幕間 なんであの子、そんなに自信が無いのかしら ――先輩
「さて"先輩"。君の後輩でもあるスイ……翠玉の監視とメイドとしての教育をお願いしたい」
旦那様の執務室。
まだ日が上がって間もなく、薬品の匂いがかすかに漂う一室で、旦那様は私にそんな命令を下される。
旦那様、ノエル・ユーランド様から相互使命をもらった時、どんな果報者なのでしょう、と思った。
私は……名前なんでどうでもいいわね。
とある事情で貴族の娘としての権力をはく奪され、ノエル様に拾い上げてもらってから、ノエル様の屋敷で長らく務めている"先輩"メイド、ただそれだけ。
そんな優しい旦那様に新しく命じられたのは、新人である鬼の子の監視と教育……遠回しに立場を上に上げろと仰られました。
正直、新人一人に対して、どうしてそんな命令を出すのか分からない。
「スイギョクちゃん、でしたっけ。私に監視を任せるなんて、どういうおつもりなんですか?」
「そこは君の想像に任せる……って言いたいところだけど、新しく入れた子に信頼性を足しておきたくてね。君の目と信頼度なら周りにも説得しやすいでしょ?」
旦那様が女性を魅了するようなとんでもない笑顔でそう宣った。
やっぱり、あの鬼の子は果報者らしい。
旦那様には恭しく頭を下げ、執務室を後にしながら、申し訳ない事に旦那様の目がお狂いになったとこの時は思っていた。
「旦那様、あまり熱を入れないといいんですけど……」
一人、つぶやきながら、旦那様の命令を遂行するために件のメイドを探すことにした。
* * *
屋敷の中を歩いていたが見つからず、こんな事なら旦那様に新人の予定を聞いておくんだったと探していると、途中でランドリーの子を見つけて声をかける。
「ねえねえ、新人の子がどこにいるか知ってるかしら?」
「新人? ああ、スイちゃんですか?」
「スイちゃん……そう、たしかスイギョクちゃんって聞いたわ」
「はい、それなら――」
快く教えてくれた子に「ありがとう」とお礼を言って新人のスイギョクちゃんが居る場所へと向かう。
屋敷の外に出て、使用人たちの離れが見える壁で体を支えて中庭を覗き込むと、エメラルドのような髪をなびかせる女の子……噂の旦那様に見初められたスイギョクちゃんが、何か白い布をもって離れの前で困ったように周囲を見渡していた。
「あらあら、あんな場所で何をしてるのかしらー。確かこの時間はランドリーたちが洗濯へ向かうはずだけれど……」
そう言えば彼女がどういう仕事をしてるかすら聞いてなかったと思い出したけれど、今はとにかく観察を続けようと眺めていると、離れからランドリーメイド……ミラン、って子が大きな洗濯カゴを抱えて出てくる。
スイギョクちゃんはそれを見つけるとぱあっと表情を輝かせる。
(あら、たしかにおっとりしたエメラルドの瞳を嬉しそうに輝かせる笑顔は、旦那様を射止めてもおかしくないかしら。旦那様はああいう子が好みなのね)
メイドたちや屋敷の周りの人たちの信頼を得ている私に報告書を書かせる、ということはそういう事なのでしょうね。
なんて、少し下世話な推察をしながら様子を観察していると、スイギョクちゃんはパタパタとミランちゃんに駆け寄っていた。
ん、思ったよりスイギョクちゃんの背丈が大きくて、洗濯カゴに山盛りになっている洗濯物をもったミランちゃんよりも大きい。
あれは女の子として苦労してそうね。
「すまない、ミラン!」
「うん? あ、その声はスイちゃんだね! どうかしたの?」
「えっと、このエプロン……配給のエプロンなんだが……」
「エプロンドレスのこと? そういえばスイちゃんも今日はランドリー担当だけど、どうかしたの?」
「うむ、実はこのエプロンなのだが……」
スイギョクちゃんがとても言い難そうにエプロンを持ち上げる。
まさか、洗いたくないからランドリーの子に押し付けるつもりなのかしら。
だとしたら先輩として一言言ってあげないと。
と、どちらにしても危ない言動をしそうな後輩に注意をしようと壁から身を出し――、
「その、このエプロン、レースやフリルもたくさんついているから上等な品なのだろう? 余は力加減がまだできないから、余が洗うと破けてしまいそうで……」
