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伊香家

家に帰ると、栞は玄関の扉を開けると同時に、いつもの温かい空気が迎えてくれた。薪ストーブが柔らかい火を灯し、静かなリズムで家の中を温めている。父は台所で忙しそうに夕食の準備をしていた。父の背中が見えると、栞は自然とその温かい姿に安心感を覚える。


「おかえり、栞。」

父の声はいつも通り、少し低くて穏やかだった。栞がコートを脱ぎながら応じる。


「ただいま。今日は町を少し見てきたよ。」


「そうか。何か面白いことでもあったか?」

父はそう言いながら、大きな鍋をかき混ぜている。栞はテーブルに鞄を置き、隣に座ると、少し考え込んだように言った。


「うん、ちょっと変わった人に会った。」


「変わった人?」

父は少し驚いたように顔を上げた。


「うん、町の神社で。すごく優しそうな……温かみのある高齢の女性。」

栞はその老婆のことを思い出しながら、言葉を選ぶように話す。


「それはまた不思議な話だな。何かお願いされたのか?」

父が興味を持った様子で聞いてきた。


「うん。なんか、古い鍵と地図を渡されて……」

栞がその話をしていると、キッチンの奥から小さな声が聞こえてきた。


「おじいちゃんが、またテレビ見てるわよ。」

それは、祖母の声だった。栞はすぐに立ち上がり、祖母の部屋へ向かう。母はしばらく前に亡くなっており、父と二人三脚で祖母の世話をしている日々が続いている。


祖母の部屋に入ると、薄暗い部屋の中で、目を細めてテレビを見ている祖母がいた。彼女の姿は年齢を感じさせるものの、どこか落ち着いた優しさをまとっていた。


「お帰り、栞。」

「ただいま、おばあちゃん。」

栞は、少し寂しげな顔を見せる祖母に微笑んだ。


祖母はいつも家族の中心で、黙って栞たちを支えてきた。父と栞は、祖母のために日々の生活を支えることが、何より大切だと思っている。しかし、栞の心の中には、この生活に何か足りないものがあるような気がしていた。それは、今はまだ言葉にはできない感情だった。


「何かあったの?」

祖母が栞を見て、静かに尋ねる。栞はその問いに、少し迷ってから答える。


「うん、ちょっと変な出来事があってね……」

栞は再び、町で出会った温かみのある高齢の女性のことを話し始めた。父はそっと目を閉じ、母のことを思い出しているようだった。


「その鍵と地図、どうするの?」

祖母が穏やかな声で言った。その言葉が、何か深い意味を持つように感じられた。栞はその質問に、少し驚いたように振り返った。


「どうするんだろう……」

栞はそう答えると、再びその手に渡されたものを思い出していた。まだ、その答えは見つからない。


夕食後、家族はいつものようにリビングで静かに過ごしていた。テレビの音が部屋を満たし、父は新聞を広げ、祖母は静かに手元の編み物に集中している。栞は一人、食後の片付けをしながらその日の出来事を頭の中で整理していた。


あの女性が渡した古びた鍵と地図。彼女の言葉が頭に残る。


「きっと役に立つわ」


その言葉が何を意味しているのか、栞にはまだわからなかった。だが、何かが引っかかっていた。そんなことを考えているうちに、ふと視線が父に向かう。父はいつも自分を守ってくれていた。しかし、祖母の介護に追われる中、父自身の気持ちはいつも後回しになっていたように感じることが多い。


栞は食器を棚にしまいながら、父に声をかけた。


「お父さん、今日はありがとう。おばあちゃんのこと、ずっとお願いしてるけど、無理しないでね。」


父は新聞を折りたたんで、ゆっくりと顔を上げた。


「ありがとう。でも、お前がいるからこそ、俺も少しは楽なんだ。栞、無理しないでな。お前もまだ若いんだから。」


栞はその言葉にほんの少し驚いた。いつもは強くて頼りにしている父が、こんな風に気を使ってくれることは少なかったからだ。彼の中にも、栞が背負っているものを感じていたのかもしれない。


「でも、私、もう少し何かできる気がするんだ。なんだか、最近気になることがあって。」


「気になること?」父は少し眉をひそめた。


栞は一瞬躊躇したが、温かみのある高齢の女性の話をしてみることにした。


「今日、町の神社でね、ちょっと変わった人に会ったんだ。古い鍵と地図をもらって……なんだか、それがすごく気になって。」


父は少し黙った後、ため息をつきながら言った。


「そうか……でも、栞、気をつけてな。最近は、いろんな噂が町でも立っているからな。」


栞はその言葉に少し驚いた。


「噂?」


「うん、まぁ、あまり詳しく言いたくはないが、町の古い話があるんだ。誰かがその鍵を持って、何か大切なものを守っていたとも言われている。」

父は少しだけ視線を遠くに向け、さらに静かな口調で続けた。

「でも、それが本当かどうかはわからない。ただ、そういう話を聞いたことがあるんだ。」


栞はその言葉を胸に刻みながら、黙って頷いた。


「お父さん……私、やっぱり調べてみたい。あの地図の場所に行って、鍵が何を開けるのか、見つけてみたい。」


父はしばらく黙って栞を見つめた後、ゆっくりと答えた。


「気をつけてな。でも、お前がどうしても行きたいというのなら、俺も心配だが……行くんだろうな、きっと。」


栞はその言葉に強く頷いた。


「ありがとう、お父さん。」


その時、祖母が静かに口を開いた。


「栞……無理をしない方がいいよ。」


祖母の言葉にはいつもの優しさがにじんでいたが、その眼差しはどこか遠くを見ているようだった。栞は一瞬、祖母の顔を見つめ、思わず口を開きかけたが、何かが胸に引っかかり、言葉を飲み込んだ。


「わかった、おばあちゃん。気をつける。」


その後、家族はまた静かな時間を過ごした。栞は明日の準備をしながらも、心の中で決意を固めていた。この鍵と地図が示す先に何があるのか、確かめることを、決して避けてはいけない。そう感じた。


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