第四節 鬼の娘、翠玉と出会う ――ノエル・ユーランド
豪奢な装飾が施された細長い部屋の一室……食堂で、僕の背丈よりも高い窓の外に視線を移す。
雨はまだ、強く降り続いていた。
あれから……エメラルド色の背の高い鬼の子を拾った僕は、なんとか屋敷へ運び込んだ。
彼女を屋敷に運び込んだ時は色々事情を聞かれたけれど、急ぎだからと断ったのもあって、屋敷の中はちょっとだけ騒がしい。
今は、拾った彼女に体を温めてもらっていて、食堂の一画で彼女が案内されるのを今か今かと待っているところだった。
かくいう僕も、雨に濡れた身だ。
急いで彼女が丸洗いされている間に身支度を整えようと思い、ランドリーたちに相談した結果、出てきた服は……。
(なんで、伯爵の息子の服に、メイド服なんて候補が出てくるのかな。この屋敷の人たちはみんなボクの事を女装好きの男女とでも思ってるのか……)
いや、嬉々として出されたから着たけどさ。
それに、下手に畏まって警戒されるよりは、こうした下々とかかわりがある格好の方がいいと思っただけで、他意はない。
……本当にないよ?
それとは別に、メイド服の僕を見てキャーキャー騒いでたメイドたちも、男爵家や子爵家のお嬢さんたちまで混ざっていたので、後で指導してあげないといけない。
貴族としての礼儀を忘れるのはあんまりいただけないからね。
これからの教育方針を考えて待っていたけれど、ふと窓の外に視線を移す。
雨は彼女を拾った時よりも強く、雲が濃くなっていた。
「思ったよりも雨が強いなあ……」
ぽつりとつぶやくと、背後でノックの音がした後、食堂のドアが開けられる音に振り返る。
「失礼しました。旦那様」
「いいよ。僕が勝手に待ってただけだから」
チョコレート色のドアが開いた場所には、タキシードに身を包んだ白髪のおじいさん……昔から僕に使えてくれている"爺"が、ワゴンに料理を乗せて現れた。
僕を見て深く頭を下げると、奥の廊下には、興味深そうにこっちを覗いてるメイドたちが居て、僕が顔をしかめると慌てて頭をひっこめていた。
爺がそそくさと部屋に入ると、ローズウッドで作らせた白いクロスを敷いた長テーブルに、料理と食器を並べていく。
「爺。急なお願いだったけど、感謝するよ」
「いいえ、旦那様。旦那様がお選びになった御客人であるのならば、当然の事です」
「ご苦労様。今日はもう下がっていい」
「しかし、旦那様。鬼の御陣と二人は少々危険と存じますが……」
「分かってる。でも、僕の事を狙うのなら僕の顔は知ってるはずだ」
「……しかし」
「爺? 二度は言わないよ。あと、本家には連絡を入れないで。亜人を連れてきたなんて、頭の固い父さんたちに知られたら面倒だから」
「……分かりました。本家の事も含めて徹底させます」
「頼む」
爺が頭を下げて部屋を出ていくのを見届けてもうすっかり白髪が多くなった執事に苦笑する。
「爺は心配性なんだから」
いつまでも心配してくれる爺に感謝はしつつ、まだかまだかと待ちわびているとまたドアがコンコンコンと叩かれる。
「お連れしました」
「いいよ。入ってきて」
「失礼します」
また開かれたドアの先にはメイドが頭を下げていて、すぐに場所を開ける。
廊下には拾った彼女が、メイドたちが用意したであろうワンピースのせいで丸見えになってしまった首元を隠しながら歩いてくるのが見えてほっと胸をなでおろした。
最悪、会いたくないとごねられるかと思っていたのだけれど、大丈夫そうだった。
きょろきょろと周囲を見回している彼女は、どこか不安そうに見える。
当然と言えば当然だ。
行き倒れた自分が連れてこられたのがそれなりとはいえ、貴族街の屋敷では緊張するのも仕方ないだろう。
やっぱり、メイド服で正解だったかもしれない。
ランドリーメイドのとんだファインプレーを心の中で褒めながら、ぎこちなく歩いてくる彼女に声をかける。
「体は温まった?」
「う、うん。ありがとう……ございます。えっと、ノエル、様。殿?」
「緊張しないで大丈夫だよ。名前も呼びやすいように」