「え?」
と、ミランちゃんの驚く声と、スイギョクちゃんの提案に私は急いで壁の方へ戻る羽目になった。
暫し、驚いて固まっていたミランちゃんが「ああ!」と納得したように頷くと、困った顔になる。
「スイちゃん、不器用さんだもんね。じゃあ、スイちゃんの分、私が洗っておくね?」
「ん、ありがとう、ミラン」
「じゃあ、洗っておくから、スイちゃんのエプロン籠の上に置いてくれる?」
「ん? ん……」
ミランちゃんの厚意に、スイギョクちゃんが自分のエプロンとカゴを交互に見ていた。
急にどうしたのかしらと見守っていると、スイギョクちゃんがふっと微笑む。
「すまぬ、余の背丈でもカゴの上に届きそうにない。一度カゴを置いてくれないか?」
「あ、ごめんね」
あら、スイギョクちゃんの背丈ならミランちゃんが持ったままでもカゴの上に届きそうなのに。
不思議に思っていると、ミランちゃんがカゴを地面に下ろした瞬間、スイギョクちゃんもエプロンをカゴの上に置きながら座り込み、あっという間も無く、自然とカゴを持ち上げてしまう。
鮮やかな手際に感心していると、ミランちゃんも遅れて気がついて「あ、あれ?」と不思議そうに持ち上がったカゴを見上げる。
「え、す、スイちゃん? カゴを持ちあがっちゃったけど……」
スイギョクちゃんはそのままカゴを「よいしょ」とミランちゃんを置いて洗い場の方へと向かう。
そんなスイギョクちゃんをミランちゃんは呆気に取られて見つめていた。
「す、スイちゃん?」
「うん? どうしたのだ、ミラン」
「う、ううん。でもカゴ……」
「カゴ? ああ……。あはは、余は洗濯が苦手だから、これくらいはさせてほしい」
スイギョクちゃんは困ったようにそう笑うと、スマートに洗濯物が山となったカゴを持って行ってしまう
私はといえば、その光景を屋敷の壁の方から見守り、一部始終を見守っていた。
「……旦那様、私、要らないかもしれません」
自分の役目……スイギョクちゃんの信頼を屋敷に広めるためのお仕事に遠い目をしながら彼女の後をつけさせてもらうことにした。
* * *
また別の日。
「ねえねえ、スイ! あれを見せてくれないか!」
「うん、私たちももう一度見てみたい!」
離れでメイドや執事たちの食事の調理時間になり、妙に騒がしい厨房を覗くと、なにやらスイギョクちゃんを囲んでメイドや執事の何人かが興奮するようにスイギョクちゃんに何かを頼み込んでいた。
なにをやっているのかしらと、またもや見守る体勢になる。
「あ、あんまり食べ物で遊ぶものじゃないぞ、皆。それに、いい加減にしないと爺様や先輩に怒られるぞ?」
スイギョクちゃんは皆に角が当たらないように配慮しながら、少し言い辛そうに見回していた。
いったい何をと見ていると、スイギョクちゃんは「しょうがないな」と困ったように包丁を持つ。
「今日使う食材はポテトでいいのか?」
「うん。皮は洗ってむいてあるから、それを細かくお願い」
「準備されてる……」
スイギョクちゃんは、はあとため息をつくと、ポテトを一つ渡され、納得いかない表情のまま天井に着かない程度の高さに放り投げる。
あ、っと口元を抑えるとヒュン! とここまで聞こえてくる風切り音がして、まな板の上に綺麗に切られたポテトが出来上がっていて、思わず拍手してしまいそうになった。
他のメイドや使用人たちも「おお!」と驚嘆しているけれど……。
ふふっ、仕方なく披露してくれたスイギョクちゃんはともかく、他の子には後できつく言っておかないといけないわね。
怒らなきゃいけない子一覧を脳内で作りながら、その場をこっそりと抜け出すのだった。
それにしても、スイギョクちゃん……曲芸師として売り出した方が売れるんじゃないかしら。
でも、亜人だし、スイギョクちゃんの言い分からしたら亜人の中ではできる人も多いのかもしれない。
* * *
また、別の日。
始めてのお給金を与えた次の休日になり、スイギョクちゃんはお給金の入った袋を握りしめて、ローゼンの城下町……上流層の商店通りを見て回っているようだった。
