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第五節 鬼の娘、翠玉と雇い主 ――ノエル・ユーランド



「余を……雇う?」



 君を雇いたい。

 僕がそう言うと、見開かれた彼女の翠の瞳に火が灯ったように見えた。

 ここが押しきるチャンスだと思い彼女の疑問に全力で頷いて返す。


「うん! 君さえよければこの家で働いて欲しい。反対されても、僕が説得する!」

「で、でも、余は亜人だし、役立たずだから……」

「君が気になるなら、僕が守る! スイに戦わせないし、お仕事も全部教えてあげる!」


 僕の成人前みたいな高めの声が、食堂に反響して、シンと静まり返る。

 ちょっと必死になって叫び過ぎたかもしれない。貴族あるまじき行為だ。

 でも、そんなことよりも、僕はスイがどう答えてくれるかが気になって、のめり込むように彼女の腕を捕まえていた。

 やがて、緊張感に包まれた食堂に「それは……」とスイの声が広がった。


「それは、余も、ノエルと一緒にメイドとして働いてもいいって、こと?」


「っ! うん! うん?」


 好感触な返事に考えずにうなずいて、何かが変だと引っかかった。

 嬉しくてうなずいたけど、何か致命的(ちめいてき)に聞き逃した気がする。

 何が変だったか考えようとすると、スイの顔が曇った。


「でも、余は、本当になにもかも下手だぞ? きっと、雇ってくれる人にもノエルにも迷惑をかける。助けてもらって迷惑までかけるのは……」

「大丈夫だよ。君が居てくれるだけで」

「え? それは、どういう……」


 まだ不安そうにしていた彼女の手を両手で取る。

 行き倒れるような生活をしていたたら、人間じゃ考えられないほど綺麗なすべすべした手を優しく握り、彼女の手の甲に唇をつける。


「君を雇ってもいいかな、スイ」

「っ、えと、余でいいなら、働きたい、けど……」

「よかった。それじゃあ、善は急げだよね」

「え?」


 口約束とはいえ、彼女から言質を取ったから握っていた手をぎゅっと一度強く握ってパッと離す。

 放した瞬間、スイは「あ」って顔をしてくれたけど、見えなかった事にして、スイをもう一度テーブルに引っ張った。


「さあ、もう一回座って、スイ。僕はスイを雇えるように色々整えてくるから、スイはゆっくりご飯を食べてて」

「あ、う、うん。ありがとう、ノエル」

「あはは、固いなあ。これから上司になるんだから、次の時までにはもうちょっと馴染んでね」

「ど、努力する」


 苦い樹皮を噛んだみたいな顔をしてうなずいたスイに思わず笑ってしまう。

 半ば無理やり彼女をテーブルに座らせ、彼女が心配そうに、でも美味しそうに食事に手を付けるのを見てから、食堂を出る。


(ああいう自信を持てない子はちょっと強引でもお節介気味に接して、彼女の希望を叶えてあげないとだからなあ)


 スイ――翠玉の自信の無さの大半は環境と経験のせいだ。

 誰がどういおうと、一度経験した体験は人生を縛る。

 生物として仕方のない防衛機能だし、スイみたいに防衛機能が悪い方向に働いているうちは、当人に現状を打破させるのは非常に難しい。

 こういう場合の無理やりにでも、成功に導いてしまうのが一番簡単ななおし方だ。


(さて、彼女を治療しつつ、本人も治療の知識もつけたいって言ってたから、今度薬師か治癒師を探さないと。後は、屋敷の人たちを説得して……。他のみんなはキッチンで待機だったっけ)


 僕は長い長い廊下を進みながら、さっそくスイをこの屋敷に迎え入れられるよう、屋敷のみんなに根回しの算段をつけていくのだった。





       *     *     *





 僕は自分の屋敷の廊下を、スイに声が届かなくなるまで進んでいく、

 豪華な絨毯……たしか、砂国で作られた絨毯の上を進んでいき、革靴が絨毯を叩く音が増えたのを確認して、振り返らずに声をかけた。


「そう言うわけで、彼女をメイドにしたい。聞いてたんでしょ、爺」


 まず説得しなければいけない相手に声をかけ、他の人たちのところにつかないよう、歩みを緩める。


「はい、しかとこの老骨の耳で聞かせていただきました。ノエル坊っちゃま」


 坊ちゃま。

 それは僕がわがままを通すときに言われる爺の嫌みだった。


 嫌味とは言っても、わがままを言うときに皮肉って言うときもあれば、必要な時もあるし爺もそれを理解している時。

 どっちのときも同じように僕のことを坊ちゃま呼びすることもあるんだけど……。


(今日の坊ちゃま呼びはぜったい嫌味だ)