「ん……じゃ、じゃあノエル、殿」
「ノエル」
「の、のえる」
「あはは、ぎこちないなあ。でもいいや。さあ、ここに座って」
まだ緊張している様子の彼女に安心してもらうために、座ってもらう予定の椅子に歩いて行って先に引いて座るように促す。
まあ、本当は僕がやる事じゃなかったので、他のメイドが驚いて青い顔をしていた。
申し訳ないけど、後で説明するとして今は手で合図を出して下がってもらう。
「よ、余は、ぐぅ、私、は座ってもいいの、か? あ、でしょうか?」
「言葉遣いも、とりあえずは気にしないで。この食事も君のために用意してもらったから」
男の人みたいな口調だな。
そんなことを思いながらも、彼女に食事を勧める。
しかし、食事もと聞いた彼女は緊張が強くなってしまった。
「しょ、食事も?」
「うん。屋敷のお客様だから、丁重におもてなしをって。だから、ね? 助けた僕に免じて、座って」
「……わ、分かった」
ちょっと過剰気味に進めると、恐る恐るといった様子で椅子の前に立ってくれる。
それを確認してから椅子を押して、彼女を座らせた。
緊張してて見ていなかったのか、彼女が椅子に座った途端「わあ」と声を上げて、口元に手を当てていた。
「ほ、本当にいいのか、の、ノエル! あんなに綺麗な真っ白なお湯の風呂も初めてだったし、こんなにすごい……食事まで……」
「え? そ、そうかな……。お湯はともかく、食事は結構、急ぎ用だけど……」
驚いた彼女に逆に驚いて、今まで見てなかった食事をよく見てみる。
野菜の端切れに多少の肉を浮かべたスープに、置きすぎて硬くなってしまったパン。
それと、白芋を潰して消化しやすくしたサラダ。
どちらかといえば、従者が主人の食事の後に用意するまかない食のはずだし、大袈裟に言うほど豪華な食事ではない。
一応、飢餓状態で倒れてたらしいと伝えてはいるので、爺がミスをしてなければ、お腹をこわさない程度に食べられるもののはずだ。
(豪華……じゃないよね。どんな生活をしてたんだろ……)
とっさに返事が出来なかったので、彼女に断ってから近くに座らせてもらう。
「君が言うほど豪華なおもてなしじゃなくてごめんね。むしろ、これしか用意できなかったんだ」
「そ、そんなことない! 余は、こっちに来てからろくに食事が出来てなかったから豪華だぞ! それにスープなんて、この前、ギルドの狩りに同行させてもらった時以来で……で、でも……」
彼女は困ったように形の良い眉をひそめ、きょろきょろと挙動が怪しくなる。
あー、もしかして、遠慮をしているのだろうか。
たしかに、こんな屋敷に案内されて助けられたとなると言い辛いかもしれない。
「あ、量が足りなかった? それなら――」
「あ、ち、違くて! えっと、その、ごめんなさい。余は、お金が無くて……。返せるものが……」
彼女はそう言って用意させたワンピースの裾をぎゅっと握って道を縮こまらせた。
色々な考えを巡らせているのか、目が泳いだり、血の気が無くなったりしている。
惚れた相手を逃がさないためには魅力的ではあったけれど、貴族の僕がそんなはしたない真似をするわけにはいかない。
という建前は置いておいて、単純に出来るだけ彼女が嫌がるようなことはしたくなかった。
「気にしないで。困ってる人を助けるのって、人として普通でしょ?」
「ほ、本当か? 後でなにか言ったりとか……」
「あはは、しないしない。むしろ、料理は作っちゃったから食べてくれないと捨てるしかないかな。そっちの方がみんな困っちゃうかも」
「た、食べる! 食べるから!」
本当は、従者が食べればいいだけなんだけど、それはそれで黙っておいた。
彼女が僕の言葉に慌てたように食事に向き合い、たくさんある食器の前で硬直する。
使い方が分からないのかな? って眺めていると、ゆっくりと外側のスプーンを手に取って、慎重に料理の上でさ迷わせていた。
スプーンを持った手がさ迷っているのは可愛いし、目がぐるぐると困惑しているのも正直好ましく映る。
