンドグラスを透かして最後の陽光が礼拝堂を染め上げていた。
――深く息をつき、もう一度、微笑みの仮面をつける。