 自分もそれは重々承知しているし、爺に迷惑をかけるのは理解しているけれど、しかめっ面をしているであろう額を指で伸ばしながら、はあと技と聞こえるようにため息をついた。


「爺、坊っちゃまは、止めて。仮にとはいえ、頭の固い父上の代理で城勤めをしてるのは僕なんだから」

「これは大変失礼を。ですが、爺の身分で愚考を口にすることをお許しください」

「いいよ。道中で聞いてあげる」

「ありがとうございます。……差し出がましいようですが、外から人を引き入れるのは少々危険かと」


 爺はやんわりとスイを雇うことを考えるように言ってくれる。

 彼の……爺の指摘はもっともだった。


「そうだね。翠玉は外の人間……ましてや、どこの馬の骨とも知れない亜人だ。引き入れるのはリスクがある」


 廊下を歩きながら、爺の指摘にうなずく。

 僕は伯爵家の長男で、ローゼンで治安維持を受け持っている貴族だ。

 命を狙う人も居れば、僕から情報を抜き出したいと考える間諜立っているだろう。そう言う意味では、彼女を雇い入れるということは相応のリスク……僕が危険な目に合う可能性は高くなる。


「お分かりになられているのなら、旦那様はなぜあの者をお雇いになられようと?」

「ちょっと楽しそうだから」

「お戯れが過ぎます」

「あはは、ごめんごめん。でも、僕は彼女を雇いたい。最初はそりゃ見た目も大いにあったけど、あそこまで自信なさげにな子を放っておくのは人としてダメだと思うから」

「……彼女が亜人でも、ですか?」


 爺の口から庶民街で彼女を見捨てようとした人々のような言葉が聞こえ、苛立って足を止めてしまう。

 僕より一歩遅く足を止めた爺を振り返るけれど、爺は難しい顔をしていた。


「この際、危険はご承知なのでしょう。間諜の可能性も、あれで謀られていたのなら防ぐのは容易ではありませんので問いません。ですが、亜人を雇うとなれば、旦那様が亜人の少女を連れ込んだなどと城で悪評が出回ることになります」

「……暇人ばっかりだからね」

「それも御座いますが、旦那様はただでさえ、お噂が絶えない御方なのです。旦那様と使用人の距離が近いと、わざと流布している以上、旦那様がわざわざ外からお雇いになられたことを知られた場合、"囲った"と思われかねません」

「それはそれでアリだね」

「旦那様……」


 ちょっとイラっとして強引に話をつけようとしたけれど、爺は困ったように顔をしかめたままだった。

 実際悪くないとは思うんだけどなぁ。

 まだ納得してなさそうな爺の様子に、仕方なく、スイを雇い入れることに納得してもらえるような策を考える。


「そうだなあ……。じゃあ、むしろ、公に彼女を雇ったって広めて、わざと囲った疑惑を広げようか」

「わざと、でございますか?」

「そう、わざと。これで引っ掛かるようなら、キチンと情報を精査しないおまぬけさんだし、真実にたどり着ける人が居たら、それとなく声をかけるって方向で」

「悪くはありませんが、そう簡単に引っ掛かりますかね?」

「そこはほら、貴族特有の相手方の想像に任せようよ。僕としては亜人で、役に立たないと公言する彼女を雇えるなら、彼女を囲ったって噂を真実にしたっていいんだからね」


 そう、彼女には悪いけれど、僕は曲がりなりにも貴族だ。

 助けようと思ったのも、かわいいなと思ったのも事実だけど、彼女が生きようとしなければこれ以上はてを出す気はない。

 それに……。


("囲う"にしても、今のままだと色々耐えられないだろうしね)


 彼女には頑張れる環境は与えるのだ。もうちょっと頑張ってもらわなきゃいけない。

 爺はそもそも僕の考えを見透かしているのか、主の前だって言うのに大きなため息ををはかれた。


「……亜人と噂などされたら婚姻が遠のきますぞ、旦那様」

「あはは、こんな格好して外に出てるんだから、今更だよ」

「それは本家の大罪ですので、文句は言いません。旦那様、これ以上は譲れませんか」

「うーん、譲れない、かな。心配してもらえるのは素直に感謝するよ、爺。でも、翠玉の件は、庶民街で拾ってきちゃったからもう雇い入れた方が自然だし、下手に手を出されないと思うよ。それに、おバカさんには囲ったって思わせて、調べられる人には、道楽だって思われた方が得でしょ?」