本当はさ迷わせるのは行儀が悪いかもしれないけど、全く気にならなかった。
ニッコニコで眺めていると、意を決したように食事に手を付けてくれる。
彼女は、スープを口に入れた瞬間、彼女のエメラルド色の瞳が見開かれて輝いた。
「美味しい……!」
「そう? よかった。キッチンメイドも喜ぶと思うよ。どんどん食べて」
「うん、うん!」
パンとスープ、白芋のサラダを口に運ぶたびに、目を細めて「ん」と、声を漏らした、口元が緩んで笑みを浮かべる。
横に座ってじっと見ているはずの僕に気が付かないところを見ると、本当に食事に集中しているようだった。
(ここまで美味しそうに食べてくれるのなら、僕も手伝えばよかった)
料理が好きなわけじゃないけど、こうして喜ばれるのを見ると、羨ましくはある。
権利の暴力を使わなかった事をほんの少しの後悔しつつ、美味しそうに食べる彼女を眺め続ける。
ふと、彼女が美味しそうに食べているのを眺めていると、彼女が手を止めた。
「あれ? どうかしたの?」
「少し、驚いていた」
「驚いた?」
「うん。ノエルに助けてもらったときはこんな大きな屋敷に通されるなんて夢にも思ってなかったし、こんなにおいしい食事まで用意してくれるなんて思わなかったから。それに、庭だってそう。初めてあんな幻想的な庭を通ったから、少しドキドキした」
どこか恥ずかしそうにしながら庭を褒められる。
名前予備が自然になってきた感動と共につられて庭がある方を見る。
見えるのは見慣れた屋敷の壁で……思い出してみるけれど、王宮と比べたら貧相だし、季節の花くらいしか植えられていない庭の姿が目に浮かんだ。
僕は見慣れたもので、別段思うことはなかったのだけれど……。
「そっか、あれ、綺麗な庭だったんだ」
「え? いま、なにか……」
「ううん、庭師の人にそう伝えておくね。……ところで、鬼さん。そろそろお礼の話を――」
「ひっ。や、やっぱり余の体を!」
彼女はそう言うと、自分の体をかばうように身を反らした。
場所が椅子の上だったから、テーブルの底に足をぶつけてガシャンって音がしたけど、この際無礼は無視する。
だって、可愛いから。
可愛いが、デレッとしている場合ではない。唐突に話題を出し過ぎて警戒されてしまったらしい。
苦笑しながら手を振って否定する。
「違う違う。聞きたいことがあるだけだから。ご飯のお礼ってことで」
「……よ、余に答えられることなら」
「あはは、そこまで心配しなくても大丈夫だよ。ただ、そろそろ君の名前、教えて欲しいなって思ってさ」
「余の名前?」
「そう、君の名前」
「…………。そんなことでいいのか?」
たっぷり悩んだ後に、訝し気にそう言われる。
そんなこともなにも、僕は彼女について何も知らない。話してくれると言うのなら話してくれた方が僕としては楽だ。
「できれば知りたいなって。教えてくれる?」
戸惑った様子で目を泳がせて、オロオロとしながらたっぷりと時間をかけられる。
やがて、良いと判断してくれたのか、かすかに頷いた。
「翠玉。遠くの国の昔の言葉で、緑色の翡翠と宝石の玉からつけてもらった。それが余の名前だ」
「しゅ、しゅいごく?」
「すいぎょく」
「ス、イギョク……。翠玉。翡翠と宝って意味、か」
「うん、呼べてるぞ。それが、余の名前だ」
「そっか、翠玉か」
異国の、聞いたことも無い発音で少し戸惑ったけれど、それでも、彼女が名前を教えてくれたことが妙にうれしくて、何度も繰り返してしまう。
発音があってるか不安に思っていると、くすくすと笑われてしまった。
恥ずかしい、普段はこんなことにならないのに。
つい恥ずかしさを紛らわせるように髪を整えていると、スイギョクに「それで」と口火を切られる。
「……聞きたいことって、なんだ?」
「あ、そうだった。えっと、スイ、ギョク」
「あはっ、余の名前の発音はこの国では難しい。だから、スイでいい」
「ありがとう。じゃあスイ。えっと、ずっと聞きたかったんだけど、どうして庶民街で行き倒れに?」