上流層は許可が無ければ亜人種の人たちは入れない……だからこそ、スイギョクちゃんは物珍しそうに商店通りを歩いて、ガラス越しの商品に目を輝かせ、視線を落としては悩まし気に眉をひそめて違う通りに歩いていくを繰り返していた。
「あら、スイギョクちゃんが眺めてたお店って確か……」
彼女が目を輝かせてみていた商品のうち、一つおぼえがあるお店だったので、そっと防犯対策の施された店内を覗くと、やはり覚えていた通り、王城でも流行っている流行のドレスやアクセサリも置かれているブティックだった。
「あらあら、スイギョクちゃんもこういうのが好きなのかしら」
亜人種の女の子でも、女の子なのねとほほえましく思っていると、またスイギョクちゃんが足を止めたので、そっと目立たないように通りを馴染む。
今度は銀細工のお店を覗きまた肩を落とすんだろうかとハラハラしていると、スイギョクちゃんがまた悩ましげな表情を見せて何かをつぶやいていた。
風の音を拾うように移動し耳を澄ますと微かに彼女のつぶやきが聞こえてくる。
「むぅ、これはもしかして、ミランが欲しいと言っていたやつか? むぅ、爺様にも恩人のノエル、それに先輩にも渡したいのに……。余の給金だと難しいか……」
と、聞こえて耳を疑う。
まさかあの子、初任給を他の人のために使うつもりで町に来たのかしら。
もちろん、使い道は当人次第だけれど、まさか屋敷の人間のためにそのお金を使うなんて思いもしなかった。
そして、思い出す。
(そうね、屋敷の子からも頑張ってるってミスを庇ってもらってるし、自分が出来ないことは聞きに来るし、新人だからすべての職場に配属されるオールワークスモドキにしては失敗は少ないわよねえ)
……やっぱり、私の仕事は必要なかったですよ、旦那様。
きゅっと不思議な顔をして、その場を去ろうとするスイギョクちゃんを見守りながら、こっそりと屋敷へ戻ることにした。
* * *
「それで、どうだった、彼女は」
報告書をまとめる途端、旦那様は私を呼び出して、開口一番にそう言いました。
手元に文字をびっしりとまとめた羊皮紙の報告書があるのだけど……。
「お聞きになる必要はないのではないですか? ご自身がスイギョクちゃんと一番一緒にいらしたじゃないですか」
「あはは、そうだね、報告書ありがとう」
半ば呆れながら報告書を机に置くと、旦那様も苦笑しながら頷かれる。
やっぱり旦那様は報告書を聞く必要も無いと思っているらしい。
艶やかな指先で滑らかに報告書を取ると、旦那様は読まずに報告書を丸められる。
「まあ、せっかく元大貴族の娘だった君が、自らまとめてくれた報告書だから、有効活用はさせてもらうよ」
「……ああ、やっぱりそういうことなんですか」
旦那様が思わせぶりなことをおっしゃったので、ようやくその意図を察する。
今の私と関係ないが、私の本家がユーランド家によって助けられ、借金の肩代わりをさせたのを知らない貴族は少ない。
他の貴族からすれば、私の報告書は憐れみで甘くみられるし、元々の私に寄せられていた信頼のおかげで、没落したにしては随分と信頼性がある。
旦那様はそれを利用されたいのだろう。
……いつか旦那様は、貴族界にちゃんと襲われる覚悟をした方が良いのではないかと思う。
ほお、と頬に手を当てて、ご機嫌な旦那様を見返す。
「まあ、旦那様がこれでよろしいのならご協力いたしますけど」
「あはは、じゃあ利用させてもらうよ。君も、スイのこと気に入ったんでしょ?」
「……まあ、旦那様の思惑通りに」
「ふふっ、スイは良い子だからね」
「否定はしません。でも、旦那様がこんなことをしなくても、あの子なら何とかなると思いますよ~?」
「そう? でも、一応手を尽くしておくに越したことはないからね」
旦那様は満足そうに笑い、旦那様の考えに私も同意する。
あの子は、撃たれ弱いのに優しい心根を持った子だ、誰かが守らなければきっとすぐに手折られてしまう。
あの日、あの子から渡された、目立たず、誰からもらったかもわからないような髪留めを思いながら、優しい優しい鬼の娘が幸せになるといいな、と思いを馳せるのだった。