「分かりました。旦那様がそこまでおっしゃられるのならば、爺もうなずきましょう」

「助かる。あ、それと、爺はメイドの素行調査を重点してほしい。ハウスキーパーは僕が屋敷に居る間は兼任させてもらうから」

「それは構いませんが……。何か思惑がおありで?」

「んー、スイが――あ、あの鬼の子の名前ね? が、他人の言動に敏感になってると思うから、最初に助けた僕以外の言葉だと、素直に受け取ってくれないかもしれない。出来る限りは僕が面倒を見た方が良いなって」

「この爺では、ケアは担当させられませんか」

「爺はさっきの亜人でもって発言をしなかったら、任せたかもね」

「ほっほっほっ、それは失敗しましたな」


 僕の嫌味に爺はどこか楽しそうに笑った。


(……この爺、さては僕が意地でも面倒を見る方向に誘導したんじゃないだろうな)


 嫌な嫌疑を爺に向ける羽目になったけど、スイの面倒を見れるならそれはそれでいいと爺の暗躍を飲み込む。

 さて、メイドたちにはどう通達しようかと考えていると、爺が「はて」とつぶやいた。


「ところで、旦那様」

「ん? どうしたの、爺」

「この老骨。旦那様の言い分は理解できるのですが、旦那様がそこまでして面倒を見る必要があるでしょうかと」

「……はあ。爺は僕に雇われて何か不満でもあるのかい?」

「不満など! この爺、ユーランド家に仕えることを至上の喜び。不満など、滅相も御座いません。しかし……」


 わざとらしく小首をかしげて考えるそぶりを見せる爺に、何が言いたいのか分からずに訝しむ。

 もしかして、爺も本気で亜人なんかって思っているわけじゃ……。

 そこまで考えて、爺は何かに気付いたようにポンと手を叩いた。





「もしや、ついに旦那様からホの字ですか、あの少女に!」





 今何といいやがりましたか、この爺は。

 今まで真剣な表情と話をぶちかましておいて、突然空気を吹き飛ばすような発言はどういうことだろう。

 ものすごい嫌そうな顔に見えるように爺を睨みつける。


「おや、その表情お間違いでしたかな?」


 いや、あってる。

 でも、爺の発言があってるからこその表情だっていうのに。

 とんでもない爆弾を置いた爺の表情は動いてない。動いてないけど、恐らくからかってるのは考えるまでもない。


「な、なんだよ、爺」


 苦し紛れに何か反論しようとしたけれど、完全敗北のセリフしか出てこなかった。

 爺は爺で僕の反応ですべてを察したらしく、おやおやこれは! みたいな顔で僕の事を見始める。

 くっ、この性悪爺め。


「これはこれは! そういう事でしたか。申し訳ありません、大変失礼な進言をいたしました。今日の爺の失言、すべてをお許しください、旦那様」

「くっ、こういうときばかり坊ちゃまって言わないくせに……!」

「いえいえ、旦那様ならお許しくださるはずです。あの鬼の娘に、そのような狭量なところをお見せしてもよろしいと?」

「おまっ! っ! 爺、後で覚えておいてね」

「大変待ち遠しいです。……冗談はさておき、いつ懸想されたのですか。貴族令嬢のメイドに囲まれ、社交界で着飾った女性を笑顔で一蹴するあの旦那様が、いつ、どのように?」

「爺、しつこいよ。だいたい、人聞きが悪い。僕は笑顔で一蹴はしてないって」

「誰にでも向ける人当たりの良い笑顔であなたのようなお美しい華には、僕のような悪い噂が絶えない土壌はお辛いでしょう。と断る殿方のどこが笑顔で一蹴されていないと?」

「……それ、城の舞踏会シーズンのやつで、爺は知らないはずなんだけどなあ」


 城に忍び込んでこっそり聞いているか、参加した貴族令嬢から聞くしか知る方法はないはずなのに、何故か爺の口から変な弄り方をされてしまった。

 まあ、そもそも爺は伯爵家に代々使える男だ。そう言った業も必修として身に着けているのかもしれない。


「ほっほっほっ、爺はあくまでお目付け役ですので。ではでは、旦那様はどうぞ、お早くあの女性に合否をお知らせください。屋敷の人間にはそれとなく伝え、噂も完璧に仕立て上げて差し上げますので」