治安的な意味でも個人的にも気になっていたことだ。
庶民街で行き倒れは、おそらく珍しい事じゃない。
ローゼンカッツェは亜人に優しい国でもないことを考えれば不思議ではないけれど、もしかしたら治安維持のきっかけにもできるかもしれない。
そう思って聞いたんだけど、スイは握っていたスプーンを下ろして、あははと苦笑した。
「……。もしかして、あんまり話したくない?」
「ん? あ、ううん、話せる。でも、少し暗い話になってもいい?」
「ああ、うん、大丈夫。聞いたのは僕だし、これでも上の人に意見を言える立場だから、教えてくれると改善できるかもって」
「そうか……。その、でも、余の話すことは、あんまり参考にならないかも」
「どういうこと?」
「余が倒れてたのは、その、うん。なんとなく、もういいかもって思ってしまったから、なんだ」
「もういいかも? それで倒れるほど食べなかったってこと?」
「違うんだ、余は鬼として役立たずだから。だから、もういいかもって」
「役立たずって……」
あんまりいい言葉ではない。
この世で役に立たない人はあんまりいない。そりゃいない方がいい人ていうのは王城にだって、帰属にだっている。それでも、彼らはヘイトを集めるって意味で役には立つし、捨てようなんていくらでもある。
……ここら辺は貴族の考え方だけど、庶民をリソースとして考えれば、役に立たない人なんていないし、国民は再生可能なエネルギーだから、大事にする必要だってある。
だから、役に立たないなんて、目の前のスイに……翠の宝という名前の彼女に、言って欲しくなかった。
あんまりいい表情が出来ていなかったんだろう。
僕を見たスイが縦に割れた翠の目を見開いて、ふっと微笑んだ。
「あはは、ノエルは優しいんだな」
「そう言うわけじゃ……」
「……この傷、ノエルも見ただろう?」
「見たよ。すごい傷だった。痛くは、無いの?」
「幼いころの傷だから」
彼女は首元の傷をなぞり、眉をひそめた。
まるで傷があることを今思い出したかのように、緑色の髪の毛で隠されてしまう。
「幼いころ……ずっとずっと小さいころに、この傷を負ったんだ。元々、戦うことに魅力を感じてなかった余は、傷を治すときに感じた水の精霊様を信仰したんだ」
「へえ。そう言う信仰って、亜人たちの間にもあるんだ」
「あ、うん。余の里では戦いの神だった。でも、余は、弱かったから。故郷の仲間にも落ちこぼれと言われる手、この傷を負って戦うことも嫌になってしまって……あはは」
力なく笑うスイはどこか、本当に疲れたみたいな笑いだった。
(鬼って種族は戦いの中で生きてきた種族、って感じなのか。たしかに、その中で戦うのが好きじゃないなんて態度をしてたら、役立たずなんて思うのも仕方はない、かな……)
いやだな、とは感じたけれど、彼女の話を聞くと、突っぱねて説得するのは難しい身の上らしい。
人間こそ、肌に合わない集落や集まりというのは存在するものだ。
でも、とも思う。
「それで、スイは旅に出たの?」
「うん。旅に出て、水の精霊様の魔法とか、もっと学びたいなって」
そう言ってヘラっと微笑む彼女に、やっぱり、この子は別に役立たずなんかじゃないなって思った。
普通、同じ環境におちいれば、誰かに助けてもらうまで、外に出る事なんて発想にも至らない。
もしかしたら、僕じゃない誰かのおかげで外に出られたのかもしれないけれど、それでも外に出るきっかけをつかんだのは彼女自身だし、素直に考えれば役立たずなんて卑下する理由はないと思った。
僕がそんな風に考えていると、スイは「でも」とまた苦笑してしまう。
「この辺の国じゃ余が出来たのは戦いだけだなって思ったんだ。護衛と魔物狩り。役に立てたのはそれぐらいで、治療はダメダメだし、物は壊してばっかりだったから、自信を無くしてしまって」
「ああ……。えっと、嫌だったらゴメン。王国に、他の仕事はなかった? 例えば、お店番とか」
「ううん! もちろんあった。余も挑戦はしたんだけれど、おっちょこちょいばっかりで……。いつの間にか、店の迷惑なお客さんを追い払ったり、魔物を追い払ってて、同じことばかりしてた」