「あの拒絶をされてからのその反応、すっごい嫌なんだけど……」

「旦那様に吉報を知らされたながら、お目付け役の爺が率先して動かなくてどうしますか。この老骨の無駄に厚き信頼をフルに活用させていただく所存です」

「もう、分かったよ、爺。疑わしいけど、説明は任せる。それと――」

「無論、本家の鼠は一匹たりとも通しません。ご安心を、すべて把握済みです」

「……主の言葉を遮るのは無礼じゃなかったっけ?」

「おや、それは失礼を。さあさ、旦那様は早くお戻りに。次の連絡があるまで、メイドたちは待機させますので」


 爺は恭しく頭を下げると、食堂がある方へ手を上げて促される。

 メイドの対応は面倒が少なくてありがたいけど、本当に嫌な変わり身の仕方だった。


 しかも、ここまで露骨に恋路を応援されると、相手はものすごくやり辛いんだなと、認識させられる貴重な体験のオマケ付きだ。

 そこそこ嫌だけれど、今はスイに伝えるほうが優先で、爺の態度はこの際どうでもいい。

 嫌な顔を残しながらも、僕はスイが待っている食堂へ踵を返した。


 結構急いで食堂に戻り、ドアを開ける。

 思ってたよりも力が入ってしまって勢いよく空いてしまったけど、スイはまだ緊張したようにゆっくりとご飯を食べていてくれた。


 よかった、まだ居てくれた。

 ほっと胸をなでおろしていると、ドアが開いた事に気が付いたスイが振り返る。

 ビクッと驚いたリャーディみたいに肩を震わせていたけれど、僕の顔を見た途端、ぱあっと花が舞い散ったみたいに表情をゆるめた。

 ちがう、普通にほほ笑まれただけだ。


「っ! ノエル! もう戻って来てくれたということは、主殿は認めてくれたのか?」


 戻るのを待ってくれる人が居る安心感を久しぶりに感じ、そして、さっきも感じた違和感に首をかしげる。


「ん? 認める? って、どういうこと、スイ」

「だ、だって、余を従者として雇うためには、ノエルの主の許可が必要、だと思うんだけど」

「…………? うん、まあ、主の許可は必要、だね」


 スイの言う通り、たしかに僕の許可があれば働けはするはずだ。

 風当りとか、その他の対処のために執事に確認しに行っただけだから、認めてもらうも何もないとは思う。

 僕がまだ飲み込めずにいると、スイは不安そうになって翠色の瞳が挙動不審になっていた。


「え? え? だって、この国の貴族領主って男の人ばかりだって聞いてるから、ノエルはその人に口聞きで切る人だから、余を雇えるか聞きに行ったんじゃ……」

「男の人だからって、僕は……」


 男だから。

 そう言おうとして、ものすごい勢いで走馬灯が走り、慌てて窓に駆け寄って自分の姿を見た。


 晴れ始めて、雲が少なくなった灰色の空をバックに、窓ガラスで僅かに反射して見える、メイド服を着こんだ僕。

 そう、城の警備兵にナンパをされる程度には身綺麗な女の子みたいな恰好で……。




(僕、どう見ても女の子じゃん!?)




 ガラスに映る自分を見て、初めて彼女がしている致命的な勘違いに気が付いた。

 スイが話しやすいように貴族言葉は封印して、警戒をされないようにきさくに接したのが完全に裏目に出たのか、それとももとより高い声のせいか。

 どうやら、スイは僕の事を屋敷の主だと思わず、見た目のまんま、主に進言できるメイドだと思い込んでいるらしい。


 いつも潜入とか、意趣返しには便利だから全然気にならなかったけど、この時ばかりは僕の可愛さに打ちひしがれた。

 驚愕の真実に愕然としていると、パタパタとスイが駆け寄ってきてくれる音が聞こえ、窓ガラスに心配そうにのぞき込むスイが映し出される。


「の、ノエル?」

「っ! ご、ごめん、スイ! ちょっと、動揺して……」

「動揺……。や、やっぱり鬼の余なんかでは、雇いたくないって――」

「それは大丈夫! 大丈夫だから、そんな涙目にならないで! ちゃんとお許しは出たし、反対だってされてない! スイは僕が面倒を見るってちゃんと言ったから!」


 主に爺に。

 僕がそう言うと、スイの緑色の瞳が見開かれ、ぱあっと雰囲気が明るくなる。


「それは、ノエルの下で……。ノエルと一緒に働ける、ということか?」

「!? う、うん! これからスイは僕の部下だからね! 責任をもって立派なメイドとして育て上げて見せるから!」

「え? で、でも、余は別にメイドになりたいわけじゃ……」

「まだそんなこと言って……。わかった、じゃあ、ずるい言い方する。僕の役に立ちたくない?」

「っ! 立ちたい! 余を助けてくれたノエルの役に!」

「じゃあ、決まり。ね?」

「……わ、分かった。余はノエルのためにメイドになる!」


 ノエルのためのメイド。

 貴族として持ち物と同義のソレにスイがなってくれるという言質と甘い誘惑に一瞬ふんすと気合を入れているスイに手が伸びかけ――。

 慌ててコホンと咳払いをして冷静になった。


 理性の暴走はともかく、とりあえず、働いてくれることに胸をなでおろす。

 結局僕の事は誤解したままだし、スイは目をぐるぐるさせてるし、混乱してる隙をついた感は否めないけれど、下手に逃がしちゃうよりはマシ……だと思いたい。


(でも、女の子だって思われてたんなら、本当は男って言うのは出来るだけ隠した方がいいかもなあ……)


 骨格とか、動きとかで分かるんじゃないかって思ってたけど、今のスイの様子からしてそんな様子はないし、今教えて変に混乱させるのもマズイ。

 少なくとも、スイが安定するまではこのまま秘密にした方がいいだろう。

 どのタイミングでばらそうかと考えていると、スイは安心したようにふっと椅子に座って、へにゃっとした笑顔になる。

 彼女の笑顔にすべての思考が吹き飛んだ。


「じゃ、じゃあ、ノエル。余はなにもできないけど、これからよろしく頼む」

「う、うん。もちろん」

「あ、だが、ノエルの下で働くのなら、余はノエルの事を殿か様と……」

「ノエルがいいかな」

「え? でも……」

「ええ? 上司の僕のいう事が聞けないのかな、スイは」

「あ、えと、じゃあ、ノエル、で……」

「あはは、よろしい。それじゃあ僕はお迎えの準備とか、服の発注とかもあるから、ゆっくりしてて。後で爺……白髪の執事が迎えに来ると思うから」

「わ、わかった!」


 緊張でガチガチになる彼女をかわいいなあと思いながら、僕はそっと食堂を後にする。

 そして、ドアがパタンとしまったところでその場に倒れこむように頭を抱えたしゃがみ込んだ。


「あああああ、やっちゃあったああ!? なにがノエルがいいだよ! なにが僕のメイドになってくれて浮かれてるんだよ! 違うじゃん! 女の子を否定するの後回しにして自分の首絞めてるじゃんか、僕の馬鹿!」


 ドアの向こうに居るスイに聞こえない程度の音量で叫んでいた。


 おかしい。僕は城の警備兵みたいにぼんやりも間抜けでもないはずなのに。

 自分が女の子だって誤解されたまま彼女を雇い入れて、しかも自分で言えない空気までもっていくなんて詰めが甘いにもほどがある。

 行き場のない怒りに任せ、クッと誰も居ない廊下を睨みつける。


「どれもこれも、お姉さまたちが変な嫉妬や遊び心で僕にドレスを着せたせいだ。今度会ったらきちんとお返しを用意しておかないと……」


 果たすつもりがあんまりない復讐を誓いつつ、立ち上がる。

 とりあえず、屋敷のメイドたちに、スイへ告げ口される前に根回しをしなければならない。

 万が一別の人から僕の名前だったり、僕の噂が耳に入れば、スイに嫌われてしまう。

 それだけは避けたい。



 こうして、僕は翠玉という鬼の娘に真実を覆い隠すために、メイド服で自分の屋敷を駆けずり回る羽目になった。

 根回ししてたら、事情を知らなかったメイドにも知っていたはずの爺にも笑われたのは許していない。




 屋敷の中くらいは円滑な情報伝達のためと、ある程度距離を縮めるように努めていたんだけれど……。

 ……やはり、主従の距離が近いのは改めた方がいいのかもしれない。

 翠玉を受け入れたメリットが、即行で判明した瞬間だった。


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