「結局、戦ってばっかりだったんだ」
「ん。壊すのばかり褒められて、少しだけ疲れてしまって。それでもういいかなって路銀を稼いでなかったら……」
「……路上で倒れた?」
「あはは、余も極端だなとは思う」
やりたいことが上手いことできないから、もういいかと倒れてしまった。
だいぶ面倒な子だとは思うけれど、それでも、主張が弱い彼女が我を通そうとした結果がこれだと思うとあんまり笑えない話だった。
それに……。
(これだけすんなり話してくれるってことは、結構悩んだ後ってことなんだろうなあ……。本当なら僕が欲しいし、作り話の可能性もあるけど、そこまで謀れるならむしろ逆に欲しい人材だなあ、この子)
僕は、彼女が気に入った。
薬や治療の知識が欲しいなら、この屋敷で得ればいい。
自由にするための時間が欲しいなら休みを上げればいい。
路銀を稼ぎたいと思えばこの屋敷で仕事をすればいい。
優しさだけを見せればこうだし、僕も曲がりなりにも貴族だ。
酷さを見せるだけなら、一切口出ししないでサボりだしたら捨てて、路銀だけを持たせて放り出せばいい。
僕が黙って思案していると、空気を重くしたと思ったのか、スイは慌てて手を振り始める。
「あはっ、あはは。の、ノエルは気にしないでくれ。弱った鬼の情けない愚痴だから」
またそう言って微笑む彼女の顔は、寂しそうで、悲しそうにも見えた。
やっぱり、縁起でも演技じゃなくても、この子は欲しい。
明らかに大丈夫な態度じゃないのに、見ず知らずの僕に対して何の遠慮をしているのか。
こんな状況で、気にしないでと言われてしまったら、いろんな意味で見逃すなんてしたくなくなった。
「ねえ、スイ。この後どうするつもりなの?」
僕がそう聞くと、スイはまた驚いたみたいに固まった。
でも、考えるみたいに視線を逸らす。
「ん……。余はもう故郷に帰ろうと思ってる。ここ数年で分かったけど、余の魔力だと水の精霊魔法は水を少しだけ動かせるだけで、治療に行かせないなと知ったから……」
ということは、ここで行かせてしまったらもう二度と彼女と会えないことになる。
それはいけない。せっかくこんなに綺麗な子に会えたのに、みすみす手放すなんて、貴族としても男としても間違っている。
それに……直感だけど、ここで彼女を行かせてしまったら、すごく後悔する気がした。
でも、どうやって?
亜人は今王都では暮らしづらい。僕が仕事を斡旋したところですぐに就職するのは難しいだろうし、目の届く場所に置くのはもっと難しい。
考えていると、スイはご飯を残したまま、椅子からそそくさと立ち上がってしまう。
「それじゃあ、ノエル。助けてくれてありがとう。余が長い間仕事の邪魔をしてしまったら迷惑になるから」
駄目だ、これ以上考えて居たら、また雨の中を彼女一人で行かせてしまうことになる。
悩んでる暇はもうなかった。
勢いで立ち上がり、以降としてしまう彼女の腕を捕まえる。
背の高い彼女を見上げると、また驚いたスイが居て、トクンと胸が高鳴った。
「ノ、ノエル?」
どうする。
捕まえたのは良いけど、このまま黙ってても変な人だって烙印を押されるだけだ。
(仕事先、仕事先! 戦わない仕事。商人、助手、母親! ってばかばか、僕のお姫様にするにしても段階すっ飛ばしすぎ! じゃあ、貴族が嫁にしても構わない身分と場所……)
必死に考え、周囲に目を回していく。
鬼の少女、豪華な内装。人の背丈ほどある窓。チョコレートみたいな扉に豪奢な絨毯。
ぎゅっと握る腕に困惑したような力が入って、僕の腕が目に入った。
(っ! 天啓!)
ふっと降りてきた彼女の仕事先にこれしかないと心の中で頷いた。
「仕事! 僕が! 僕が、君を雇いたい! それでどう、スイ!」
とっさの思い付きだったけど、捕まえていた翠の鬼の娘さんの腕にはもう力入っていなかった。
窓の外から光が差し込んできて、僕とスイを照らし出す。
雨はいつの間にかやんでいた。